昭和31年度


医療保障制度に関する勧告について
                               昭和三十一年十一月八日                                社会保障制度審議会会長発内閣総理大臣宛  本審議会は、昨年以来、わが国の医療保障問題について慎重なる検討を行ってきたが、現下における医療保障制度 ならびに国民生活の実情にかんがみ、すみやかに医療保障制度の改善を行い、国民皆保険体制を確立する必要がある と考える。よって本審議会は、政府が直ちに医療保障制度に関して、諸改革を行うよう社会保障制度審議会設置法第 二条第一項の規定により、別紙のとおり勧告する。          目    次   前   文  第一章 医療保障の体系  第二章 零細企業に対する健康保険の適用  第三章 健康保険の運営  第四章 国民健康保険  第五章 医療給付水準  第六章 診療報酬支払制度  第七章 保険医制度  第八章 医療機関の整備と医薬品  弟九章 国庫負担と本人負担  第十章 結核医療制度の確立        前    文 一、医療保障の現状   さきに昭和二十五年十月、本審議会は、社会保障制度に関する全般的な構図を作成して、これを政府に勧告し  た。その後六年の間に、これについて果してどれだけの進展が図られたであろうか。他の部門はしばらくおき、こ  こにとりあげようとする医療の面に限定して観察するに、   国民健康保険については、昭和二十八年度より給付費の二割に相当する国庫補助制度が採られることとなった  が、総じて従来の赤字財政を解決するに至らず、したがって給付の改善も行われず、その普及割合は対象となるべ  き国民のおよそ半ばをこえたに過ぎない。   健康保険にあっては、給付期間の延長、抗生物質の大巾採り入れなど、給付改善が行われたが、適用範囲の拡張  は、わずかに、日雇労働者に対して、給付費の一割に当る国庫負担を得て、健康保険を下回る制度が創められた程  度である。しかも中核をなす政府管掌健康保険は、近年赤字に苦しみ、その解決策について未だに目鼻のつかない  状態にある。   一方、貧富の開きの拡大とともに、生活保護法による医療扶助を受ける者は、年年増加して、その財政負担は二  百億円に達せんとし、また昭和二十六年制定された画期的な結核予防法も、地方財政窮迫の直接的影響を受けて、  その実績にみるべきものが乏しい。   とくに注目すべきは、医療における、機会の不均等である。疾病が貧困の最大原因であることを思い、生命尊重  の立場に立つならば、教育と並んで、医療の機会均等は最優先的に重視されなければならぬ。しかるに、古くから  の懸案である無医村の解消には、はかばかしい進捗もなく、医療機関の編在も是正されず、政府はいたずらに少数  の優秀病院の設立維持のみに重きをおいているとさえいわれる。また、医療費の高騰と低所得者の増加から、大病  にかかった場合には、一時に必要な自己出捐をすることはほとんど不可能となっているのに、医療扶助にも該当せ  ず、いかなる医療保険からも締め出されている国民が、全体の三分の一もとり残されている。すなわち、単に零細  企業に雇用されているということだけで、健康保険の適用から除外されているものが、今日なお三百万人もある。  その家族を合わすと、その数は恐らく一千万人に達するであろう。また、その居住する町村が国民健康保険を実施  していないため、被用者以外でなんらの医療保険にも加入できない人びとも二千万人はあると推定される。この現  状は、公平の見地からみても寒心に堪えないものがある。   また、このような機会不均等は、社会正義の立場からも、到底見逃しがたいものがある。最近国民皆保険の声が  天下に高まりつつあるのも、これを裏書するものにほかならない。社会保障の分野としては、年金、母子福祉をは  じめ、相当立ち遅れている部分があるにかかわらず、この際本審議会が、あえて医療保障の問題を強くとり上げた  ゆえんは全くここにある。 二、国民皆保険への途   そこで、当審議会は政府に対し、まずつぎの二つの施策を直ちに実現することを要請する。   すなわち、第一に、たとえその給付水準については、現行健康保険にいささか劣るものがあるとしても、被用者  五人未満の零細事業所に対しても健康保険を実現すること、第二に、年次計画をたてて、すみやかに国民健康保険  の設立を強制化する方途を講ずることである。そして、これこそまさにわれわれが望んでやまぬ国民皆保険への第  一歩であることは忘れてはならぬ。   つぎに、健康保険系統に属する国民と、その他の国民(国民健康保険をふくみ医療扶助を除く)との間における  病床の利用率の開きは、ほとんど五対一といわれている。これを医療費一人当り年額についてながめると、政府管  掌健康保険の被保険者は六、五〇〇円、同被扶養者は二、〇〇〇円、日雇労働者健康保険の被保険者は三、五〇〇  円、同被扶養者は一、〇〇〇円、国民健康保険においては総平均一、三〇〇円、これらに属しない国民の分はおよ  そ七〜八〇〇円程度と推定される。この数字は、とりも直さず医療保険を持つものと、持たないものとが、医療に  対していかに不公平な立場におかれているかを示すものであるが、同時に、また、健康保険の被保険者と被扶養者  および国民健康保険の被保険者との間における保険給付のアンバランスをも示唆している。とくに、国民健康保険  については、その給付範囲がせまくその給付率が低いため、貧しい人びとは、ただいたずらに保険料を掛け捨てす  る結果となっているという非難を耳にするが、まことに故なきではない。   そこで、当審議会は第三に、国民健康保険の被保険者についてはもちろんのこと、健康保険の被保険者の家族に  ついても、その医療給付率は少なくとも七割に引上げることを強く要請したい。   もちろん、いずれの形にせよ、全国民がもれなく医療保険に加入させる制度を確立することは、決して容易なわ  ざではない。国民健康保険が現在の普及の程度にとどまり、健康保険が被用者五人未満の事業所に拡張されないこ  とについては、それなりに十分な理由の存するところである。したがって、国民皆保険を実現するためには、これ  らを一つづつ具体的に解決して行かなければならないのである。もちろん、法律を制定し予算をふやすことが、絶  対に必要であるが、とくに強調したいのは、まずなによりも、政府、保険者、医療担当者、事業主、被保険者、い  な国民のすべてが、社会連帯の精神をもってこれが実現に全力を注ぐ覚悟が必要であるということである。 三、結核対策の確立   近年における国民死亡率の著しい低下、余命年数の飛躍的な延長は、まことに目をみはるべきものがある。そし  て医療保険の普及活用が、この結果に対して与って大いに力あることも、全く疑を容れない。しかしながら、ただ  結核については、その死亡率が驚くべき減少を示したにもかかわらず、患者数においては依然としてその数を減ず  る傾向だにも示されていない。さきに述べた健康保険の赤字も、また一つには、この膨大な結核患者数とこれに対  する化学療法その他の新しい治療法や薬剤の発見による医療費の著しい膨脹に基づくものであることは争いのない  事実である。もちろん、これについては、結核に対する国の施策がきわめて微温的であり、しかも行政的にも、ま  た資金的にも、一貫したものがないことにも基づく点を指摘しておく必要がある。しかもそのため、医療保険の枠  内にあるものはともかく、その枠外に放置されている人びとに至っては、全く生活不安のどん底に呻吟しつつある  というのが偽らざる現状である。かかる現状にかんがみ、当審議会はすでに昭和三十年三月政府に対して「結核対  策の強化改善に関する勧告」を行っているのであるが、政府はあえてこれを顧みようとはしない。よってここに改  めて抜本的な結核対策の樹立を要請する次第である。すなわち、結核の予防と治療を通じ、行政的にも資金的に  も、一貫した施策を行うために、特別の機構を設けるとともに、さし当って必要な臨時調整的な措置を直ちにとる  ことを強く要望している。 四、財政計画へ織りこめ   もちろん、これら四つの要請を実現するに当っては、医療行政の監督、運営はもちろん、すすんではまた診療報  酬支払制度、保険医制度、医療機関、医薬品などについても、思い切った施策が必要であることはいうまでもな  い。   また、国の財政負担についても相当の増額は当然に覚悟されなければならない。同時にまた、これらの負担は、  今後の財政計画のなかに具体的にこれを織りこむ必要がある。もちろん、これらの支出は国民の貴重なる血税の再  分配であるから、もっとも公平かつ有効に配分されるべきことも議論の余地がない。その意味において、医療保険  における幾多の不正不当、無駄な支出、医療費の合理化等についても、とくに積極的な対策が不可欠である。いず  れにしても、この際とくに明らかにしておきたいのは、これらの支出は、結局は国民生活の基本に直結するもので  あり、すでに具体的に顕著な効果をあげているのであって、財政が受持つ所得再分配の役割からいっても、他の経  費を差し繰っても、もっとも優先的に採り上げられなければならないものであるということである。この点につい  ては、政府は根本的に頭の切替えを要するであろう。   