●● ● ひとりごとのつまったかみぶくろ
自己決定についての議論
次の文章は、パソコン通信上で、ある人と「自己決定」に関連したテーマについて議論した時に、私の方から送信した文章を整理したものです。論点があちらこちらに飛んで読みにくいとは思いますが、私の考え方の断片は読み取っていただけるのではないかと思います。 |
ソーシャルワーカーとしての迷い(パソコン通信に期待すること)
サービス授受の決定の主体者について
社会の中の風と障害者
ノーマライゼイション実現のための条件整備について
“配慮”から“権利”へ
ワーカーの、クライエントとしての障害者に対するアクションについて
障害者はなぜ障害者と呼ばれる?
社会が変わるということ
私の障害者観
ソーシャルワーカーとしての迷い(パソコン通信に期待すること)
私は、現在は、精神障害者と呼ばれる人々のリハビリテーションに係わる仕事をしているわけですが、ややもすると独善に陥り、井の中の蛙に過ぎない可能性もあるわけで、そのようなところからも、この分野の研究者も含めた様々な人々とコンタクトがとれたらいいな、という基本的な欲求があるわけです。そんな観点から、もしパソコン通信を通してそれが実現できたら、皆さんとコンタクトがとれたら、何とすばらしいことだろう、という気持ちがあり、これを記したわけです。
私たちソーシャルワーカーのように、いわゆる援助をサービスとしている者として、「パターナリズム」をどう考えるか、ということについて、自分自身考えあぐねている(迷っている、悩んでいる)ところがあり、関係した情報を得たい(または助言を得たい)気持ちを持っているわけです。
すなわち、「インフォームドコンセント」の風潮もあり、患者もしくはサービスの受け手の自己決定が重視される今日ですが、しかしながらこの世の中には、自己決定はされるのですが、その選択される結果が、私が(または社会のスタンダードの意識が)見る限りとても認めたくない選択肢を選択をされ(てい)る人々がおられます。また、自己決定されるには能力的に未熟と思われる人もおられるわけです。そのような人々の主体性またはその人の自己決定・選択の権利をどのように尊重または保障するかという問題があるわけです。
具体的な例をあげれば、例えば寝たきりの老人を起こすこと…寝たきり老人の中には寝たきりを希望、起こされることは拒否、という意思を示される人もおられると思います。そのような人をその人の意に反して起こすことは、是か、非か。また、慢性に至った精神障害者のかなりの人がたどる経過として、閉居、すなわち家に引きこもってしまって、家の外の社会とのつながりを遮断してしまう人々、つまりどのようなアプローチを試みても、家の外に出ることに対して、疲れる、恐い、などの理由を付けて拒否してしまう。このような人々を、社会参加を名目に外に引っ張り出すことは、是か、非か。ここまで書くと、以前記した「社会福祉サービスの提供と自己決定の尊重」の中での論議を取り上げていることにお気付きと思いますが、つまり私はこれらに対して、「是」という主張を持っているわけですが、この業務に係わっている人々のけっこう多くが「非」と答えられるわけです。すなわちパターナリズムには反対、あくまでも本人の意思(自己決定)を尊重すべきだ、の意見が強いというのが私の感触です。
また別の例をあげれば、私と係わっている人に、少し知恵遅れ気味の主婦の方がおられるのですが、その人は店の人に勧められると高価な物でも安易に買ってしまうという失敗を繰り返しています。それのために離婚の危機を招いた経験も持っています。この人に対して、私たちはどのような援助ができるのか、夫等家族がいる中で第三者が介入する場合の配慮はどうあるべきか、緊急避難的介入をすべきだ、いやそれはお節介だ、等々、職員間、関係者間でもまさに十人十色の意見がある感じで対応に迷っているところもあります。
更に、意識障害、知的障害、痴呆、精神病残遺状態等、ある種の精神障害を持っているがために、自分の意思を示すことが困難な人ということで、決定代理者を立てる事があるわけですが、これに誰がなるのか、これがなされる根拠は何か、線引きをどのように設けるべきか、などの問題があるわけです。
