ひとりごとのつまったかみぶくろ
 次の文章は、2009年10月31日発行、「福祉研究100号」(日本福祉大学社会福祉学会)に掲載されたものです。
 


城山病院のPSWに従事して



 愛知県立城山病院は、旧精神病院法により、昭和7年に設置された県立の精神科病院です。それから七十余年、今日、平成19年時点における城山病院は、精神病床342床、七つの病棟と、二つのデイケアを持つ精神科単科の病院です。日々の平均外来受診者数約90人、デイケアの平均通所者数約90人という状況になっています。加えて、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(以下「精神保健福祉法」)に基づく応急入院指定病院、県精神科救急医療システムのバックアップ病院、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(以下「心神喪失者等医療観察法」)に基づく鑑定入院医療機関と指定通院医療機関になっております。

 城山病院は、名古屋市の東部丘陵地にあり、開院当時は森の中のひっそりした環境にありましたが、現在の病院周辺は住宅地と化し、地下鉄の駅から約300メートルと、とても便利になっています。

 現在、城山病院には、4人の精神科ソーシャルワーカー(通称「PSW」:psychiatric social worker)が配置されています。内3人は医療社会事業科に配置され、退院が困難な入院患者の退院に向けての条件作りのお手伝い、家族に対する援助、公的サービス利用に向けての援助、患者の快適な入院生活や地域生活を構築するための側面的なお手伝いなどを主な業務としています。あと1人は、デイケア科に配置され、デイケア施設である城山デイケアセンターの運営に携わっています。

 私は、この城山病院に、PSWとして、昭和62年4月からの4年間、デイケア科に勤務しました。その後他機関への異動がありましたが、平成17年4月からは医療社会事業科での勤務となり、現在に至っています。

 城山病院のPSWが携わる業務については、多くの変遷がありました。過去を振り返り、また今日的な課題も踏まえて、城山病院のPSWが携わってきたことや現在の実践、将来に向けての検討について、私自身の経験を踏まえて、私見も含みますが、その概要を報告したいと思います。


城山病院におけるPSWの足跡


 城山病院において、ここに勤務したPSWの先輩は、どのような足跡を残したのか、今となってはそれらの方々は退職し、直接話を聞くこともできませんが、残されている記録、記念誌、病院年報等を参考に、自分なりに解釈して、まとめてみました。


 <病院PSWの黎明期・奔走期>

 城山病院に、PSWが正式に置かれたのは、昭和30年のことです。1人が専任職員として配備されました。これは全国的に見ても先駆的な配置でした。昭和40年に2人配置、昭和41年からは4人配置となり、今日に至っています。

 人類の歴史上、長く、精神病というのは充分な治療の術がなく、一度発病したら、多くが生涯隔離という状況でした。しかし昭和30年代に入り、向精神薬の開発等により、症状の改善が見込まれるようになりました。退院が可能なまで回復する人々が徐々に増え始め、退院と退院後の生活を支援する機能が求められる時代に突入しました。これを担うスタッフとして、PSWの力が求められたわけです。このころより、生活療法や院外事業所への就労活動(ナイトホスピタル)等の実践と相まって、入院患者の退院条件作りに全力を尽くしました。昭和40年代のころは、入院中の精神障害者に対して公的に援助する機関や人々などはほとんどなく、ナイトホスピタルの受け入れ事業所(職親:しょくおや)探しやそこに送り込んだ患者のフォローに、PSWが総出で奔走したものでした。ナイトホスピタルにより、一定の生活能力と収入の手立てを得ることができるようになった人は、退院となりました。この流れのピークとなった昭和47年度においては、当時の労働力不足の時勢も手伝って、実人員100人のナイトホスピタル参加者、それにより36人の退院を果たしたという驚異的な年もありました。