終戦以来十一年、ようやくにして戦後復興経済の段階を脱却したわが国は、新憲法の掲げる福祉国家の目標に向  って、新たなる巨歩を踏み出すべきまたとない好機に直面している。これまでは、戦災の復旧、生産の回復、自立  経済の確立に主力を注がざるを得なかったため、国民の所得再分配ないし社会保障の面がかなり不十分となったこ  とも、あるいはやむを得なかったというべきかも知れない。しかしその段階はすでに過ぎたのである。でき得れば  現在以上の貧富の開きはないことが望ましい。少くとも、これから以降の国民所得の純増加、国家財政規模の純増  加のうち、相当の数字に達する一定の割合は、従来の所得分配を補正する意味において、年金をもふくむ社会保障  の面に投ずる長期国策の確立を、われわれは強く政府に勧告したい。と同時に社会保障は、社会連帯の精神の裏づ  けなくしては、真の成功は期待できないことを、ひろく国民に訴えたい。        第一章 医療保障の体系 一、医療保険の不備   いま、わが国の医療保障は一つの壁につき当っている。労働者には健康保険がある。農村には国民健康保険が普  及している。しかもなお、これらの保険から漏れている人びとが三千万人もあるといわれている。国民のすべて  が、傷病に当って必要にしてかつもっとも効率的な医療をうける場合、ここにはじめて医療保障制度は確立される  のであり、われわれはまず何よりもこの壁をつきやぶらねばならない。今日、生活保護法による医療扶助がその金  額において生活扶助を上回っているのも、こうした医療保険の不備が一半の原因となっている。医療扶助もまた医  療保障制度の一環である。しかし、扶助はあくまでも扶助であって、社会保障制度のなかではむしろ補完的役割に  終始すべきものである。これらのことについては、すでに前文においても述べたところである。 二、社会保障と社会保険   世には、社会保険を中核とする医療保障制度は社会保障の後退であると称するものがある。しかし、英国にみら  れるような、国の直接かつ全面的な責任の下に、国自らが管理する公営医療の形態をとる場合においても、国民が  力を合せてその負担において医療保障を実現しているのである。ただその負担が主として租税により、保険料によ  る部分が僅少であるというだけのことである。したがって、保険料を主とする形式によってやっても、やり方によ  っては、社会保障の後退ではない。いかにも今次の大戦以後、世界的動向として「社会保険から社会保障へ」の途  が押し進められた。しかし、そのことは何も保険主義の否定を意味するものではない。そのねらいは、従来単に労  働者のみを対象として社会保険を、ひろく全国民を対象とした社会保険に切りかえることにある。そしてこのこと  によって、ひろく国民をすべてあらゆる危険から平等に、しかも必要最低限度において守ろうというのである。か  のビヴァリッヂ報告書も社会保障は「まず、何によりも一つの保険計画であり、拠出に応じて生活水準に達する給  付を与えるものである。しかも、それは権利として与えられるものであって、資力調査を前提としない。」と述べ  ているのである。 三、健康保険と国民健康保険の二本建   医療保障制度の理想的形態については意見の分れるところであるが、いま直ちにわが国において、英国流の公営  医療を実現することは恐らく至難であろう。と同時に、わが国においては、一元的な医療保険を全国に及ぼすとい  うことは、当分の間は望みがたい。そこで現実の問題としては、今後相当の期間は、健康保険を中軸とする被用者  保険と、国民健康保険を中心とする地域保険の二本建のままで進み、国民皆保険の体制への途を切りひらいてゆく  という方向をとらざるを得ないであろう。そしてこれを補完する制度として、医療扶助もまたその姿をとどめなけ  ればならないであろう。   かくのごとく、わが国の医療保障制度が保険主義をとり、しかも当分の間は、二本建をとらなければならないの  は、一つには、わが国の医療制度が英国のような公営医療を実現し得るような体制になっていないことに基づく。  今日多くの国が公営医療主義よりは保険主義をとっているのも、全くかかる理由からである。すなわち、原則とし  て医師を公務員もしくはこれに近い地位に置き変えない限り、公営医療の実現は困難であるからにほかならぬ。ま  た、われわれが、健康保険と国民健康保険の二本建を是認したのは、この際、理論にこだわるよりも、とにかく国  民皆保険へ一歩でも近づくことが急務と認めたからであるが、同時に、わが国の医療機関の整備その他の状況が到  底一元化を許さないものがあるからである。   なお、健康保険と国民健康保険の二本建を認める以上は、健康保険の被保険者であって給付期間の満了したもの  が医療保障からはずされるようなことのおこらないよう、健康保険あるいは国民健康保険において、万全の措置を  講じておく必要がある。 四、労災保険、船員保険、共済組合   もっとも、現行被用者保険には、健康保険のほかに労災保険あり、船員保険あり、共済組合がある。したがって  たとえ被用者保険と国民健康保険の二本建をとるとしても、本来の筋合からいえば、これら各種の被用者保険は、  これを統合すべきものとも考えられる。しかし労災保険については、それが事業主の無過失賠償責任の原則を前提  とするかぎり、労働基準法の関係があり、これを統合することは困難である。また船員保険や共済組合は、その本  質において一種の組合保険であって、必ずしもこれを統合する必要もあるまい。しかもこの際、われわれが一切の  力をあげて断行すべきは、かかる統合の問題よりは、むしろ、人口の三分の一にも当る未適用者の保険加入の問題  である。   もちろん、これら各種の保険の存在を認めるとしても、それらに関する関連法規がきわめて複雑多岐にわたって  いること、そのため医療保険の監督、診療に関する手続、保険料算定の基礎となる賃金などについて総合調整を行  う必要のあることは、これを強く指摘しておかねばならぬ。 五、失業者の医療保障   失業者は、疾病または、負傷のため職業安定所に出頭して失業の認定がうけられない場合には、失業保険金はも  らえない。したがって、長期の疾病の場合には、生活保護法による以外生活保障の途がない。これは失業保険が労  働能力ある失業者のみを対象としている以上は、当然の措置といわねばならない。しかし、医療保障の立場からい  えば、医療給付だけはこれを保険から行うのが妥当といわねばならぬ。そこで、たとえば離職後一年内にかぎり、  本人の場合のみではなく、家族の疾病負傷についても、医療の給付を行うがごとき措置を講じてはどうかと考え  る。もちろん、継続給付として医療の給付をうけているものについては、かかる措置は必要でない。なお、かかる  給付に要する費用は、健康保険よりむしろ失業保険において負担するのが妥当であることを指摘しておきたい。        第二章 零細企業に対する健康保険の適用 一、零細企業と健康保険   今日、わが国の労働者が、大企業の従業員であるか、中小企業の従業員であるかによって、賃金、労働時間その  他の労働条件において、はなはだしい格差を示しているのは、まことに遺憾である。ことに零細企業に雇用されて  いるということだけで、同じ労働者でありながら、健康保険の適用から除外されているものが、今日なお、三百万  人程度はある。したがって、その家族を合わすと、その数は恐らく一千万人に達するであろう。これは、国民とし  てこのまま放置しておくわけにはゆかぬ問題である。これらの人びとの生活を守るためには、最低賃金制度の確立  ももとより必要であろう。また、厚生年金保険の適用や失業保険の適用も当然に考えねばならぬ。しかし、疾病が  貧困のもっとも大きな原因であることを知る者としては、とくに健康保険に加入する者とそうでない者とのアンバ  ランスが余りにも甚だしいという事実を前にして、まずこの問題から解決してゆかねばならないと思う。 二、零細企業と国民健康保険   これらの健康保険の未適用者については、もちろん、健康保険の適用を行うように改めるのが本筋である。とこ  ろで、これについては、むしろ国民健康保険を利用させる方が現実に即した解決法であると主張する者もないでは  ない。すなわち、これらの人びとは、多くは事業主であり同時に労働者であるような一人親方のごとき者に雇われ  ている場合が多いのであるから、むしろ事業主をも含めて国民健康保険を利用させた方が現実的であるというの  である。確かに一つの考え方である。現に特別国民健康保険組合にはかかる内容のものがある。しかし、本来の筋  合からいって、従業員に関するかぎり、これを国民健康保険に持ちこむのは問題である。その上に事業主について  も、むしろその希望があれば、これらの人びとをも一括して、健康保険を適用する方がはるかに筋が通っていると  考えられる。現に、法人の場合にはこうした取扱がとられていることも忘れてはならない。 三、第二種健康保険の構想   そこで、われわれは個人事業主を含めて、零細企業の従業員に対する健康保険の実現を望むわけであるが、これ  らの人びとをいま直ちに、現在の健康保険に加入させることはどうかと思う。これらの人びとについては、その賃  金が一般にはきわめて低いと推定されるので、これらの人びとを健康保険に加入させるとなると、保険料はうんと  低くなるはずである。また、それをカバーするため、膨大な国庫負担を必要とする。