ある研究機関の報告「精神障害者を持つ家族のニーズに関する研究」に、「家族のニーズで…高かったのは、障害者を家から外に連れ出してくれる人(を求めている)…実態が明らかになった」とあります。私自身実務者として訪問等を通してこのような家族の要求が広くあることは承知しているし、また連れ出すためのプログラムも業務として準備してあります。しかし当の本人が家から出たくないという(表面的なだけかもしれないが)意思表示をされている中で、その人を家から連れ出すことは果たして良いのだろうか、という疑問または迷いを今持っているわけです。
実務者のこのような葛藤を、どう思われますか。やはり井の中の蛙というところもあるでしょうか。このような状況からの脱却に何らかのヒントが得られるのでは、という思いから、これを記した次第です。
サービス授受の決定の主体者について
私たちのような職制を持つ者の業務上の視野に入る人々というのは、援助依頼を持ち込んだクライエントとその当事者や、ある種の公的作用によってコーディネートされた人々に限られるものではなく、係わりはなくても「気になる人だな」と思われるような人々や、私や関係機関が把握・認知していなくてもそのような事例を抱えているような人々、またそのような人々であってなおかつ「公的機関の援助なんて拒否」と意思表示される人々等、様々な状況の人々がおられると思います。そして、そのどのような状況の人であっても、その人から見て、保健や福祉、医療機関が発する作用やアプローチが、他の消費市場の作用やアプローチと比べて、どのように違うのか、このあたりの検討が必要かと思います。
すなわち、もし、保健、福祉、医療というものが、いわゆる国家権力として、人々に対して拒否することが許されない強制として機能していると見られるのであればともかく(例えば学校教育はこれに当てはまるかもしれません)、現在の状況下では、契約社会・競争社会のもと、たとえ公的機関であっても、サービスを案内・提示することや勧奨等は、住民にとっては、他のお店やさんに並んでいる商品の売り込みや地域社会の中での人々の係わりから生じる相互作用と、影響力としてはさほど差はないと感じています。
そのようの中で、公的な機関に勤める私が「どうかこちらのサービスを選んでください」と呼びかける、つまり、他のサービスや作用と販売競争しているようなもので、そんな状況からすれば、公的なサービスもサービス商品の一つであり、他の商品と販売の競争を演じている、のようにも見えるわけです。私たちの仕事の性格上、それがあたかも国家権力のような目に見えないバックアップがあって、私たち自身が「ややもするとパターナリズムに陥ってしまう」と思い込んで自戒することもありますが、しかしながら、実際は、たとえ私ががちがちのヒポクラテス主義者であったとしても(たまたまその対象者が、依存的な人、何でもお任せという信条の持ち主ならともかく)(現在では)パターナリズムを全うすることはできないでしょう。
こんな事例があります。私と係わっているある一人の主婦がおられるのですが、その人はこのところ虫歯を煩っていて、私と顔を合わせるたびに、「歯が痛い」と訴えられます。そのたびに「歯医者さんに行ってきたら」と勧めるのですが、「お金がない」「歯医者が恐い」などの口実を発してなかなか応じられません。そんな折り、「バラの花の花びらを一枚ずつちぎりながら『治れ』と念じれば治るよ」と近所の人に教えてもらったとのことで、高価なバラの花を買ってきて、それをされたとのことです。その主婦にとっては、私の勧めも、近所の人の言葉も、選択する題材としては同等であるわけであり、この件に関しては近所の人の言葉の方を選んだ、という結果であったわけです。
