ひとりごとのつまったかみぶくろ


私のボランティア活動の遍歴から



 私は現在四十歳の男性です。
 社会福祉の仕事に就くことにあこがれ、高校卒業後、福祉系大学に入学しました。ところが時折しもオイルショックがあり、大学卒業時にはひどい就職難に見舞われました。社会福祉の分野の求人は皆無に近く、一般企業への就職もままにならず、就職浪人というのが私の社会人としての第一歩でした。

 社会福祉の現場への就職がどうしてもあきらめ切れず、「就職がだめならボランティア活動で」と心に決め、アルバイト捜しと並行して、ボランティア活動の場も捜すことにしました。そうしている内に、市内に障害児のための無認可の保育所が開設されたことを知り、そこに飛び込むことにしました。いざそこに飛び込もうとする緊張したその時の情景は、あたかもスチール写真が目の前にあるかのように、今もはっきり覚えています。夏の日の暑い朝のこと、プレハブの粗末な建物でした。嘱託の保母さんと学生のボランティアの二人で、五人ほどの知恵遅れの障害を持った幼児を相手に奮闘してみえたところに、もう一人のボランティアとして加えていただきました。その日から日を定めて通わせていただいたわけですが、無職のままでいるわけにもいかず、約二か月後、手ごろなアルバイトが見つかったのをきっかけに、その活動をやめることにしました。「予告なく来て、また自分の都合でやめていく、勝手な人だな」と思われたことでしょう。

 その後はアルバイトの合間に日赤の病院ボランティアを行いました。また障害者のための運動会などの催しがあるのを知ると、そのたびに「手伝わせて」と飛び込んだものでした。そんな生活を四年間続けました。

 就職試験のチャレンジ五回目にしてなんとか合格でき、四年遅れでやっと定職に就くことができました。反面、これまでのような平日のボランティア活動はできなくなりました。でも障害者のための施設設立の運動に係わっていたこともあり、有志四人で在宅障害者のための「日曜学級」を始めました。ゲーム大会やハイキングなどを毎月一回計画して実施しました。回を重ねるごとに学生ボランティアが増え、学生による運営が軌道に乗ってきたころ、これからは手を引きました。それから既に十年以上が経ち、現在も「学級」は続いているのですが、ボランティアのメンバーはすっかり入れ替わり、今となっては私を知る人はほとんどいないと思います。

 現在私が継続的に行っているボランティア活動は一つだけ、福祉バスの運転ボランティアです。これを始めてかれこれ五年になります。障害者団体などが旅行などを企画したとき、バスを貸し出す制度があるのですが、その団体で運転できる人が確保できなかったとき、ボランティア友の会を通して運転の依頼が入ります。市バスの運転手のOBの方などが会のメンバーにみえます。私は失業時代に大型自動車の運転免許を取っておいたのが役に立ちました。年に二から四回程度の依頼で、年休を取って行うことも多いのですが、内容的にもまたその頻度も、既に結婚し子供を持つ身としてはとても相性のよい活動です。

 この活動に加わって三年目のころから、約二年間、全く依頼がない時期が続きました。もともと依頼の数が少ないものですから、最初は気にしていなかったのですが、時が経つにつれ、やはり気になったので、意を決して友の会の会長さんに問い合わせてみました。その時の返答は「あなたには依頼できません」でした。これを言われた時はどうしても理由がわからず、何度も懇願した末にやっと教えていただけました。「あなたの運転は怖かったと利用者の声を聞きました」と。つまりこうです。確かに私は大型自動車の免許は持っていますが、バスの運転に関してはペーパードライバーであり、自分自身はうまく運転できたと思っていても、経験不足からくるおどおどした運転を乗客はお見通しだったわけです。考えてみれば、もし事故を起こした場合、現在はそれを保障する制度も基金もなく、自分一人で責任を負い切ることもできません。つまり事故は絶対に許されない立場にあるということです。ですから、ここで要求される運転は、プロ以上の確実な安全運転であるわけです。私のようなただ資格があるからそれを活用しようというような考えは、浅はか以外の何物でもなかったわけです。会長さんとしては依頼がなければ意識も薄れ平穏のまま離れられるようにと配慮されたようです。知らずが仏か、その時の憤慨していただけの私の気持ちが強い口調になったのでしょう、幸か不幸か、結果としては首をつながらせていただくことになりました。

 今はマイクロバスの短距離の運転や関連行事の手伝いの依頼が主ですが、細やかに続けさせていただいております。

  1995.8.6


 [ 1997. 1.15 登載] 
D08
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