あるいは現在の政府管掌健康  保険の被保険者および事業主の負担を一そう重からしめる。それに賃金その他の報酬が月月に相当変動する場合が  多く、またその従業先の移動もはげしいとみなければならぬ。そこで、たとえば、保険料はこれをフラット制とし  普通の健康保険よりも低いものとし、また場合によっては、本人の保険料を軽減して家族保険料を徴収することも  考えられる。なお、保険料の徴収はこれをスタンプ制にするのがよい。また傷病手当金などの金銭給付は、これを  フラット制にする方が現実的であると考えられる。もとより好ましいことではないが、事務的にいっても当面かか  る措置が必要である。また、給付の水準もこれを健康保険と同一にするのが筋合であるが、当分の間は、たとえば  傷病手当金や療養の給付期間などについては、ある程度の区別もやむを得ないのではあるまいか。なお、今日、甚  だしい給付制限をうけている日雇労働者健康保険はこの新らしい健康保険に統合する工夫が望ましい。右に述べた  新らしい健康保険をかりに第二種健康保険と名付け従来の健康保険を第一種健康保険と呼ぶことにしよう。 四、強制加入への途   そこで、第一種健康保険に強制適用されない被用者は、これをすべて第二種健康保険に加入させるよう強制化す  るのが筋合である。このようにして労働基準法の適用をうける一切の労働者を健康保険に加入させるべきである。  もちろん、これに加入せしめることが、至難である業種があるとすれば、例外的にこれを除外することも場合によ  ってはやむを得ないであろう。しかし、いずれにしても、現状からいって、直ちにすべての零細企業の従業員が第  二種健康保険に強制的に加入せしめることは、それはただ形の上だけの取扱となり、実質的にはかえって抜けてし  まうものがでてくるおそれがないではない。そこでさし当っては、相当の国庫負担による実益を認識させ、少くと  も大部分の者がよろこんで加入するという奨励方法をとるとともに、遅くとも三年後にはこれを強制すべきであ  る。なお、五人未満の零細企業の従業員といえども、希望があれば第一種健康保険への加入の途は、もとよりこれ  を聞いておくべきである。また、たとえば零細企業でなくても料理飲食店の従業員のごとき職種については、第一  種健康保険の代りに第二種健康保険に加入する途を認めてもよいのではあるまいか。また、現実において、この制  度の運営については、健康保険組合の形式が大いに奨励されてしかるべきであろう。        第三章 健康保険の運営 一、運営上の欠陥   現在の政府管掌健康保険は、その運営面において幾多の欠陥を露呈した。これは一つには医療保険そのもののむ  ずかしさに基づくものであるが、また一つにはその運営が拙劣であったからでもある。   たとえば、都道府県によって受診率や診療報酬の一件当り点数が著しく異なっている。昭和二十九年度の調査に  よれば、入院患者の受診率は、ある県では被保険者千人当り一三八であるのに、ある県では三〇〇となっている。  また入院外患者一件当り点数もある県では四六点であるのに、ある県では七七点となっている。余りにもその差が  激しい。また最近、診療報酬の点数が、薬剤について高いものを使用すると逓減するような暫定制度になったとた  んに、診療報酬が著しく低くなったといわれる。こうした欠陥は、主として、今日の政府管掌健康保険が官僚独善  的運営下におかれていることに起因しているのである。例外的ではあるとしても、水増し診療のあることは、否定  できない事実であり、病人が健康保険を利用せんため、偽装雇用を行っていた例もある。健康保険の財源は、単に  患者である被保険者だけが出しているもではない。日頃から健康に十分意を注いで病気にかからない者も同じよう  に出しているのである。ほかに事業主の負担もある。このことを思えば、これらの健康保険の悪用に対して適当な  処置を怠った政府は、その責任を追究されてもやむを得ないであろう。加えるに、最近赤字対策に迫られるのあま  り、制度の根本を改めて医療費の合理化をはかるだけの余裕なく、単に医療費総額の減少にのみあせる結果、その  欠陥は層一層増大の傾向すらみえる。そしてこのことは、一つには、政府自らが保険をいとなみ、同時にこれを監  督するという二役を演じているためである。 二、組合保険主義に移行せよ。   そこで政府管掌保険を公社に切り替え、経営の改善をはかってはどうかというような主張もでてくるわけである  が、公社の組織が現在のようなものであるかぎり、結局は国営の場合とほとんど変らない独善約運営が行われるの  がおちではないかと思われる。経営の改善をはかり、その自主性を確保するためには、むしろ思い切って組合形態  に移す方が望ましい。   もちろん、今日の健康保険組合は、その大部分が一企業内における組合であり、労務管理的色彩の濃厚であるた  め、ときには社会保障制度の一環であることを忘却してしまう嫌いがないではない。   社会保険の精神からいえば、組合の場合においても、法定給付については、保険料の労資折半の原則はこれを尊  重すべきである。そして附加給付については附加保険料をもって賄なうとともに、このかぎりにおいてのみ事業主  の負担割合を多くするなどの措置を考慮すべきである。また、法定給付に関するかぎり、現に積立てている各組合  ごとの法定準備積立金を一括して運営できるような運用方法も大いに考慮に値するであろう。いずれにしても、健  康保険組合もまた、社会保障の一還として運営されるべきものであり、労務管理的色彩はこれに附随してのみ認め  られるものであることを忘れてはならない。この一点を忘却しないかぎり、この際でき得るかぎり健康保険の運営  を組合保険主義に移行させ、その民主的運営によって、相互扶助の精神をつちかうのはむしろ時宣を得ていると判  断される。すでに労働組合も相当の発達をみた今日、それは一層適切といえよう。しかも、健康保険組合には企業  別組合のほかに、いわゆる綜合組合として、地域組合や職域組合がある。そして、政府管掌健康保険の組合管掌へ  の移行を奨励することとなれば、かかる組合の方が多く設立されると考えねばならぬ。そしてこれらの組合を通じ  て、経営の自主性は、各種の創意をもって強化されることになるであろう。 三、政府管掌健康保険の必要性とその運営の改善   もちろん、健康保険に加入を強制される者のすべてを、組合に吸収することは不可能であって、そこにはおのず  から限度があると思われる。この組合に吸収されない被保険者のためには現在の政府管掌健康保険が必要である。  さらに第二種健康保険についても、組合の設立を奨励するのが望ましい。しかし、それでもとり残される人びとは  少なくないと思われるので、これらの人びとについても、政府自らが保険を担当することが必要である。このよう  にして健康保険の被保険者であって組合に加入しないもののためには、従前のごとき政府管掌健康保険を残す必要  がある。しかしこの場合、従来のごとく同一の官庁が、経営と監督を行うことはとりやめ、思いきって両者を分離  し、保険運営の責任を明確にすることがもっとも必要である。   つぎに、政府管掌健康保険においてもその自主性を確保するために、たとえば、府県ごとにその地元の関係者に  よる運営協議会を設け、適切な措置を行い、これによって関係者自らがその保険料の無駄使いのないよう十分の反  省をする機会を与えるべきであろう。        第四章 国民健康保険 一、国民健康保険の強制設立   今日その居住する町村が国民健康保険を実施していないため、自営業者など被用者以外でなんらの医療保険にも  加入できない国民は二千万人にのぼると推定される。   そこでそれらの人びとについては、国民健康保険の設立を強制して、すみやかに国民皆保険の実をあげなければ  ならない。しかし、かりにいま直ちに全国的強制を法制化するとしても、とくに大都市においては、その事務機構  財政負担などの点において実施上相当の困難があるように思われる。また現在の給付程度では一部のものしか利用  できないという批判もあるのであるから、まず何よりも国庫負担の増額をはかるとともに、その給付内容を充実さ  せ、その財政をも確立させ、大多数の国民がよろこんで加入する体制を築き上げることが必要である。そのために  は、三年ないし五年の年次計画によって、できるだけすみやかに強制設立が実現できるよう万全の措置を講ずるの  が適当と考える。 二、国民健康保険の経営主体   国民健康保険の経営主体については議論がある。現行のごとく市町村のままでは保険経済の範囲がときには余り  に狭いため、保険の運営が困難であるし、医療機関の充実をはかる上においても範囲が狭すぎるなどの欠陥がある  から、この際これを都道府県の経営あるいは都道府県を範囲とする組合経営に移してはどうかという主張も見受け  る。しかし現状からいえば、当分の間はむしろ保険に対する責任を身近かに感ぜしめ、その自主的創意をはかる万  策をとるべきであって、そのためには、市町村の経営による形式を推し進めて行くのが妥当であるように思われ  る。もちろんこの場合には、市町村間における財政力のアンバランスの調整をはかることが必要である。そしてそ  のためには、現行の国庫負担の配分方法について改善を加えるとともに、国民健康保険団体連合会の組織を強化し  て、たとえば都道府県ごとに基金を設け、これに保険料の一部をプールせしめるなどの方法によって、再保険的体  制をつくりあげる必要がある。