上の例で言えば、私がその主婦に「虫歯の治療」を勧めたい気持ちの競争相手が、近所の人の言葉、であるわけですが、実はそれだけではなく、その主婦自身が持っている「歯医者にかかる恐怖よりも歯痛の方がまし」のような考えとも競争しているわけです。つまり、私(援助機関)、その他の環境、本人、の三者で、それぞれが勝利しようと取っ組み合っている状態と比喩することもできるのではないかと思っています。その取っ組み合いの中で、もちろん私(援助機関)が勝ちたいという気持ちはありますが、私(援助機関)が勝たねばならぬ、とか、他の環境の影響力は悪だ、とか、本人の考えは間違いだ、という考えは(今日では)すべきではないでしょう。本人にとっては、私(援助機関)はその人の視野に映ったその人をとりまく環境の中の一つの映像程度の存在に過ぎない、という認識が必要です。そして「最終的に決断する権限を持っているのは本人だ」という態度を本人と環境にある者の双方が持つべきでしょう。しかし本人が決断できるのが、また環境の側がアプローチできるのが、一回の事象に対して一回だけしかチャンスしかないというものではなく、本人としては決断しても迷い、ある時は決定を覆し、また環境側としては手を変え品を変え繰り返しアプローチし、いつまでも同じことですったもんだしているというのが常でしょう。
社会の中の風と障害者
障害者に限らず、私たちでも、社会の中で何らかの行動を試みようとするとき、また何かをチャレンジをしようとするとき、それが成功するかしないかという点で、「追い風」「向かい風」というような言葉に象徴されるように、その成功率を作用するある種の影響力があることを感じます。例えば、「好・不況」とか「はやりや流行」「製品開発販売状況」「地域性や国民性」「新聞やテレビ等の報道」「市民・当事者運動の有無」「行政の取り組み」等、それらがあるチャレンジにとって追い風になるのか向かい風になるのか、やはり結果に影響を及ぼすある種の作用の存在を意識しないではおられません。
そこで重要なことは、社会生活において、この追い風、向かい風に、最初に、そして最も大きな影響を受けるのが、障害者などのいわゆる社会的弱者、ということです。現在は「リストラ」という言葉がはやりのように飛び交っていますが、この影響をもろに受けているのは誰か、やはり障害者や女性、高齢者、等ともいえるわけです。私と係わっている精神障害者の場合、就労を試みている人々が多くおられるわけですが、ままにならないというのが現状です。それでも1970年代前半、新薬の登場と好況、労働力不足等に助けられて、私がかつて勤めた精神病院でも、年間100人もの就職退院できた時期が実際あったわけで、今から見れば夢のようなそんな時期もあったのです。
でも、ちょっと待ってくださいよ。この「追い風」「向かい風」なるものは、障害者等にとっては確かに強い風として当たるわけですが、風が当たるという意味では私たち「健常者」であっても同じわけですから、ただそれが強く感じるか弱く感じるかの量的な違いであって(現実にはこれがリスクの大きさ、成功率の差という形で現れてくるわけですが)、だからといって、障害者にとって「リスクが大きいから」とか「成功率が低いから」というような理由で「やめとけ」とか「そんな所はない」などのような言葉で「心配」することは、う〜ん、どんなものでしょうか。この「心配」は「親切」なのか「お節介」なのか、はたまた「パターニティ」なのか、また社会福祉の職にある者がこの「心配」することは是なのか非なのか、そしてこのような「心配」をすることははたして良いことなのか悪いことなのか、ちょっと考えてみる必要はありそうです。
ノーマライゼイション実現のための条件整備について
さて、たとえ障害者であっても、市場の中にある商品を自由に買い求めることができる、そんな生活が享受できる社会の実現を私も望んでいるわけですが、でもそのためには、「自己決定の尊重」の論議の前に、「ノーマライゼイションの実現」の論議が重要ではないかと思っています。すなわち、「障害者」が持っている「社会的不利」ないしは「社会的ハンディ」を完全に排除して、「健常者」と同じスタートラインに立つという条件を獲得してこそ、対等に競争できる――そしてここで述べた社会的不利等の排除のための営みを私は「条件整備」と呼びたいと思います。
そんな意味での「条件整備」のベースは「所得保障」と「就労保障」というところでしょう。
