ひとりごとのつまったかみぶくろ


教護として




 はじめに
 教護院の概要
 教護院が変わってきている(1)−小舎夫婦制廃止の傾向−
 教護院が変わってきている(2)−入院児童の変化−
 教護児が変わってきている
 教護院における指導について思うこと



 はじめに

 私は、教護院「○○学園」に1981年春に、教護として初めて赴任し、そこでの仕事の展開に戸惑いながらも、それから10年の月日が経ったことになります。その間に異動によって、4年程他の機関に勤めていた時期がありますが、1991年、○○学園に戻り、再度、教護事業の最前線に立つことになりました。この事業に関係して10年経った今という時期は、学園70余年の歴史から見ても一定の位置を持ち、また、この事業が現在どのような方向に向いつつあるかということを読み取るにも意味のある時期と思います。特に私は、教護事業を中からと外からとの両面から見る経験を得たことは貴重でした。そこで、この機会に、自分が属している事業、職場について、自分が思っていることをまとめ、レポートにすることを思い立ちこれを仕上げました。しかし、これはあくまでも私的な立場によるもので、また文献や資料等を分析しながらまとめたものではないので、見方が一面的であることも否めないと思います。これが教護事業に携わっている人々の一般的な見方とは思わないでください。自分自身が仕事を展開する上で作成した覚え書き程度と思ってください。多くの人からの指摘、批判を期待しています。


 教護院の概要

 教護院というところはどのようなところか、ということを、関係法令や関係者が記した文献などを利用しながら、私なりに説明しようと思います。

 教護院は児童福祉法第7条によって、児童福祉施設の一つと位置付けられています。そして、同法第44条には、「教護院は、不良行為をなし、又はなす虞のある児童を入院させて、これを教護することを目的とする施設とする。」と目的が定められています。

 また同法第48条により、施設長の児童を就学させる義務が免除されている替わりに、施設の中で小・中学校に準ずる教科教育が実施されています。

 もう少し関係条文を集めてみましょう。

 児童福祉法施行令第10条には「都道府県は、法第35条第2項の規定により、教護院を設置しなければならない。(第2項以下省略)」とあります。この条項によって、現在、全国に57か所の教護院が設置されています。(国立2か所〈男女各1〉、公立53か所〈うち4か所は市立〉、私立2か所)

 そこへの入所児童数は、総施設入所定員4,896名に対し、在籍人員2,181名(入所率44.5%)、内訳は小学生133名(6.0%)、中学生1,833名(84.1%)、中学校卒業生215名(9.9%)、というところです。(以上1991年1月1日現在)

 「在籍人員が少ないな」、と気付かれる方が多いと思いますが、これは現在ほぼ全国の教護院で「定員開差」(児童がなかなか入所しない、そのために入所者数が減ってきてしまっている)という問題が持ち上がっていることによります。このことについては後で述べることにします。

 それでは、教護院では、どのような営みが行われ、預かった児童たちにどのような処遇を施しているでしょうか。

 全国教護院協議会(以下「全教協」と略します)では1986年以来、毎年1冊の割合で「非行克服現場からの報告」というケースレポート集を発刊していますが、その第1巻の中に記されている文章を引用しましょう。

 ……教護院は現在、全国で57か所あるが、そのいずれもが、ゆたかな自然環境を選んで建てられている。人は自然の中にゆったりと包まれているとき、もっとも安心である。さまざまな精神の緊張も葛藤もここでは癒されて平穏に慎まってくる。教護院の教育は、環境が9、人為が1と言われているが、自然のもつ浄化治癒力の教育にはたす役割、力の大きさは計り知れないものがある。自然の中の教育、これが教護院教育の基盤といっていいだろう。

 さて、そうした環境に家庭舎と呼ばれる小舎が点々と建っている。その一つひとつには2人の夫婦の職員(教護・教母とよんでいる)を中心に10名前後の児童達が起居を共にしている。私たちはそれを小舎夫婦制といっているが、それは「子どもは、できるだけ一般家庭に近い温かい雰囲気の中で育てられるのが望ましい」という考えからとっているもので、児童たちの生活の中心は、この小舎におかれているのである。

 教護院にやってくる児童たちは、さまざまな問題をかかえている。その原因は、情緒や自我の障害・未発達、特に超自我の未成熟にあるが、それらを正しく再形成するには、なによりも家庭的な温かい雰囲気が必要である。小舎における夫婦の職員は、父母と同様の働きをするわけにはいかないが、父母に近い働き、いや父母よりは大きな教育性を持つことはできる。正しい生活習慣や起床から就寝に至る心よう生活のリズムを与えたり、適切な助言や指導を行ったり、それに児童たちに対する最も大きな影響力は、夫婦の職員との同一化という作用である。私たちには、自分が尊敬していたり、愛している人に対し、自分をよく見せたい、よく思われたいという欲求があるが、それは同時にその人と同じようになりたいという、同一化の意志につらなっているのである。児童たちは、この作用によって、知らず知らずのうちに、教護・教母の人格を自分のものにしていく。だから、教護・教母がすぐれた人物であれば、即すぐれた人格の影響を受けるし、その反対であればその影響でますます貧しくなってしまうことになる。(以下略)……