また、各市町村の医療機関の連係を密にするとともに必要なところでは連合会が経  営する医療機関の設置をも考慮すべきである。   なお、今日行われる国民健康保険のなかには、保険経済に対する慎重な分析を怠るとか、医療機関との連絡調整  を欠くとか、運営の拙劣なものが少なくはない。理事者の啓発も必要であろうが、ひろくこの保険に対する国民の  認識を深めるための措置を講ずるべきである。 三、国民健康保険の給付率   国民健康保険の給付率は、現在多くの場合五割給付であるが、これはこの際少なくとも七割まで引上げる必要が  ある。給付率が五割にとどまっていることは、少額所得者の人びとをして保険に対する不信を招き、ときには医療  扶助の救いをむしろ唯一のたよりとするがごとき窮状に陥しいれている。われわれは後に述べるように、健康保険  における家族療養費を七割程度に引上げることを主張するものであるが、これと均衡をとる意味においても、国民  健康保険の給付率はこれを七割以上に引上げるべきである。しかも、このことは将来、国民皆保険が達成されたあ  かつきに、被用者保険の家族を、もちろんその利益を害なうことなく、国民健康保険に吸収することを考える場合  においても、その調整に便宜であろう。なお現状では、二重加入はこれをさけ、健康保険の家族については、被保  険者と同様、これを国民健康保険に加入させないことが望ましい。        第五章 医療給付水準 一、医療給付水準の意味   われわれの理解するところでは、医療給付水準というのは、社会保障制度がいろいろな形において給付する医療  の水準であって、その中味としては、医療の内容、医療給付の範囲、医療給付の期間および医療給付の給付率を含  んでいる。また、ここで医療というのは、医師による診察や治療はいうにおよばず、投薬、注射、その他治療材料  の支給や各種の検査はもちろんのこと、そのほかに予防措置をも含んでいる。さらにまた、病院や診療所が提供す  る病室や手術室などの施設や、レントゲンとか手術台とかいった設備をも含んでいる。したがって、それは単なる  診療の意味ではない。 二、医療内容の均質性   社会保障における医療の給付水準をこのように理解するとすれば、まず明確にしておかねばならないのは、医療  の内容が制度によって異なってもよいかどうかということである。たとえば、現行制度では扶助の場合も保険の場  合もこれを区別せず、同一の内容のものを提供しているが、これは医療担当者の心構えとしてはともかく、現実に  は問題であると主張する者がある。しかし、いかに財政上の困難があるとしても、医療保障制度が社会保障制度の  一環であるかぎり、生命尊重の本義はこれを忘れてはならない。その意味において、当事者の拠出を前提とする医  療保険であっても、また単に一方的に公費によって賄われる医療扶助であっても、いやしくもそれが医療であるか  ぎり、その内容が異なってはならない。もちろん健康保険と国民健康保険、第一種健康保険と第二種健康保険など  の間において、これを区別するごときことは、断じて許すべきではない。 三、効率的な医療   しかしいかに生命尊重の本義を忘れてはならないといっても、そこで行われる医療の内容に無駄があり、ぜい沢  があってはならない。医療保障が社会保障制度の一環であるかぎり、そこで保障される医療の内容は必要にしてか  つもつとも効率的な医療でなければならぬ。診断、治療、投薬、注射その他治療材料の支給や検査などについてこ  の原則が守られねばならないとともに、とくに医療の設備や施設についても、それが「必要にしてもっとも効率的」  なることが要請されるのは当然のことである。なお、ここで「効率的」というのは、まず第一には、それが技術的  にみてもっとも効果的であるということであり、第二には、経済的に無駄があってはならないということを意味す  る。もちろん、その場合においても、高くともより効果があり、早くなおる方法があれば、これを採用するという  意味である。そこでこれと関連して現在、社会保障制度としてはぜい沢すぎる医療設備や施設がありはしないか一  応反省してみる必要がある。   もちろん医療保障がひとしく国民に必要にしてかつもっとも効率的な医療を確保しようとするものであるかぎり  医学、医術の進歩をできうるかぎり助長し、その成果を活用するように配慮するのは当然である。しかし、新しい  診療方法の採用については、その効果が的確であり、かつ効率的であるかどうかを十分に確認する必要があるとと  もに、すみやかにこれを採り入れる措置を講ずべきである。なお、これが採用に当っては、たとえば、現行の結核  の場合のように、各科別に治療指針を作り、その診療が効率的に行われるよう指導する必要がある。 四、予防給付の必要   医療保障制度は本来傷病そのものを治療し、これにもとずく生活不安を防止しようとするものである点にかんが  み、予防の面をも重視する必要がある。このことは社会保障に関する国際条約が定めている最低基準の考え方から  いっても当然であるし、予防によってのみ発病は防止されることからいっても当然である。医療の内容に予防措置  を含めたのもかかる見地からであって、発病防止のための協力こそは、医療保障の社会連帯的性格を貫ぬくための  もっとも有効な措置の一つであることを忘れてはならぬ。かくてわれわれはまた当然に一定の範囲における予防の  費用、たとえば結核における健康診断や発病防止の費用のごときは、これを給付のなかに採り入れるべきであるこ  とを主張する。   なお、現在「疾病」とか「治癒」の概念は必ずしも明確ではない。そのため、取扱いが区々になっているようで  あるから、これは治療指針などによって、明確にする必要がある。 五、労災保険における医療   また現在、その診療報酬支払制度が異なっているため、業務上の傷病に対する医療と業務外の傷病に対する医療  とがその内容を異にする場合がないではない。しかし、本来の筋合からいえば、業務上の傷病についても、業務外  の傷病についても、同一内容の医療がなさるべきであることは、保険による医療と扶助による医務がその内容を異  にしてはならないのと全く同様である。したがって、この点については反省してみる必要がある。もちろん、そう  だからといって、現在業務上の傷病について行われている医療の内容がレベル・ダウンするがごときことがあって  はならぬ。 六、医療給付の範囲   つぎに、医療給付の範囲であるが、これは疾病負傷の区分とか看護、移送、給食のごときものの取扱をいうので  あって、理想的には各制度によって区別されるのは好ましくなく、均一化に向うべきであるが、現実の問題として  は、制度によってある程度の区別はやむを得ないのではあるまいか。たとえば、健康保険の場合には給付として認  められるが、医療扶助の場合には認められないものがあっても差支えないのではないか。禿頭病とか見苦しい程度  のニキビのごときものはそういったものである。しかし、今日の国民健康保険において、入院患者の給食や移送料  など給付の制限がなされているものが多いが、かかる区別は好ましいことではない。またたとえ医療扶助であって  も看護や移送については、生命尊重の本旨を貫くべきであることはいうまでもない。 七、医療給付の期間   健康保険については一定の期間にこれを限定しているが、少なくとも使用関係がある場合には、転帰まで、給付  を行うのが筋合のように思われる。そこで、もし現行制度のごとく一定期間にこれを限定するとすれば、原則とし  てその期間後は廃疾として処理されることが望ましい。   またわれわれは、さきに、第二種健康保険については、その給付水準を幾分低くしてはどうかということを提案  しておいたが、それは、医療の内容や医療給付の範囲についてではなく、医療の給付期間や受給条件についてであ  る。たとえば、第一種健康保険に比較して機分その給付期間を短かくするなどの措置をとってはどうかということ  である。 八、医療給付の給付率   現在、健康保険の被保険者は医療費の全額を給付されるが、その被扶養者や国民健康保険の被保険者は医療費の  五割しか支給されていない。これは、給付率が相違している一つの例である。いま、われわれが医療保障制度の推  進を考えるに当り、未加入者の医療保険と並んでその実現を望んでやまないのは、この給付率のアンバランスの是  正である。すなわち、国民健康保険の被保険者や健康保険の被扶養者の給付率を健康保険の被保険者のそれに近づ  けるために、これを少なくとも七割程度に引上げるということである。そしてそのためには、もちろん、後に述べ  るような国庫負担の増額が必要であるが、この点政府の決意を強く要請しておきたい。        第六章 診療報酬支払制度 一、各種支払制度の採用   いうまでもなく、医療保障制度の下における診療報酬支払制度は、その事務が簡素であり、同時にまた無駄な診  療や薬剤の投与を排除しうるがごときものでなければならぬ。すなわち、もっとも効果的な診療が行われ、しかも  これによって医術の向上が期し得られるようなものでなければならぬ。こう考えるとき、現行の診療報酬支払制度  は多くの点において改善を加える必要がある。すなわち、点数単価方式そのものについても、またその内容の盛り  方についても問題がある。