現代のような「資本主義社会」「契約社会」「商品交換経済」の中にいる者にとって、お金(貨幣)は人の生存において不可欠なものであるわけですが、お金というものは農作物のように生えてくるものではなく、通常は、何か自分の所有物を販売することによって、その代価を得るという形態でしか手に入らないわけです。つまり、自分が生産した生産物を商品として売ってお金を得る、また、売る物が何もない人については自分の労働力を商品として他人に販売して賃金としてお金を得る(私の場合そうですね)。しかしながら、障害者の場合、その人の労働力を商品として買ってくれる人(企業)がまだまだ少ないという現状があります。そのために就労の機会を社会の「配慮」として整備すること、これが「条件整備」として不可欠でしょう。
それでも就労はまず不可能という障害者はやはり存在します。もしもこの社会が「働かざる者食うべからず」の原理で成り立っていたとしたら、働く場のないまたは働くことのできない障害者は生存の基盤を失ってしまうことになります。現在は「働けない人は飢えて死ね」という世の中ではないわけです。それでもこの「商品交換経済」の中で生きていかなければならないわけですから、そのような人に対しては販売代価という形ではない形でお金を得ることができる社会の「配慮」すなわち「所得保障」が不可欠になるわけです。「所得保障」の制度的形態として、現在の日本では、「生活保護」なり「年金」「手当」その他「現物給付」の類がいろいろあるわけですが、アイデアとしては「負の所得税」もあると思いますし、また共産主義社会というのでしょうか「能力に応じて働き、必要に応じて受ける」という社会も思い浮かびます。
今回は「配慮」と記しましたが、この「配慮」なるものを通常の感覚または常識または文化なるものにまでしようという運動または社会に対するアプローチがやはり不可欠と思います。この営みを、中には「対等」「平等」「機会均等」を拒む作用と見られる方がみえるかもしれません。しかし私はこの種の「配慮」がない社会では、不適切な言葉かもしれませんが、いわゆる「自然淘汰」的な力動によって、障害者のような社会的弱者は市場から排除される方向に導かれるのが常ではないかと思っています。
今回は「配慮」と記しましたが、本当は根本的に間違っています。本当は「権利」と書きたかった。つまりあたかもほどこしとも受け取れるような「配慮」ではなく、生存権が確立された社会では当然保障されるべき「権利」であると。でもあるわだかまりがあってあえてこの表現にしました。気分的にはちょっと複雑です。このあたりをもう少し整理してまた書きます。(いつになることやら…(^^; )
“配慮”から“権利”へ
私が「配慮」と書いたこと。普通、配慮と記せば、ある人のある人に対するある意図的な態度を指すわけです。しかし、配慮の態度の、繰り返し履行、日常化、汎化、は、慣れに至り、そして常識に移行する、という特性が認められます。例えば「あいさつ」を例にあげてみましょう。あいさつをした経験のない人が他人にあいさつするということは、初めてする時はとても緊張します。当分の間はあいさつという行為をするたびに構えて意識して行うでしょう。しかしそれが慣れてくると、または周りの皆が平気でそれをしているのを見ていると、今度は逆にそれをしなくてはおられなくなる。すなわちその人にとって日常習慣または常識になるわけです。そこに至れば、あいさつをしないということが逆に悪いこと、責められるべきものになるわけです。配慮という言葉にはそのような状況の移行・変化という意味合いが含まれてないのでこの言葉を使うことに多少の躊躇の念はありましたが、かといってこれに変わる言葉もないので、先の文章には「配慮」と括弧を付けて用いさせていただいた次第です。ですから、「配慮」は、最初は文字どおり“配慮”であったと思いますが、それが時の流れとともに「常識」と同義になり、更には「社会が保障すべき権利」となる、そんな人の意識の可変性に結びついた特殊な概念と受け取ってください。