 <社会復帰施策の進展とともに>

 昭和50年代に入ると、オイルショックなどを契機とした不況の時代に突入し、それまでのナイトホスピタルを経ての退院はあまり見込めなくなりました。このころからは、国の施策としての社会復帰事業の展開の波や、家族会等による地域での受け入れ場所作りの波が高まり、保健所での社会復帰教室や家族教室の開設、病院でのデイケアや地域での共同作業所の開設、地域単位の新たな家族会の設立などが進み出しました。

 昭和25年に施行された精神衛生法が昭和62年に大きく改正施行され、法律の名も精神保健法と変わったころから、「院内ケアから地域ケアへ」という施策も手伝って、地域における受け入れ場所づくりや行政による支援策が充実し出しました。通院医療費公費負担などの以前からの法律による支援に併せて、医療費の助成や扶助料の支給など、自治体レベルの独自の支援策も打ち出されるようになっていきました。

 城山病院では、昭和62年に、当時の精神障害回復者社会復帰施設運営要綱を活用し、病院敷地内にデイケア施設である城山デイケアセンターが開所となりました。PSWの4人の中の1人がそこの専属になって、今日に至っています。デイケアは、退院したものの地域での生活に不安を抱いている人の心地よい居場所として有効に機能しています。当初60人の登録定員で始めたデイケアでしたが、需要は高く、平成3年には別棟を利用しての作業訓練部門を設けて併せて登録定員を拡大しました。平成10年にナイトケアが始まりました。平成14年には閉鎖となった病棟を活用して第二デイケアが開設となりました。平成19年においては、二つのデイケアを合わせて、200人を超す登録者、開所日の平均通所者数約90人という状況になっています。

 平成5年の障害者基本法の改正施行により、精神障害者も障害者と規定され、これを追って平成7年に精神保健法が精神保健福祉法となり、保健福祉手帳の創設などと併せて、福祉サービスの利用などにおいて、便宜がはかられるようになりました。併せて、同年に始まった「ノーマライゼーション七か年戦略」(障害者プラン)により、地方自治体における障害者計画の策定に合わせて地域ケア政策が展開され、一定の地域に小規模作業所を一か所開設するという目標のもとに、保健所等が先導して、地域家族会を設立、及びその地域家族会の事業としての作業所の開設が進みました。

 そのような流れの中で、精神科病院に勤務するPSWの業務は、成り立った制度や地域の社会資源とのコーディネートに力点が置かれるようになっていきました。また病院での社会復帰関連の事業を開設しやすくする条件が整ってきたことにより、多くの民間の精神科病院においては、院内にデイケアや社会復帰施設等を付設し、なおかつその担い手としてPSWを配置するという流れを生み、この時期、PSWが爆発的に増加したという状況があります。

 周囲の民間精神科病院におけるPSWの充実の流れがある中でも、城山病院のPSWは、現有の人的配置の中で、その時期その時期における新たなニーズに対応する新しい取り組みの担い手やチームの一員として関わってきました。その例をいくつか挙げることにします。

 昭和41年に患者家族の有志により病院家族会が結成されましたが、以来、側面からその活動を支援してきました。昭和40年代より、ナイトホスピタルを経て退院した人や、単身生活をしている外来通院者に呼びかけ、社会復帰グループづくりを図りました。定期的にグループワークを実施したり、また一緒に旅行したりもしました。昭和62年の城山デイケアセンター開所に先立ち、その準備の段階から関与し、併せて昭和60年からの院内既設施設を用いてのデイケア実施において、運営スタッフとして加わりました。昭和63年に院内の既設施設を活用して援護寮の試行が行われましたが、その運営スタッフに加わりました。平成3年に、地域住民から、空き家となった住宅の有効利用ができないかという申し出があったことを契機に、その活用のための地域体制作りに動き、制度に結び付けて小規模作業所の立ち上げとその後の運営に関与することになりました。平成7年には、社会生活を営む際に求められるスキルのトレーニングを行うSST(social skills training)プログラムの立ち上げに尽力し、その後も運営チームに加わりました。平成9年に始まった家族教育プログラム「家族のための勉強会」への参画や、またその勉強会終了者に呼びかけ、セルフヘルプグループの設立と育成の後押しなどもしています。