たとえば、現行制度の下においては、医師の技術はほとんど評価されず、その診療報酬  は、診療効果というよりは、薬品や注射の使用量など外形的な要素に依存して支払われるというような重大な欠陥  をもたらしている。かくて、はなはだしい場合には技術よりも体力のまさる医師が多く報いられるがごとき結果と  もなり、医学の進歩に即応した医療が行われがたいといったことさえ生じているのである。かかることは、医療水  準の向上をはかり、医学、医術の進歩を促すゆえんではなく、良識ある医師を満足せしめるものでもない。またこ  のことは現行制度の下においては、保険医が疾病の予防になんら協力し得るような体制がとられていないことと相  まって、予防軽視に拍車をかけているともいうことができる。   また、医療保険の経営主体が前述のごとく、組合、政府、市町村という風に各種のものに分れるとすれば、支払  制度もこれを単一の方式にくぎづけるのは問題であって、幾分の幅をもたせることが望ましい。すなわち、保険者  や医療機関の相違に基づき都市と農村との実情の相違を十分に考えた上で、数方式を組合せて採用するとか、ある  いは数種のものの選択を認めるとかの措置が必要である。そして、このうちから最終的に落ちつくべき最善の形態  が生れて来るであろう。もっとも、このようにして各種の方法を採用するとしても、できれば政府は一つの基本的  方式を示すべきである。   なお、あらたにいずれの方式によるとしても、薬品偏重の弊害は、これをできるだけ抑制するような支払制度が  必要である。 二、個人的技術差の措置   いずれの方式をとるにしても、診療の個人的技術差を採り入れるよう考慮することは必要である。これによって  技術の進歩改善がはかられるとともに、また、診療における個人的技術差に対してなんら報いられるところがない  という不合理も除かれるからである。しかし、さて、この技術差をいかにして評価するかということになると問題  は簡単ではない。試験による認定とか学会による認定とかの制度も一つの方法であろう。しかし、これも実施する  段になると諸種の困難を伴なう。また患者をして技術差の評価を行わしめるため、たとえば初診料に差等を設け、  医師、歯科医師の希望により医師会、歯科医師会がこれに関与してその認可、公示を行うという方法も考えられる  しかし、この場合には差額を本人に負担せしめるがごとき方法がとられなければならないというところに大きな問  題があるし、また、いずれの方式によるとしても、医師、歯科医師の少ない地域ではその実施が困難である。した  がって、現行の支払制度と結びつけて技術差を採り入れることはどうかと思う。しかし、将来は診療の個人的技術  差が採り入れられるよう格段の努力がなさるべきである。 三、支払基金の改善   前述のように、支払方式が多種となる場合には、支払基金の性格は根本的に変わるであろう。   また、審査機関と支払機関とはこれを分離し、審査機関はもっと公的な機関にこれを改め、あわせて苦情処理の  途をも開くことが望ましい。さらに支払機関としても、現在の支払基金では借入金もできなければ、予託金の制度  も不完全である。したがって、これについては資金の保有および借入れの方途を講ずることによって、金融機関的  機能が発揮できるよう改める必要がある。また、事務費は給付費のうちから支払われているが、これは国が一般会  計から負担することを考慮すべきである。   なお、政府が行う診療報酬の決定についても、現在の中央社会保険医療協議会のごとき機関では不充分であり、  その機関の性格および構成については、単に利害関係者のみではなく、ひろく国民全般の利害が反映されるような  ものに改める必要がある。        第七章 保 険 医 制 度 一、保険医制度はどうなるか   全国民に対して医療保障制度が適用されたあかつきにおいて、いわゆる保険医の制度はいかなる形態のものとな  るであろうか。これは一つの問題である。いうまでもなく、現在の保険医制度は現行の健康保険についてのみ認め  られているものであって、国民健康保険や労災保険については、それぞれ別の方法で指定医制度が行われている。  もちろん、筋合としては国民皆保険のあかつきには、これを一本の制度としてまとめるべきであるが、しかし、現  状においては、かかることは困難である。また国民皆保険が実現したとしても、健康保険と国民健康保険の二本建  が認められ、さらに労災保険が別個の制度として存在しているかぎりにおいても、このことには問題がある。しか  も、われわれは少くとも現段階においては、健康保険については組合保険主義をとり、国民健康保険については市  町村営を主張するものであるから、保険診療の担当者は統一的制度の枠のなかに入れることは無理である。もちろ  ん、生活保護法における医療扶助の診療担当者についても、おのづから別の制度がとられざるを得ないであろう。  しかしこの場合において、われわれがもっとも危倶することは、診療担当者の制度がそれぞれの保険において異な  る結果、医療の均質性が阻害されはしないかということである。この点は診療報酬支払制度のいかんにもよるとこ  ろが多いのであるが、診療担当者の制度いかんによることも少なくない。したがって、いずれの制度をとるとして  も、まず、この点に関する十分な措置を講じておく必要のあることはいうまでもない。   このようにして、現実には少くとも当分の間は、国民健康保険については、現行の診療担当者指定制度を採用せ  ざるを得ないであろう。また診療報酬支払制度も各種の方法が採用されることとなるであろう。労災保険について  も別個の制度が残ることとなろう。そこで問題となるのは、健康保険や船員保険について行われている保険医制度  をどうするかである。 二、現行保険医制度の欠陥   今日、現行の保険医制度については数多くの批判が行われている。すなわち、まず第一に、現行制度の下におい  ては、保険医は都市に多く集中し、しかも一部地区に偏在化するきらいがある。その結果、へき地などにおける保  険医の不足に拍車をかけ、無計画な公的医療機関の設置とも相まって、保険医の適正配置を困難ならしめているの  みではなく、保険医間の競争を激化せしめ、保険経済の面にも多くの無駄を生ぜしめているとの批判がある。これ  はいうまでもなく、現在、医師、歯科医師の開業や公的医療機関の配置の適正化についてなんらの規制も行われて  おらないからである。そして、このことは医師、歯科医師の養成計画が国民の医療保障計画とほとんど無関係に行  われてゆくかぎり、確かに一つの問題である。   つぎに、現行保険医制度については、機関指定と個人指定との方法に関する論議があり、さらに取扱い上諸種の  不合理を生じている。また、保険医の指定が無期限であることや嘱託医制度を全然許さないことにしている点も問  題がないわけではない。 三、現物給付主義と保険医制度   つぎに、現在の保険医制度は現物給付を建前とし、療養費払は全く例外的にしか認めていない。いうまでもなく  現物給付の方法は、医療保障の理想的形態であって、被保険者にとってはもっとも好ましい形態である。被保険者  たるものは労働者であれ、農民であれ、ひとしくこれを望んでやまないのは当然のことである。ところで、現物給  付主義をとる場合においては、社会保障の建前からいって、医療はこれを医師と患者の自由な取引に放任すること  には問題がある。そこで当然なんらかの規格化なり、統制なりが必要となってくる。ところが医療は本来これを規  格化することはきわめて困難なものである。   今日、健康保険の医療内容について制限診療であるとかそうでないとかいった問題が絶えないのも、また、各制  度ごとに医療内容が不統一になったりしているゆえんも全く困難性からきているといってよい。   もともと、現物給付の医療を徹底して行うためには、その医療は、公的医療機関ないしは保険者の直接的管理統  制の下に行わるべきものである。したがって、いまもし、保険医にこれを依存するとすれば、その公的性格の強化  はこれをまぬがれることはできない。しかし、現在のわが国の医療制度の実情からいって、かかることは到底望み  得ないのであって、たとえ現物給付主義をとるとしても、その医療は自由医業の上に立つ開業医を保険医に指定し  て、これにその多くを依存せざるを得ないのである。かくして、健康保険の現物給付は、保険者の直接的管理の下  にないこれら開業医と患者との間に直接行われ、保険者は事後において、その費用を支払うという方法がとられる  こととなる。ところで、この場合、問題となるのはその医療が適切妥当なものであったかどうかを、事後において  判定することが困難であるということである。医療の特質からいって、いかに精細な診療報酬請求書の提出を求  め、またその審査機構を充実するとしても、かかる判定はなかなか困難である。しかも現行の診療報酬支払制度の  下においては、保険医と患者の要望が一致し、医療費が膨脹することもあり、とくに本人負担のない場合において  は、これを抑制し得るものは医師の良識にまつほか何物もない。かくして、現行制度の下においては保険財政の安  定をはかることは困難となっている。   右のほかに、現行保険医制度については、診療報酬支払制度が点数単価方式をとっていることと相まって、保険  医の事務負担を過大ならしめているとか、いわゆる水増し診療とか濫診濫療がおこなわれているとか、診療報酬の  適正が期せられない上に、その審査、支払も順当に行われていないとか、保険医の生活保障についてなんらの考慮  も払われていないとか各種の批判も行われている。