ワーカーの、クライエントとしての障害者に対するアクションについて
私自身、ケースワーカーの端くれというところもあるわけで、自分が担当しているクライエントの援助依頼に対するお手伝い…いわゆる両者の協同作業…を通して問題解決を図ろうとする仕事ですから、ある意味では私自身があたかもそのクライエント自身であるかのように、私自身がクライエントの状況の疑似体験しているといえるところもあるわけです。私の業務上のクライエントは精神障害者である場合が多いわけで、そんな意味で精神障害者がぶつかる壁をわが身にぶつかる壁のように体験できるという意味で貴重な体験をし続けているところもあるわけです。やってみてうまくいったときは二人で喜び、うまくいかなかったら二人で嘆く。最終的には、納得する、甘んじる、妥協するというような一つの結果に行き着くわけですが、時にはかたくなに再チャレンジということもあります(これらはもちろんクライエント自身が決定すべきところですが、中にはまったく依存的で「ワーカーにお任せします」と言われる方もいます、でもそれも一つの自己決定と思います)。
私がよく経験する相談や援助依頼の具体的なところをあげれば、在宅精神障害者の例で言えば、最も多いのが「することがない(家での居場所がない、外出したくても行くところがない)」です。次に「お金がほしい」、次に「仕事をしたい」というところでしょうか。数は少ないですが、「(退院後に住む)アパートを探して」や「アパートを追い出されようとしている、何とかして」という住居に関する相談もあります。(もちろんケースワークというのは当事者自身の意志による相談、援助依頼契約があって初めて成立するものですから、たとえ前記のような状況下にある人が私の目の前におられたとしても、「困難であるとしても自力で解決します」とか「助けなんていりません」「現状を我慢します」等と主張している人であれば、「さぞお困りでしょう」「それではいけませんよ」などというようなアプローチまたはお節介は〔今日では〕すべきではないことと思っています。)
さて、上にあげた「することがない」の訴えまたはニーズを満たす手段を、今日の社会の中の通常の市場を捜して、手に入れることができるでしょうか。もし「出張遊び相手サービス」なんていうような商売があれば、私のクライエントなどはよい商売相手になるのではないかと思います。しかし現実にはこのような商売なんか捜してもありません。そうであればそれを代行または補完する機能を市場原理以外のところが行うしかないわけです。そんなところから、私たちが行っていることでもあるわけですが、その訴えを持ったクライエントの自宅に訪問し、トランプやバトミントンなどを持ち込んでいっしょに遊ぶ、またそんな人々に集まっていただいていっしょに遊ぶ、そんなことをしているわけです。
障害者が特殊というのではありません。この世の中に生きている多くの人々の中には特殊なニーズを持っている人々がおり、しかしながらそのニーズを満たす商品が現存の市場の中にないというところがあるが故に、私たちのようなワーカーなどの社会福祉の各種の機能が求められるところがあるのではないでしょうか。
身体障害者や精神薄弱者と違って、精神障害者に対する制度として確立された社会福祉施策や社会資源は現状ではまったく寂しいところです。それに加えて、偏見と言いましょうか、世間の精神障害者についての理解が乏しいところから、「何をしでかすかわからない人」のレッテルがまかり通っています。仕事を捜そうと職安に行き、求人中の職場を紹介されたものの、精神薄弱者だったら雇うが(点数にもなるし)精神障害者はダメ、と門前払いを喰らうことはしばしば経験することです。ですから、精神障害者の場合は精神障害者であることを伏せて求職活動や住居捜しをするのがむしろ一般的といえます。そのことは逆に就職や入居が一旦はうまくいくという経過を産むということにもなるのですが、でもやはりその方々が持っている人格的性格的特徴、作業能力の低さ、人間関係形成の困難なところ等のため、すぐに破綻してしまうというのがよく目にするところです。