 しかしながら、限られた人員の中では、何でもかんでも関与するということはとうてい無理であり、諸事業への効果的な関与という志向から、それらの事業が安定したら、またはその事業の使命が全うしたと判断できるならば、手を引いて、新たなニーズに関わるというスクラップ・アンド・ビルドの考え方をもとに関わっています。

 城山病院には、現在も4人のPSWが配置されています。身分は公務員です。かつては採用から退職まで城山病院勤めというようなプロパー的勤務でしたが、現在のスタッフは、転勤により数年で交代という状況になっています。保健所や精神保健福祉センターの精神保健福祉相談員、生活保護ケースワーカー、児童福祉司、各種の社会福祉施設のスタッフなど、社会福祉関連の多彩な経験を持った者が集まっています。これらの経験と知識、幅広い視野を駆使し、今日的なニーズに対応する有効な戦力となるように努めています。障害者自立支援法や心神喪失者等医療観察法など、新しい体系の業務が始まりましたが、効果的な情報収集と研鑽のもと、適切な対応ができるようにと努めています。


城山病院の退院支援活動の現況


 ニーズは時代とともに変わると言っても、昔も今も、PSWに課せられる最大のニーズは、やはり退院困難な入院患者の退院に向けての条件作りのお手伝いです。

 受け入れ条件が整えば退院可能の人が全国でおよそ七万二千人、これを10年で退院・社会復帰を目指すという平成14年の厚生労働省の指針(新障害者プラン)が、その後の政策策定の柱になっています。症状がある程度安定し、入院治療によらなくても生活が可能になったにもかかわらず、退院後の生活場所が確保できないために入院を続けている人、すなわち社会的入院者が、城山病院においても存在します。

 城山病院では、院内に長期入院患者退院支援委員会という専門委員会を設置し、病院側の働きかけによって退院に導くべき患者を選定し、退院に向けての方策を検討しています。

 ここでの検討結果を受けるなどして、PSWの業務として、退院条件作りのお手伝いを展開するわけですが、そこでのアプローチについて、私の業務経験を中心に、現在展開している状況の概要を報告することにします。


 <施設入所に向けてのアプローチ>

 症状が比較的安定している患者であって、身内が不存在か身内による引き取りが困難で、なおかつ単身生活が困難な人には、施設への入所を目指す取り組みを進めています。65歳以上の高齢者については、養護老人ホーム、ケアハウス、有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、老人保健施設、認知症者対象のグループホーム、などです。それよりも若い人については、援護寮や精神障害者を対象としたグループホーム・ケアホームなどです。最近は宅老所と呼ばれる新しいタイプの事業も出現し、この活用の検討も行っています。

 65歳以上の高齢者を対象とした施設への入所事情は、ひとむかし前と比べれば、若干改善されてきている状況があります。

 養護老人ホームについては、精神障害者は敬遠とか、申し込んでも生涯待機というような、長く高嶺の花という感がありました。しかし近年に至り、場所さえ選ばなければ、比較的早期に入所がかなうようになってきました。生活保護受給者や低所得者の高齢の患者で、ADLがしっかりしている人については、ここへの入所をまず案内するようにしています。

 特別養護老人ホームについては、入所基準の省令改正を受け、自治体における優先入所指針等が定められたこともあり、早期に入所できる可能性は増大しました。身寄りのない患者で、要介護の認定が得られた人については、それぞれ数か所の特別養護老人ホームに入所申請しました。要介護4以上となった人は、一年乃至二年の待機期間の後、平成18年度及び平成19年度にそれぞれひとりずつの入所退院が実現しました。しかしそれ以下の要介護度の人は、待機が続いています。

