ひとりごとのつまったかみぶくろ


個人情報の共有とプライバシーの保護



 医療、保健、福祉の分野での連携が求められている今日、これについての関心は誰であっても高いのですが、どのような方法で連携システムを築いていくかというノウ・ハウがまだ確立されていないので、各人それぞれが試行錯誤を繰り返しながら取り組んでいるというのが現在の状態です。

 特に私のように、この分野に参入したばかりである場合、私の方からは既に成っている連携の輪に何とか乗っかろうと欲しますし、また周りの関係機関は隣の新人に興味を示し、どんな人かと探りを入れようとしてきます。こんな時、往々にしてやってしまうのですが、そのコンタクトのきっかけをつくる手段として、双方が関連しているだろうケースを持ち出して、「この人はどんな人ですか。」とか「この人について処遇の検討をしませんか。」とか「この人、こんなことを言っていましたよ。」などと、ケースについての独占情報や個人的な情報をおみやげにして、それらの機関を訪れてしまうことがあります。

 このことに何か問題はないでしょうか。

 現在、いくつかの自治体等で取り組んでいる動きの中で、連携システムの創設にあたって、例えば「福祉カルテ」など、複数機関の人によって書かれ、読まれる個人情報把握システムのアイデアがありますが、このシステムは本当に問題のないシステムでしょうか。

 どうも個人の秘密、プライバシーもその連携のルートに乗って流れていってしまうのではないかという危惧がしてならないのです。本当にこれほどまでして個人の情報を多くの人が共有して把握しなければならないものでしょうか。

 「あなたに話したことが、どうしてあの人が知っているのですか。」
 ――もし私が係わっている人からこのような言葉が出た場合、弁解する余地ははたしてあるでしょうか。

 社会福祉の援助は、プライバシーを持った個人に対するものであり、その運用に際しては当事者のプライバシーの保護ということについて細心の注意を払わなければならないはずです。確かにその人のためのサービスの策定、効率的運用のためには、その人のプライベートな事象の把握が不可欠になる場合もあるでしょうし、サービス提供機関が無駄なく、適切に、能率良く動くためにもそのような情報をより多く得ていた方が良いと言えるでしょう。でもこれはサービス提供機関側の論理であり、私はこれが援助のための絶対条件であるとは思いたくありません。サービスを供給する側の安泰を期し、サービスの効率的運用に自己満足するために個人情報を活用するということは、結果としては個人のプライバシーを弄んでいるに過ぎないわけであって、そのような実態をもし事の当事者が知ったらどう思うでしょうか。多少の非能率性、無駄を承知しても、当事者のプライバシーの保護のために、流れる個人情報は厳しく制限すべきと思います。

 連携という効果が本当に発揮されるのは、ケースマネジメントの機構が確立し、サービス策定の中心者、ケースマネージャーないしコーディネーターという機関が動き出した後です。現在のように、それぞれの機関が独立し、それぞれが処遇の窓口である体制のもとでは、個人情報はせいぜい担当者を安心させる材料または担当者同士を仲良くさせるための材料程度でしか活用できないでしょう。本当に、まったく、「ろくな援助もできないくせに、個人情報だけが独り歩きをして。」と言われそうです。

 私が住んでいる自治体では、この10月に、個人情報保護条例が施行されることになっていますが、これを検討しつつ、私の考えも述べることにしましょう。

 この新しい条例は、「個人情報本人収集の原則」というのがベースになっていて、自治体関係機関の職員がある個人の情報を得る場合は、当の本人から得なければならないことになっています。そんな意味で、私が、ある人について、その人が通っている医療機関や家族から、その人の症状、生活状況などを問い合わせるということは、この原則に反してしまうことになるので、本当は戒められるべきことです。しかし実際は現実問題から、これでは不合理なことが生じてしまいますから、法令等の規定がある場合、本人の同意があった場合、また個人情報保護審議会の意見を聴いた上で相当な理由があると認められた場合などで、かつ個人情報取扱事務登録簿に登録された事務については認められることになっています。また、個人情報の他機関への提供についても、これに基づき、厳しく制限されているわけであり、たとえ連携のためとはいえ、おいそれ軽々に他の機関に個人情報を流すことは強く戒められています。

 実際の運用については、各条文にはいろいろな解釈ができる余地がありますので、この条例の趣旨がどの程度発揮するかは分かりませんが、でも趣旨は充分に理解しておくべきでしょう。

 個人情報というものは元来流れる代物ではない、というのがこの条例の基本認識のようです。流す場合は、法令に基づいて、条文により、またそれに定められた書式により、必要最小限に、それ以上は不必要、と解さなければならないようです。

 例えば、私の仕事の関係でいえば、医療機関等から、利用申請書等、個人情報が記された書類が回ってくることがあります。それらは定まった書式により、その書式が求めたものについて記載されているわけですから、その範囲については情報の入手ができます。しかし、その人のことについてもっと知りたいからその医療機関に問い合わせたりカルテを見せてくださいなどということはすべきではないと思っています。もしどうしても知りたければ直接本人と会って、本人から聞き出すべきでしょう。

 自分が提供できるサービスの策定ということであれば、私が感じている限りでは、現行の書式に基づく情報で概ね充分と感じられます。もし、これだけでは情報が足りないと本当に感じられるのであれば、自治体や国等に働き掛けて、その書式の改訂をすべきでしょう。

 だからといって、私が管理しているクライエントの個人情報の提供を求められた時、何でもかんでもそれを拒否しますよ、ということではありません。例えば、私が係わっているケースの状況についてその人の主治医に説明するということは時々あります。これは医師のその時の業務の遂行上必要なことと認識しているからです。また逆に、私が医療機関等にある人について問い合わせることもあります。これらは、その時の医師や自分自身の援助方針策定に供するために必要な材料となるものであって、個人情報の共有とは意味が違うと思います。でも、これらの場合は、「あなたのことについて、お医者さんに伝えておきますからね。」とか「これは○○さんから教えていただいたことですが。」などと当事者に伝える配慮は必要でしょう。

 以上、このようにまとめてみましたが、自分自身迷いながら書いたところもありますので、批判、非難の余地は沢山あると思います。皆さんからのご意見を期待しています。

  1992.7.15



 [ 1996.12.20 登載] 
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