職場を例として取り上げてみましょう。私自身が働くところとしての「良い職場」と精神障害者にとっての「良い職場」は、私が感じる限りは違っているとみています。これを一般論的に述べることは少し危険と思いますが、精神障害者にとって適応し易い職場といえば、一日3〜4時間程度の労働時間、隔日休、ストレス度の低い軽作業の業種、というところでしょうか。
ところが現実の社会にはこのような労働慣行、労働習慣はまずありません。川崎市で「集団就労」という実践がよく知られているところですが、私自身も病院勤務時代に職親(しょくおや)の協力を得て実践した経験があるのですが、このような取り組みを見てどのように感じられますか。
適応し易い=就労が安定する=(低賃金ながらも)収入が安定する=生活が安定する、という(ある意味では自己満足的なまたは独善的な)理屈を持っていることは事実です。やはり私たちと同等な高給のフルタイムの職場を目指すという人はおられるでしょう。それを目指す人に対して「やめとけ」などと言う気持ちは毛頭ありません。しかし、精神障害者であるが故の特徴から、よりリスクの少ない、より安定し定着の可能性の高い条件の職場を選択肢として整備するということはやはり重要なことと思います。
障害者はなぜ障害者と呼ばれる?
障害者が障害者と呼ばれるゆえんは、WHOの考え方を念頭に置いているわけですが、その人に機能障害や能力障害があるということよりも、その人が社会の中で生活をする上において何がしかの不利があるためというのが今日的な考え方でしょう。その不利とは何かといえば、私たち健常者と比べて社会の中で選択できる選択肢において制限があることと言うことができるでしょう。
私の知人に車椅子でしか移動のできないような下肢に不自由を持った人がいるのですが、本人には悪いのですがその人を例にとって述べてみたいと思います。
私の現時点の心身の状況を標準またはスタンダードと言うのは語弊があるかもしれませんが、現在の世の中では標準的な心身を持った私は、欲しようとすれば、街中を自由に歩き回れますし、電車にも乗れますし、山にも登れますし、このように字も書けますし、テレビを見ることもできますし、買い物も一人でできますし、友達に会いに行ってお喋りもできますし、…と、極めて多彩な選択肢に囲まれているわけです。ここで選択肢と書いたのは、別にそれを選択しなくても良いわけであり、つまりは自分の意志で引きこもりの生活を選択することもできるわけです。私に他人から「街中を歩かなければならない」と言われる筋合いはないわけであって、それは私の勝手であって、でもその気になれば歩くことはできるのです。
でも上に記した私の知人は、今ここで記したような選択肢のうちのいくつが準備されているでしょうか。街中を歩くということ、これについては彼は車椅子をりゅうちょうに操って結構不自由なく行ってしまいます。でももしこの世に車椅子のような器具が存在していなかったとしたら、彼にとってはこの街中を歩くという選択肢を奪われることになってしまいます。また街中には結構段差があります。彼のような上手な車椅子の使い手であっても、乗り越えられない段差はいくつでもあります。街中に段差があるということ、これも彼にとって段差の向こうに行くという選択肢を奪ってしまいます。でも彼もたいしたもので、そんなとき大声を出して近くの通行人を呼び止めて、たいていのところは乗り越えてしまいます。でもこれも彼の大声に対して応じていただける善意の人々がおられるからです。
私が条件整備と言ってる条件というのは、上の例であげたことに関連付ければ、彼のような人に車椅子を準備してあげること、街中の段差をスロープに直すこと、大声に応じてくれる人を増やすこと、と言えるでしょう。これらのことは、彼の意志ではどうしようもないのです。彼から見ればアカの他人や社会の合意がそれをしてくれない以上、結果として選択肢の制限だけが厳然として残ってしまうという現実が生じるだけです。(これらが整備されたとしてもそれを活用するしないについては本人の意思を尊重すべきことは当然と思います。)