また、保険医の取消についての苦情処理機関がないこと、なら  びに再指定の条件、方法などについて明確化をかいていることなどの批判がある。 四、その対策   これらの欠陥に対してさし当って講ぜられるべき対策としては、たとえば、被保険者証は本人のみでなく、家族  についても別別のものにすること、保険医の指定取消のほか、期限付停止の制度を設けること、苦情処理機関の整  備をはかることなどがある。しかし、それ以外の対策については諸種の問題がある。たとえば、保険医の配置の適  正化についていえば、まずその過剰地区に対してはなんらかの形で今後の増加に対する抑制措置を考慮するとか、  また、保険医の資格条件とか療養担当の諸条件などについて現在以上に規制の強化をはかるとか、さらにこれに関  連して保険医に対する監督を強化するとかの措置も考えられないではない。しかし、これは一面において医師の自  主性を否認し、医療行為をさらに厳しい枠内にはめこみ、そのため医術の進歩を阻害するおそれがないではない。  また、保険医の指定に保険者や被保険者の意向が十分反映されていないことを改めるためには、指定権者を保険  者とすることも一つの方法であろう。この方法は現在、国民健康保険や労災保険が採用しているところであり、わ  れわれが診療報酬支払制度の多様性を認める以上、確かに傾聴に値する方法である。しかし、かくては今後健康保  険組合の数が激増することを前提とする場合、問題がないではない。だが、このことによって、医療の均質性が妨  げられないとすれば、採用すべき余地は多いともいえる。   右のごとく、現行保険医制度については幾多の欠陥があり、これを克服するに足る対策がほとんど見当らないの  であるが、それにもかかわらず、この制度が現物給付を建前としているかぎりにおいて、捨てがたいものがある。  そこでもし、現行制度を押し進めてゆくとすれば、統制強化の途はやむを得ないとしても、たとえば諸規制の強化  に当っては、できるかぎり民主的な方法を採用するため、関係者代表による各種審議機関を活用するとか、保険医  の指定などについても保険者団体と医師団体との合意を前提として行政庁がこれを指定してゆく方法を採るなど万  全の策を講ずる必要がある。   また、現物給付主義の行き方を捨てて、医療については現金払制をとるという考え方もあるが、現物給付の方式  をとってすでに三十年の歴史を持つわが国の健康保険をかかる方向に転換せしめるがごときこととは、もとより問  題とはならない。しかし、わが国の健康保険においてもきわめて限られた範囲において療養費払制度が認められて  いる。そして、療養費払の制度はこの程度に制限すべきものとは考えるが、一つの新らしい方法として、つぎのご  ときものが考えられることを示唆しておくことは必ずしも無駄ではあるまい。   それは、この際、保険医に対するあらゆる規制を撤廃して、医療担当者の自主的体制を確立するやり方である。  すなわち、国は医療保障の立場から、公的医療機関を整備し、そこでは原則として国の定めた標準の医療給付を現  物給付として行わしめる。これに対して、開業医などの私的医療機閑についてはむしろ自由診療の建前をとらせ、  患者は、保険者から国の定めた標準医療費を療養費払によってうけることとする。もちろん、私的医療機閑であっ  て、国の定めた標準医療費の支払をうけ、現物給付として医療を提供しようと希望するものは保険者との任意契約  によってこれに参加することができる.かくて患者は、公的医療機関を利用しようとも、自由診療の開業医を利用  しようとも、また、現物給付を行う私的医療機関を利用しようとも全く自由とする。このような措置を考えてはど  うかというのである。しかし、このような措置をとると、所得水準の低い者にとっては、必要な医療が阻まれる危  険もあり、差額徴収が認められる結果、現物給付の態勢が根底から崩れる危険がある。        第八章 医療機関の整備と医薬品 一、医療機関の適正配置   医療保障制度の確立に当って、国がもっとも力を注がねばならないのは、私的医療機関をも含めての医療機関網  の整備である。ことに無医村解消のための積極策としては、公営診療所などの設置など公的医療機関網の整備が必  要となってくる。もちろん、このことは従来しばしばみられたような公的医療機関の濫設を意味するものであって  はならない。とくに国民経済力と見合わないようなぜい沢な病院が一地域に多数偏在するがごときは厳に戒めなけ  ればならないとともに、今後はいやしくも公的資金により開設設置される病院については、それがどの省の所管に  属するとしても、医療機関網の計画的整備の見地から、強力に、その地理的配置、規模、設備、機能などについて  の規制を行うべきである。同時にまた、公的医療機関については、現在、ままみられるがごとき非能率にして無駄  の多い経営方法は極力これを除去し、その余力をむしろ診療サービスの改善向上に当てるべく強力に指導する必要  がある。また公的医療機関のなかには、研究、技術者の養成、公衆衛生への協力等の役割をもになわせた方がよい  ようなものもあり、さらにはその施設の一部を私的医療機関に利用せしめることが望ましい場合もある。したがっ  て、これらの場合にはその任務を遂行するにあたって直接に必要な経費、たとえば研究費、技術者養成費、公衆衛  生協力費、特別施設費などの全部または一部を国が助成するがごとき措置をとることが望ましい。なお、ここで公  的医療機関とうのは、一般に用いられているがごとき意味においてではなく、その経営主体が国あるいは地方公共  団体である場合はもちろんのこと、保険者の直営診療機関のごとく営利を対象としないものを一切ふくめている。  ただし、たとえ経営主体が国であっても大学病院のごとき研究や医育を目的とする機関は、ここでは公的医療機関  とは考えていない。   つぎに、公的医療機関の中枢となるべき国立病院については、従来の軍施設を引きついだものなどが多く、その  配置の均衡、立地条件その他についての問題が少なくないから、この際体系的にその整備を断行する必要がある。  すなわち、医療機関網の基幹病院については、重点的にこれを整備強化するとともに、これをもってその地方にお  けるセンター的病院たらしめ、臨床医師の再訓練などの役割をも十分に果しうるようにすべきである。同時に、す  でに一言したごとく国は無医村地区解消のため、診療所的な簡易な施設を設けるとともに、センター的病院から医  師を派遣するなど相互の連格、交流を密にすることが必要である。   また、保険者の直営医療機関についても、それは本来保険者が自らその医療給付を行うために設けたものである  には違いないが、公的医療機関としての立場から、一般にも開放することが望ましい。とくに、国の補助をうけて  設定したものについては、かかる措置をとることはむしろ当然といわねばならぬ。また、その規格その他について  も甚だしい格差があり、これを調整する必要がある。国民健康保険の直営診療所については、医師の獲得その他経  営上の困難が少なくない現状にかんがみ、すでに一言したように、この際その経営主体を単一の町村に限定せず、  たとえば町村が連合して経営するなどの措置をも考えるべきであろう。もちろん、この場合には、市町村立病院と  の調整を十分に考えておく必要がある。なお薬局についても、その配置の適正、とくに無薬局地区の解消のため、  病院、診療所と同様の措置をとるべきである。 二、設備の強化   医療機関網の整備は、ただひとり右のごとき公的医療機関の適正配置や拡充強化をもって尽きるものではない。  私的医療機関についても、たとえば、へき地助成の方法などによって、その配置に十分意を注ぐべきである。ま  た、病院、診療所に対する規格の励行をはかり、もし、そのために資金が必要とあれば特定の設備については政府  自らがこれを提供するがごとき手配を講ずることが望ましい。   また現在、病院の概念は、もっぱら病床数によってのみ規定されているが、これは改めるべきである。すなわ  ち、病院は一定基準の人的、物的施設を完備したものにこれを限定し、そこでは常に完全な診療や検査が行われ得  るものにしなければならぬ。同時にわが国の現状からみて、これらにくらべて一段と基準の低い病院を設ける必要  もある。なお、医学、医術の進歩に伴ない、精密かつ複雑な治療設備や検査設備も必要とするのであるから、その  施設は単に当該病院の専有物とせず、医療機関相互の利用を認め、その有機的な連係をはかるとともに、施設設備  に対する重複的な投資を避けしめることが望ましい。なお、診療所についても、現在非衛生的で粗悪なものが多く  なっているようであるから、現在の設備基準をさらに厳重にするとともに、その基準の励行をはかることが必要で  ある。 三、医療関係者の養成と専門医制度   さらに、医療機関の整備に関連して忘れてならないのは、医療関係者の養成とその需給計画の樹立である。すな  わち、政府は、全国民に医療保障制度を適用した場合には、どの程度医療関係者の確保が必要であるか、これをよ  く検討してその養成を計画的に行う必要がある。