ひとりごとのつまったかみぶくろ


先の大戦に思う



 私は、昭和30年生まれの現在61歳の男性です。私の父は、大正10年生まれで、先の大戦では、兵士としてラバウルに赴き、そこで終戦を迎えました。父がそこで生き抜いてくれたからこそ、私が生まれ、今もここに生きているということになります。

 父の戦地での体験を、私は幼少の頃から、何度も尋ねたことがありました。でも、父は、ほとんど何も話してくれませんでした。それでも記憶に残っていることは、毎日がトンネル掘りだったという話と、「弾は前からだけ飛んでくるわけではないから」とポツンと発した言葉です。これは何か重い意味があると直感したのですが、それ以後、何故か聞きづらくなってしまいました。

 私も年を取り、貯金やある程度の時間的余裕ができたので、父同伴のラバウル旅行を計画しました。父は関心を持ってくれました。しかしその頃、父に認知症の症状が出始め、その後症状は悪化するばかりで、とうとう永久にその機会は失われることになってしまいました。

 もし父と同じ戦地で同じ体験をされた方がおられるのであれば、是非ともそのお話を伺いたい希望を持っております。

 私にとって、太平洋戦争のことは、教科としての歴史の一単元として、中学や高校で学んだことが、そのほとんどといってよいでしょう。多くの国民にとっても、それに関心を持っている人でない限り、学校で学ぶこと以上に学ぶことはあまりないと思います。では、今の学校教育において、はたして十分な知識供与や事実の伝承を行っているといえるでしょうか。太平洋戦争については、現行憲法成立や現代の社会の形成、現在に生きる人々の意識や思想の形成の大きな契機となっている事象であり、これは特別な位置に置くべき歴史事象であるはずです。なのに、学校の歴史教育では、古代や中世と同じような比重で教育されていることは気になります。

 市中において、図書館や書店等を通して、多くの関連書籍を手にすることができます。テレビやラジオを通して、多彩な関連の番組の放送を受け取ることができます。新聞も、適宜、適切な戦争に関する話題を選んで、読者に提供してくれています。今日では、インターネットを通して、数多くの関連情報を得ることができます。私としても、その一翼となれるよう、十数年前から、関連情報のホームページを作成して公開しております。しかし、これらは、それを読む、見るという意志がない限り、アクセスされることのない情報です。

 さて、「歴史認識問題」という言葉に象徴されるように、今日の、中国や韓国などの人々との軋轢はなぜ生じるでしょうか。各国のプロパガンダ合戦がこれを引き起こしているという言葉もよく聞きますが、はたしてそうでしょうか。私は、各国国民の知識不足、または偏った知識を起点とする思い込みによるものが大と思っております。

 確かに、「我が国」とか「旧敵国」「侵略者」というような意識があれば、アイデンティティや、自分の国の名誉を守るためにも、また憎しみからも、アグレッシブになったり、不都合な情報には耳をふさぎたいというバイアスはあることでしょう。難しいことではありますが、史実は史実として、たとえ国民当事者として不愉快なことであったとしてもそれを受け入れる気立てをもって、豊かな歴史認識を持つというのが、世界平和を願う者であれば持ってもらいたい態度であると思います。(2016.8.15)



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