(だから、この世からそのような人に対する社会的不利がもしも完全になくなってしまったら、私は「この世に障害者なんていない」と主張するかもしれません。)
(私は若干の近視があって、メガネがないと自動車の運転ができません。だからこのメガネという文明の利器がもしもこの世になかったとしたら、私は視力障害者になってしまうのかもしれません。だから、たとえ肢体不自由であっても近視者におけるメガネのように車椅子を始めとする種々の条件が整備されてしまえば、私の場合の近視程度というような感覚になってしまうかもしれません。)
社会が変わるということ
この社会の過去を振り返れば、きっと障害者については「排斥」の社会だったのでしょう。その中から「共生」の考え方が産まれ、それが拡大してきた、という経緯があるわけですが、その「共生」を拡大させてきた力は何だったのか。私は、なるべくして、とは見ていないわけで、どんなものでも「言い出しっぺ」または「仕掛人」「先駆者」という人がいるわけであり、そこに市民運動なり政策が結びついて実現していったと見ています。私自身、「共生」が普遍化した社会の実現を欲し、それを目指す運動の後押しをし、政策作りに係わっている人とのアクセスを試みているわけですが、だからといって「共生」は善、「排斥」は悪、または「共生」は「排斥」に勝る、というような感覚では見ていません。この社会は、ベースとしては「排斥」が力を持っている社会だ、だけれども「共生」を拡大させなければならない課題を持っている社会だ、というのが私の社会の見方です。
「ノーマライゼイション」ということ。この考え方は私たちが目指す社会のイメージとしていつも心に置いていることですが、だからといって、現在は「ノーマライゼイション」が完成した世の中とは思っていないわけで、今日においても「ノーマライゼイション」の実現のために皆が協力して努力しなければならないと思っています。現在の社会福祉の関係者にとっては「ノーマライゼイション」のビジョンは常識かもしれませんが、それに至るまでの時の流れがあったわけです。1950年代、北欧で展開された精神薄弱の子を持つ親たちの運動、それを理論化させたニルジェらの主張があり(おそらく彼らが仕掛人だったのでしょう)、それから時は流れて1980年代に入っての「国際障害者年」「障害者の10年」やそれらに関連した取り組みがあり、今日のような状況に至ったと思っています。
これらの社会状況の進展について、確かにここ1年か2年ぐらい状況を見る限りは変化はさほど感じられない、そんなところから「遅々として進まない」という評価の人もやはりおられると思います。でもこれは10年ないし20年というスパンで見つめなければならないことと思うわけで、そんな感覚で見れば確実に発展している社会であると、私の目には映ります。それと同時に私たちの運動や政策へのアプローチを通して、今後も発展させていかなければならない社会であると思っています。
私の障害者観
私は「障害者との係わり方についての一般論」という論理は成立しないと考えていまして、やはりこれは個々の人々に係わる中で一つ一つ考えるしかない問題とも思っています。
私は若いころから周りに障害者がおられたこともあり、また今は障害者に対する直接サービスの仕事に従事しているせいもあるでしょう、障害者と呼ばれるそんな人たちの障害(機能障害や能力障害)はその人の一つの個性程度にしか目に映らないわけです。確かにそんな個性を持っているということでその人たちと付き合う上での気遣いがあるということは否めませんが、だからといって個性は障害者であろうと健常者であろうと誰であっても持っているものであり、人と付き合うという意味合いで、その気遣いが、対する人によって質的に違うということはありません。
でも、障害者と呼ばれる人の個人個人が社会の中で生きる上でどうしてもぶつかる不利(もちろんその受けとめ方、様相も、個人個人によってまったく違うものでしょう)、その不利が厳然として存在しているんだ、という認識が、私の考え方のベースになっています。
ありがとうございました。
1995.9.23〜1995.11.5
[ 1996.11.15 登載]