医療関係者の過不足は国民に対する医療保障サービスに至大な関  係を持つとともに、また国民の医療費の負担とも密接なつながりをもっているからである。また、現在文部省が主  管している医師などの養成については、厚生省も医療保障制度担当の責任上、当然、右の計画に従ってこれに積極  的に関与する必要がある。   医療保障制度の組織機構のなかでも、医学、医術の専門分化はもとより必要である。このためには、政府はすみ  やかに専門医制度を樹立することが望ましい。これによって臨床医術の進歩が促進され、医師の技術が正しく評価  されるようになると思われるからである。従来、わが国で専門医制度が樹立されなかったのは、一つには学位制度  に盲点があったからである。そもそも学位制度は、臨床医術を評価するためのものではないにもかかわらず、あた  かも、それが臨床医術の評価を示すがごとき取扱をうけてきた。かかる誤りを冒する至った原因の一つは、今日の  医育制度にある。学位制度の改革が行われんとするこの際、これとは別に専門医制度を確立し、真に臨床的立場に  立つ専門的技術をもつ医師を評価検定すべき好機である。なお、専門医の検定については、国がこれを行うことと  し、その訓練は大学病院で行うよりも、むしろ新らしい性格の国立病院を中心に行うことが望ましい。   また、将来、国民皆保険が完成された場合における薬局および薬剤師の在り方についても十分な考慮を払うとと  もにこれを活用する方途を考えておく必要がある。 四、医薬品の取扱   医学、医術の向上は、医薬品の進歩改善に負うところが多い。医薬品の消費額が年年上昇の一途をたどっている  ことは、その意味においてもまさに当然の結果であろう。しかし、それにしても、たとえば、昭和二十九年度におけ  る国内向け供給額は、生産者価格で約七百九十億円に達し、品目についても約二万品目に及ぶものが市場に流れて  いるということは問題である。しかもその流通系統はきわめて複雑であり、業者の数も多く競争は激烈をきわめて  いる。今日、国民医療費のなかで、医薬品が占める割合が想像以上に大きいのは、一つにはこれら医薬品をめぐる  競争が薬剤の乱用を導いているためと考えられる。しかるに、政府は医薬品やレントゲンフイルムなどの医療材料  などを廉価に供給するための十分な対策を講ぜず、その生産販売はほとんど一般の商品と同様に、商業主義の支配  のままに自由放任してきた。もちろん製薬業については、統制のほかに、これを保護育成することも必要である。  しかし国民皆保険の実現をひかえ、医薬品の社会的使命を考えるとき、政府としては、たとえば、過大な広告の規  制、規格品種の統一、不公正競争的な販売方法の規制、社会保険の薬価基準制度の再検討その他あらゆる有効適切  な措置を講ずることは、むしろ当然の責務であろう。とくに、主要な薬品や医療材料などについては、場合によっ  ては共同購入などの方法を検討すべきである。        第九章 国庫負担と本人負担 一、国庫負担の理論的根拠   本来、社会保障制度は、保険主義をとる場合といえども、その責任は国家にあるものである。しかし、国家財政  の現状およびここ数箇年間の見透しより考えれば、医療保障制度に対する国庫負担は、少なくとも当分の間は、そ  の対象をもっとも緊急度が高くもっとも有効と考えられるものに重点を置かなくてはならないであろう。しかも、  この負担によって、国民皆保険が促進され、医療の公平化が確保されるような方法が選ばれるべきである。この点  よりすれば、被用者保険について、さし当り考えられる国庫負担は低額所得者のための国庫負担である。つぎに国  民健康保険については給付率の引上げのための国庫負担である。いま一つは結核医療費に対する国庫負担であろ  う。そして、かの健康保険の給付費に対する定率の国庫負担論はかかるものを前提として、その主な理論的相拠を  見出すことができるのである。   もちろん、国庫負担をこの三つのものに限るとしても、わが国の経済が今後数年間においていかなる成長を果す  か、すなわち、国民所得の伸びや財政の幅はどこまで進展するか、よくこれを考えた上で、その国庫負担額を論議  すべきである。 二、低額所得者に対する国庫負担   教育をうける権利の場合と同様に、医療保障制度はすべての国民に、被用者であると一般国民であるとを問わ  ず、またその事業の規模や賃金、所得の高低に関係なく一定水準の医療給付を行うのが目的である。ところで、こ  の目的を達成するため、保険の方法が採用される場合、最大の障害となるのは、標準医療費に見合うだけの賃金ま  たは所得のない、いわゆる低額所得者層の存在である。すなわち、これに見合う保険料は到底これらの低額所得者  にあっては負担できない。そこで高額所得者に累進的な高率の保険料を出して、これをカバーさせるか、国が不足  する部分を負担してこれをカバーするほか方法はない。しかも、いまここに保険に加入せしめようという未適用者  とくにそのなかの約一千万人の被用者およびその家族は、まさにこうした低額所得者から成り立っているのであ  る。   いうまでもなく、医療保障の建前としては、これら健康保険の未適用者については、かりにそれが零細企業の従  業員であるとしても、労働者としてはひとしく健康保険と同じ給付水準の保険に加入せしむべきである。しかし、  かくては膨大な国庫負担をもって、その低賃金による保険料収入の不足を補なうことが必要である。これは、少な  くとも現実的ではないと思われるので、われわれは前述のごとく、現在の政府管掌健康保険よりも多少低いところ  の第二種健康保険の創設を提唱するのやむなきに立至ったのである。かりにかかる零細企業の従業員三百万人がこ  れに加入するとし、これに対して第一種健康保険の八十パーセント程度の給付水準のものを給付する。そして保険  料率も五パーセント程度に引き下げるとすれば、昭和三十年度の数字で国庫は年約七十五億円を負担すれば足りる  こととなる。   いまもし、かかる国庫負担が行われるとすれば、第一種健康保険の被保険者についても、ある程度これに準じた  考え方ができよう。もちろん、零細企業については、低い給付水準を引上げるための国庫負担であるから、同じ方  法を第一種に及ぼすことは疑義がある。しかし、第二種と均衡のとれた低額所得者層に対し、一人当りにしてこれ  を若干下回る国庫負担であるならば十分筋はとおる。そして、この場合には約五十億円を必要とするわけである。  またこのことは低額所得者をもつ組合の場合においても準用されてしかるべきである。今後綜合組合その他の激増  が予想されるので、これら組合に要する国庫負担額を推定することは至難であるが、その額はおよそ十億円程度と  なるであろう。   なお、この種の措置はこのほか、船員保険についても、また、国家公務員共済組合についても、それぞれの実情  に応じた方法により考えられるところである。 三、国民健康保険に対する国庫負担   つぎに、国民健康保険の国庫負担であるが、これについてはすでに、国としては給付費の二割の国庫負担をして  いる。しかし、それにもかかわらず、その給付水準は依然として低い。このことを端的に示しているのは、各種の  給付制限である。また一人当り医療給付費が年額一、三〇〇円であるという事実もこのことを明らかに物語ってい  る。   なるほど国民健康保険は、被用者保険の場合と異なり、転帰までの給付を行う場合が多い。しかし、五割という  本人の負担のあることはこのことをして有名無実に終らしめている。したがって、われわれとしては、まず各種の  給付制限を緩和し、とくに給付率の引上げを要請する。そのためには、どうしても国庫負担の引上げが必要となっ  てくる。もともと国民健康保険では病弱者もすべて被保険者となるのが建前である。その上に被用者保険における  事業主負担分に見合う保険料収入を欠いている。また、市町村の財政力や住民の貧富にも大いなるへだたりがあ  る。したがって、この調整などの理由から国庫負担が必要であるが、前に述べたごとく給付率の引上げのためその  負担率を引上げることについては、恐らく国民はこれを納得するであろう。   ところで、国庫負担がかりに引上げられたとした場合、問題となるのは配分方法である。たとえば、現在行われ  ている二割の国庫負担は、ややもすれば優等生にほう美をやるような方法で配分されている。また、昭和二十六年  の当審議会の勧告の趣旨に反し、給付水準の引上げにそれが少しもふり向けられていないことは問題である。その  他、現在の国民健康保険に対する国庫負担の配分については、検討を要すべき点が少なくはない。たとえば、現行  の四方式を給付内容と財政力に対する国庫負担にのみ限定するという措置がとられるべきであるまいか。そこでわ  れわれは現状では、まず国民健康保険の普及のためとその給付率を七割程度に引上げる措置に必要なものとして、  国庫負担を少なくとも三割まで引上げることを提唱したい。これには年平均およそ八十億円(三年計画の場合)な  いし六十億円(五年計画の場合)の国庫負担の増額が必要となってくる。   なお、農村地帯における国民健康保険については、時期的な資金枯渇を緩和し、その支払を円滑ならしめるため  に、都道府県ごとに貸付金庫を設置することが望ましい。またこれを助成するため、国として事務費の補助、所要  資金の貸付、あるいはその利子補給などを行う必要があるから、これらの費用を考えておかねばならぬ。   