 認知症の診断を得た高齢者については、認知症者対象のグループホーム入所に力点を注ぎました。

 要介護の認定が得られない高齢者で、一定の資産を有し、年金等の安定した収入がある人については、軽費老人ホーム(ケアハウス)や住宅型有料老人ホームの紹介と契約に向けての支援に努めています。精神障害者の受け入れについて経験を持たないところが通例で、精神障害者や対象者についての適切な情報提供などを通して、理解を深めることに努めています。平成19年度は、一人の方について、公営の軽費老人ホームへの入所退院が実現しました。

 一か所のみの申し込みではやはり駄目で、いくつかの申し込みを重ねておくことが肝要です。種をしっかり蒔いて、施設の方から、部屋に空きができましたという電話がかかってくる日を、じっくり、期待を持って待っています。

 これらの入所の条件作りに当たり、最も有効な力となったものが、身元保証支援や随時個別援助を行っているNPO団体です。このサービスを利用するためには本人の契約意思と一定の経費や預託金の準備が必要ですが、契約が成れば、施設入所に向け、着実に進展がかないました。長期入院の高齢の患者は、身内の人が不存在などのため身元保証人や手続き代行人の確保が難しい人が多いのですが、この団体のサービスが得られればそれらの問題は一挙解決です。現在、名古屋市内に、このようなサービスを展開している団体が三つあり、それぞれの特性に合わせて、施設入所を目指している患者にサービス利用の案内をしています。生活保護受給者が利用可能の団体もあります。

 このようにして施設入所がかなった人について、その後も一定のフォローを続けています。入所者には、食事は給食という形で提供してもらえますが、個室を与えられることにより、掃除や洗濯などある程度の家事をこなさなければなりません。しかし、洗濯機で洗濯できたが干すことを知らず衣類を湿ったままたんすにしまい込んだ人、自室にある電話機が鳴ったが受話器を取らなければならないことを知らなかった人、また買い物の仕方、電車バスの乗り方なども含めて、長い入院生活の中で失ってしまった生活の技能が実に多大であることを知らされました。これへの対処のために、診療報酬の対象にならないが訪問看護を実施したり、ホームヘルパーに入ってもらったり、また施設から病院のデイケアに通ってもらえるように手配しました。


 <施設入所を阻むもの>

 施設入所について一定の可能性がありながら、次のような経過のため、断念となった人がおられます。

 施設入所に向けて、家族の要請があり、かつ受け入れ施設の確保も得たものの、施設側による本人面接の段に至り、本人が拒否を表明されたことにより、ご破算になってしまったということが数例あります。本人の希望、同意、納得による入所というのは当然のことですが、本人の家族環境や生活技能等から見て、施設入所しか選択肢はないと思われる人がおられます。そんな人が、施設に入所するよりも入院生活を続ける方が良いと主張された場合の対処に困ってしまいます。引き続き根気よく本人に施設入所を勧めています。

 施設に入所した場合の経費が、入院継続による経費よりも多額になるという試算により、施設入所の呼びかけを敬遠される家族が散見されます。これは、近年の自治体レベルの医療費助成策の充実等により、入院医療費の自己負担分について軽減される制度が拡大しつつありますが、これにより、退院して施設入所した場合の経費の方が高くなってしまうので、負担を強いられる家族の理解を得ることが難しいということが起こっているからです。病院側からは、「入院治療が必要な症状は消失しました」「他の患者のためにベッドを空けていただきたいのです」などの言葉で説得を根気良く続けております。施設に入所した人に対する経済的支援施策の充実を望みたいところです。

 扶養義務者に該当する人が不存在で、かつ自分の意思の表明が困難な状況まで精神症状が進行してしまった人については、本人の施設に入所したいという意思の確認の術がないということで、これまで施設入所による退院という方策を採ることが困難でした。これへの対処としては、各方面の実践の情報を入手しながら、解決する術を求めて研究を続けています。


 <在宅支援に向けてのアプローチ>

 今日は、施設入所ではなく在宅生活の支援という形で生活を支えようという考えが拡がりつつあります。でも、身内の人の関与や援助が困難な人について、在宅生活を進めるということは、施設入所とはまた違った配慮が求められます。

 家族のもとに帰ることは難しいが、症状が安定している人で、一応の生活能力のある人については、家族から独立という指針を立て、賃貸アパート確保の援助の上、退院させるということを以前から行っていました。

 生活能力上の障害が大きい人や症状が不安定な人については、障害者自立支援法による障害程度区分認定の上、ホームヘルプサービス、訪問看護、金銭管理援助(社会福祉協議会による日常生活自立支援事業やNPO団体による同種の援助)、宅配給食、デイケア通所等の援助を組み合わせた形のケアプランを作成の上、関係者が集まってなおかつ本人も加わったケア会議開催の上、退院ということを進めています。しかし、このような形で退院しても、飲酒や、症状の再燃、近隣とのトラブル等によって、数か月程で破綻してしまう確率はけっこう高いです。密な情報交換やタイムリーな休息入院等を組み入れるなど気を配っていますが、近隣住民とのしこりを一旦作ってしまうとその修復はことのほか困難です。

 そのような中で、次のような事例を経験しましたので、紹介します。

 ある慢性の統合失調症の患者について、居宅への退院後、毎日のデイケア通所を方針としていたのですが、結局デイケアには来られず、またホームヘルパーが買い物などの家事を代行してくれるために自分は動かず、結果、生活が昼夜逆転となり、乱れた食生活や非活動的な生活のため、過度の肥満と糖尿病悪化を招き、命危うい状態で、再度入院となってしまいました。入院中の食事療法や運動療法により、一応適正な体重などに回復できたのですが、退院して自宅に戻れば、また失敗を繰り返すことは目に見えています。この方については、デイケアに通う毎日について、朝七時にヘルパーに入ってもらい、本人を起こし、着替えや朝食などの身支度の援助、その後自宅から付き添ってもらい午前九時にデイケア着、午後三時にデイケアに迎えに来てもらって一緒に帰る、帰る途中に運動を兼ねて散歩と買い物の付き添い、帰宅してからは掃除等の家事援助、糖尿病食の夕食作りの援助を受けて午後六時に終了、というサービス形態を組み立てた上、退院に導きました。

 一定の生活能力上の障害がある人について、施設入所ではなく、在宅支援という路線を選択すれば、この位のサービス量が求められるわけです。しかしながら、このイメージを示して、それに応じてもらえる事業者を探しても、現実には、ありませんでした。前記事例については、そのサービスを実現するために、実に約三十の事業所に当たって、なおかつ行政当局との折衝を繰り返して、やっと実現させたというものです。発案から実現までに約三か月を要しました。これに費やした時間と労力は私の体験としても桁外れでした。このようなサービス形態の、第二号、第三号を実現させてくださいと求められたら、今度はちょっと躊躇してしまいそうです。


 <新しい社会資源活用の検討>

 最近、「宅老所」とか「宿泊所」などと呼ばれる、新しいタイプの施設の利用を積極的に検討するようになってきており、徐々に利用者も出ております。この施設のイメージを簡潔に述べれば、「アパートなどを確保した上で入居者を募り、そこに給食や自前のスタッフによる介護サービス等を提供するという形態の民間の事業者」ということができるでしょうか。事業者としては、株式会社、NPO等、いろいろあります。家賃プラス諸サービス利用料という形で料金設定がしてありますが、この料金の総額が、生活保護の住宅扶助と生活扶助を合わせた額に収まる額となっており、生活保護受給者であっても利用可能です。多くはベンチャー的な事業ですが、制度の狭間にある人々を受け入れてくれる希少な社会資源と感じています。事業の志向としては、ホームレス向き、最重度障害者向き、軽度障害者向きなどのタイプがあります。このうちの軽度障害者向きの事業については、介護サービス付きアパート、デイサービス付きアパート、同居ホーム等と称して良いでしょうか、そのような住居や生活のタイプがあります。