最後に国庫負担の問題は結核についても考えねばならぬわけであるが、これについては項を新たにして述べるこ  ととしたい。 四、いわゆる一部負担制   つぎに一部負担制問題を検討しよう。   沿革的な事情から、それが給付内であるか、給付外であるかのむずかしい議論を生ずることもあるが、もしそれ  を問わないとすれば、一部負担とは、一言にしていえば、保険で給付しない部分ということに外ならないのである  から、これをひとしく本人負担と呼んでもよく、その方が内容を明確にするのではないかと思う。すなわち、国民  健康保険における五割の本人負担も、健康保険における家族の場合の半額負担も、初診料相当額のいわゆる一部負  担も、その本質においてはひとしく本人負担なのである。このように論じてくると、いわゆる一部負担は、結局給  付率の問題にほかならないのであって、ただそれが一応給付として認められるかどうかということだけで問題を複  雑化しているにすぎない。   いうまでもなく、医療保障の建前からすれば、本人負担という制度は望ましくない。しかし、現在健康保険制度  においては初診料の一部負担制があるので、額が軽少であり、納得のいく形のものであるならば、その実施もやむ  を得ないと考える。   また、いわゆる差額徴収も、ここでいう本人負担の一種である。いうまでもなく、療養費払が行われる場合には  差額徴収が行われる場合が多い。現に健康保険において例外的に認められている療養費払の場合においてもこの例  にもれない。また、現物給付の場合においても、たとえば歯科補綴の場合のごとくこれが認められている例もない  ではない。一般的に差額徴収を認めることは問題であるとしても、限られた範囲でこれを認めることは、国民皆保  険の実をあげるためにもまずやむを得ないのではあるまいか。        第十章 結核医療制度の確立 一、結核対策の確立   わが国の医療保障制度が、真に確立されるかどうかは、一にかかって結核対策の効果いかんにある。結核は、今  日、わが国においては国民病として、個人の責任と経済の限界をこえた問題となっている。したがって国の直接か  つ全面的な責任をもって思いきった施策を行うのでなければ、到底その解決をみないであろうことは衆目の認める  ところである。しかも結核はいまや医療費についてのみではなく、わが国の労働、生産その他の方面においても、  直接間接、ゆゆしい損失を与えつつあることを忘れてはならぬ。   ところで結核については、その病気の特質からいって、予防、医療、再発防止など、資金的にも行政機構的にも、  一貫した体系の下に強力な施策を集中的に行うのでなければ、十分な効果を発揮できないのであるから、この際思  いきって膨大な経費を投入し、これが撲滅に強力な、一つにまとまった施策を行うことが必要である。しかも、こ  のことによってのみ所要経費を漸減し得て、将来の国民の負担を著しく軽減することができるのである。すなわ  ち、現在のごとく微温的施策をもってしては、たとえ一時を、こ塗することができても結局、毎年国費を浪費して  いる結果となり、医療保障の確立は到底これを望み得ないであろう。そこでつぎのごとき計画を積極的に行い、結  核撲滅をはかることが必要である。すなわち、結核の予防と医療を通じ、行政的にも資金的にも一貰した施策を行  うために、たとえば結核の予防に要する費用は全額公費で負担するとともに、結核医療費公費負担についても、医  療の範囲を対症療法および入院中の食費を除いたものの全医療に拡大し、公費で負担する。この場合結核公費負担  制度の対象とする結核医療は、もちろん、真に専門医からなる結核審査協議会で診定したものに限るものとし、一  定の期間ごとに再診定を必要とすることはいうまでもない。   なお、公費負担の対象となった結核医療費については、全額国庫で負担することにするか、あるいは国庫におい  てその八割、都道府県においてその二割を負担することとするかのいずれかを選ぶべきである。しかし、後者の場  合においては、地方の二割の負担について国でこれを保障するところのいわゆるヒモつきの形をとることが必要で  ある。ただし、被用者保険については、二割の負担分は保険者の負担とするのがよいと思う。そして、これらの予  防および医療の費用を通じて一本の特別会計または基金をもつこととし、その経費は随時必要に応じてもっとも効  率的に使用できるように工夫する必要がある。   また、制度的にも抜本的改正を加え、とくに経費関係や取扱機関などにつき一貫して太い線で強力な再編成をす  るとともに、機構的にも結核庁といった機構を設けてこの行政を一元的に統合強化し、地方機構をも整備強化す  る。   かかる対策をすみやかに行うべきである。   このような措置に伴なって病床の増加などはもちろん絶対に必要であり、それとともに治療ならびに研究のため  優秀な医療機械の整備、研究の奨励なども考慮すべきである。また、結核撲滅のためには結核教育の充実が必要で  ある。B・C・Gおよび化学療法の効果について正しい理解を欠き、また、結核に対する誤った知識から、地方に  よっては村八分のおそれのため、患者の早期診断、早期治療が阻まれているような事例のあることなどをも考慮し  て的確な教育を推進すべきである。これと同時に結核医療についての医師の再教育の強化も必要である。   さらにまた、結核医療担当者の現状をみると、これらの人びとは、危険な作業環境の下に、人員不足のため非常  な重労働に従事し、しかもその待遇はあまりにも低い。したがって優秀な医療担当者を欠き、他の面の強力な結核  対策を行うことができないので、率先改善をはかるべきである。   また、濃厚感染源の患者を強制収容あるいは隔離することも必要であり、この場合には、医療費のほか、家族の  生活の維持についてある程度の面倒を見ねばならぬ。そのほか、現在の就業の実情では、結核患者について不利益  な取扱いをしているようなところもないではないが、これは改める必要がある。 二、財源の措置   現在、結核問題の核心は、要治療患者のおよそ五分の一が治療を受けているに過ぎないということである。これ  を大巾に増加しないかぎり、結核を急激に撲滅しようとする所期の目的は達せられない。   そこで、前述の構想にしたがって、現在潜在している結核患者をできるだけ把握することとして試算してみると  顕在化の程度にもよるが、少なくとも初年度で四百億円以上の国庫負担を増加しなければならないであろう。これ  を、結核以外の医療給付費に対する国庫負担を差引いて計算してみても、三百億円は必要である。   ところで問題はその財源措置である。道路整備のためのガソリン税のごとく簡単には考えられないとしても、こ  れを賄なうため一定期間を限って、たとえば、結核税のごとき目的税を課するなどの措置も考えられぬではない。  もし、この種の目的税で賄なうとすれば所得税を一割程度引上げるのと同じことになる。そこで一つの方法として  考えられるのは、健康保険はもちろん国民健康保険その他から保険料の一部をプールさせて、結核医療費のための  一種の再保険基金をつくってはどうかという案である。もちろん、こうしたことをやってもせいぜい百億円程度し  か捻出されないであろう。   いずれにしても、相当の額の国庫負担の増加は必要であるから、その財源につき十分な措置を構ずべきである。  なお、財源に関して、たとえば、厚生年金保険積立金や共済組合、健康保険組合などの積立金から一時的に資金を  借入れ、利子分を国庫からみるということも一つの方法として考えられよう。   同時にまた、発病防止対策および検診の方法として現在行われているものよりは、さらに合理的であり、しか  も、最少の経費をもって最大の効果をあげる手段もいろいろと研究されているようであるから、これに相当の試験  的経費を支出して、具体策を比較検討することも必要であろう。 三、臨時的措置   もとより、結核対策については年次計画をたてるべきである。それにしても前述のごとき根本的対策に着手する  には、若干の準備期間を要すると思われる。したがって当面は、前述のごとく結核予防法を改正して公費負担の制  度を拡大強化するとともに、特別会計なり基金なりを設けて、なによりもまず結核医療費の公費負担分を直接保険  と生活保護の制度に流しこむ方法を考えるべきである。すなわち、一応、保険なり生活保護なりの財源でその費用  を賄なわせるとともに、定期的にこれを公費から補給してゆく方法をとるべきである。もちろん、かかる臨時的措  置だけをもってしても、相当の費用がかかることは確かである。しかし結核対策は、その初期において膨大な費用  を必要とするとしても、そのことによって将来はかえって費用が漸減するものであることを想起する必要がある。   しかも、いまにして、これに対するなんらかの新しい手を打たないときは、結核医療費が癌となって、永久にわ  が国の医療保障の確立は望みえないであろう。   この言集をもって勧告のむすびとしたい。

《「社会保障制度に関する勧告および答申集」(昭和35年3月 社会保障制度審議会)から引用:原文縦書き》

 1999.2.28 登載
 【社会保障制度審議会勧告集(昭和24年度〜昭和37年度)】 【参考資料集】
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