 先に記したように、比較的要介護度の低い人は、特別養護老人ホームに申し込んであってもいつまでも待機状態であるし、他種の老人ホームも機能的、経費的に入所することが困難です。アルコール依存症等の既往がある単身生活者は、通常の訪問看護やホームヘルプサービス利用、デイケア通所程度の見守りでは、一人になった時間に手を出してしまいます。そのような人を対象に利用の案内をしています。


 <新しい制度への期待>

 障害者自立支援法の施行を受けて、退院促進支援や住居確保支援を目的とした新しい制度が立ち上がりつつあります。そのひとつが、都道府県事業としての精神障害者退院促進支援事業、もうひとつが市町村事業としての住宅入居等支援事業(居住サポート事業)であり、それぞれ「愛知県精神障害者社会復帰促進(地域生活支援)事業」、「名古屋市障害者賃貸住宅入居等サポート事業」の名で、平成19年度に開始となりました。

 居住サポート事業は、国土交通省の「あんしん賃貸支援事業」の稼動に伴い、これと連携して進めていくと聞いております。名古屋市では、この事業が、平成18年度に整備された障害者地域生活支援センター(地域活動支援センター)に委託するという形で始まりました。城山病院から、住居確保が成れば退院可能と思われる入院患者数人について、これの適用に向けてそれぞれ別のセンターに打診しましたが、結果としては、それに応じられる体制はまだ整っていないという理由で、すべて断られてしまいました。残念に思っています。

 退院促進支援事業については、病院としてこの対象者を選定し、平成19年度は、三人について適用を依頼しました。県から事業の委託を受けた障害者地域生活支援センターの職員が、定期的に来院され、対象者との面接等を続けられています。この対象者の一人が、ケアホームに入所され、退院となりましたが、その後も生活相談や役所等への同伴など、生活の安定に向けて木目の細かいサポートを続けておられます。


新しいニーズのために


 最後に、今日的な新しいニーズに対応する動きを検討してみたいと思います。病院にはいろいろな職種の人がおり、チームとしての対応が求められる中で、PSW固有の業務として論じることはできませんが、今後深い関与を求められる機運があるものも含めて、自分なりにいくつかをピックアップしてみました。


 <認知症患者やその家族への援助>

 城山病院では、平成9年に、認知症患者の外来診療「もの忘れ外来」が始まりました。PSWは、これの初診日における予診に応対しています。認知症は、統合失調症等とは異なり、社会復帰というアプローチとは角度の違ったアプローチをしなくてはなりません。多くは薬物療法等での効果は少ないわけであり、対処として大切なのは、患者を介護する家族への援助であったり、患者本人の快適な生活の構築のための働きかけであったりするわけです。これにいかに上手に関わるかということで経験を積んでいるところです。


 <外国人への対応>

 城山病院が応急入院指定病院になっていることもあり、外国人が運び込まれることがよくあります。そのようなとき直ちに手配しなければならないことが通訳の確保ということです。名古屋市の制度創設により、平成16年からは、応急入院と名古屋市長による措置入院、名古屋市長の同意による医療保護入院の場合は、市の予算で通訳を派遣してもらえることになりました。しかしこれの適用にならない場合、例えば、市外の国際空港で保護された外国人の場合など、応急入院から別の入院形態に移行した後、たちまち困ってしまうことになります。そんな時は、通訳ボランティアを探すことになります。このあたりの手配や手続きについてPSWが担当しています。

 通訳を依頼する場合、通常は半日で数万円というのが相場であり、とても対応できるものではありません。よって国際交流協会や国際センターなどの団体等にボランティア探しをお願いするわけですが、即応性、専門性、また特殊な言語のときの対応など、課題を抱えています。ということで未だに頭の痛い問題となっています。


 <障害者自立支援法体制になって>

 平成18年に障害者自立支援法が施行されました。ホームヘルプサービスや施設入所などの制度利用について、精神保健福祉法上には市町村によるあっせんや調整などという一応の規定がありますが、障害者自立支援法により、サービス利用を希望する人は、自分で情報を得て、世にあるサービスを組み合わせて、それぞれと利用契約することが原則となりました。とはいっても、地域における障害者に対するケアマネジメントの機能が未成熟の今日、当事者やその家族だけでこれをしようとしても、現実は困難です。「ホームヘルパーを探してください」「一週間に四時間だけでは足りません」「ガイドヘルプサービスを受けてくれるところがありません」というような相談がとみに増えてきました。事業所探しやケアプラン作りなど、ケアマネージャーとしての動きが求められるようになってきています。


 <医療観察法指定通院医療機関としての展開>

 平成17年に心神喪失者等医療観察法による指定通院医療機関となり、その対象者への援助に関わるようになりました。この関わり方は、医療における一般的原則であるインフォームドコンセントに基づく治療契約という原理とは違い、裁判所の決定という本人の意思とは外れたところで援助が開始される特徴があります。そのため、対象者がよく言う「いつまで続けなければいけないのですか」の言葉に象徴されるように、裁判所決定による援助の終了とともに医療から離反してしまうであろう可能性を感じています。裁判所決定による援助が終了した後も受診を自分の意思で続ける気持ちの醸成を目的としたアプローチが求められていると言ってよいでしょう。病識の自覚や障害の受容、医療への信頼に導く援助の構築に向けて、対象者の援助策定の場への参加の確保や、関係機関や院内スタッフのチームの連携づくりを進める役割がPSWに求められています。


 <発達障害者等への援助>

 城山病院では、アスペルガー症候群やADHDをはじめとした発達障害、不適切な養育等がきっかけともいわれる反応性愛着障害などの児童精神科領域の疾患を抱えている児童や、その疾患を抱えたまま成人となった人を受け入れる「児童青年期専門外来」が、平成15年から行われています。ところで、これらの方は、確定診断のために実に多くの作業が求められます。一般的な精神疾患のように、初診時の患者の状態を見て、ある程度の診断ができるというものではありません。診断のためには、本人の成育の記録や幼少時の多彩な情報が不可欠です。幼少時の本人の日ごろのふるまいはどんなであったのか、その当時の親子関係はどうだったのか、学校での行動や成績はどうであったのか等、これらを担当医一人で行うとすればとても大変です。これらの情報収集の便宜を図ったり、関係者との面接を図ったりする機能が求められています。

 この疾患を持ってしまった患者は、多くの場合、家庭生活や社会の不適応、集団からの排斥、虐待やいじめを生み、その影響としての二次障害を抱えています。二次障害を除去又は軽減するためには、本人の家族のみならず学校や地域社会を含む環境に働きかける手立てがとても重要です。

 また、居場所を失って苦しんでいる本人の癒しの場の確保のための入院、本人との係わりに疲れてしまった家族の休息時間を作るための入院(レスパイト入院)ということもよくあります。しかし学齢期のお子さんを長期入院によって学習権を奪うことは極力避けなければなりません。入院中の訪問教育のお膳立てを行うとともに、早期の家庭復帰、学校復帰に向けての手立てが求められます。在籍校に特別支援教育を導くなど、本人の受け入れ態勢作りのお手伝いも必要になってくるでしょう。このような方々の生活を快適にかつ幸せになってもらうための条件整備を進める担い手として期待される時代に入ったといえます。


※参考文献
 「創立五十周年記念誌」「創立五十周年記念誌 補遺」(愛知県立城山病院 昭和57年12月6日発行)
 「愛知県立城山病院年報」(愛知県立城山病院 昭和45年版から平成10年度版まで、その翌年度に作成され、その間毎年発行されていました。)
 「愛知県立城山病院の概要」(愛知県立城山病院 平成12年度版より毎年発行され、主にその前年度の統計諸表が掲載されています。)

(2007.12.28)




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