 「教護院の原理は、すなわち小舎夫婦制ということなのか」と正に小舎夫婦制賛歌のようにも読み取れる文章ですが、そもそも教護院がこの世に産まれたという歴史、沿革を見てみると、このことが分かってくると思います。

 犯罪を犯してしまった児童に対する処遇は、明治の時代においても必要な措置であったわけでしょうが、当初は「懲治場」に収容する等、おとなと一緒、また、こらしめ、という形態・発想ですすめられていたようです。そのような中で欧米の幼少者の教化改善の思想が有識者の中に起こり、明治17年、池上雪枝が大阪で非行少年の教化事業を始めたのを最初に、東京等に感化院が作られ始めました。北海道家庭学校の創設者である留岡幸助が、明治32年に東京巣鴨に家庭学校を創設、その時始めた収容形態である小舎夫婦制が、後の日本の感化事業界に決定的な影響を与えたようです。

 明治33年に「感化法」が制定され、そして道府県に感化院の設置が義務付けられることになりました。これにより明治41年、42年をピークに、明治時代のうちに、現存する教護院の8割余りが感化院の名で設立されました。そしてそれらの院が持つ寮舎について、ほとんどの院において家庭学校のような小舎夫婦制が採用されました。

 以後、昭和45年ごろまで、教護院では小舎夫婦制というのが一般的なスタイルとして定着していました。

 この小舎夫婦制についてですが、職員は児童と1日24時間共に暮らしているわけであり、(確かに児童の余暇の時間や就寝している間等とりわけ職務的な働きかけが不必要な時間帯もないではないが、また夫婦のどちらかが児童の相手をしておれば片方は休み、という考えはなりたつが、)現実としては、やはり気遣いという点で休日なしの24時間勤務という感覚があります。労働時間週40時間がまもなく実施されようとしているようなご時勢、この点各教護院では労働法との関係でどのような工夫をしているかと疑問に思いますが、最初は、牧場勤務と同じような、すなわち労働基準法第41条3号の適用があるのかな(これが適用されれば労働時間、休憩、休日のすべてが適用されない)と思っていました。しかし全教協の「全国教護院運営実態調査」等で調べると、夫婦それぞれ児童の日課や動きに応じた要所要所に働くという断続勤務という形にして、休憩や休日などを確保し、法定労働時間をクリアしているようです。(実際はそれが実効しているとは思われませんが。現実はかなりの超過勤務またはボランティア的労働という形で処理しているのでしょう。)ちなみに労働基準法施行規則第33条に、「法第34条第3項(使用者は、第1項の休憩時間を自由に利用させなければならない。)は、左の各号の一に該当する労働者については適用しない。1 警察官、消防吏員、常勤の消防団員及び教護院に勤務する職員で児童と起居をともにする者 (2号、第2項は省略)」とも定められており、とても自由に寮舎や院の敷地を離れることはできないというのが現実でしょう。


 教護院が変わってきている(1)――小舎夫婦制廃止の傾向――

 先に「昭和45年ごろまで」という表現を用いましたが、その時期以後、寮舎の建て替えや敷地の移転などをきっかけに、別の形態の寮舎も採用されるようになってきました。推測するところ、やはり寮舎を担当している夫婦職員の過酷な労働に対して時代がマッチしなくなってきているのでしょう。近畿、中国地方にある教護院を除いて、多くの教護院が建て替えと同時に「通勤交代制」「中舎・大舎制」を採用するところが目立ってきています。また「小舎夫婦制」であっても、夫婦職員が休日の時に寮舎を担当する「フリー教護」を導入するという動きも顕著です。

 5年程前に調査したもので、現在とは若干数値が異なっていると思いますが、全57教護院のうち、純粋な「小舎夫婦制」を堅持しているところが26施設、「小舎夫婦制」であるがフリー教護が寮舎運営のサポートをしているところが10施設、小舎を数人で交代しながら運営しているところが13施設、「中舎制」「大舎制」であるところが6施設、それらの混合というのが2施設、という状況が把握できました。

 私が勤務している○○学園は、老朽化した寮舎の建て替えをきっかけに、平成元年度をもって「小舎夫婦制」を廃止し、7人の職員で1棟2か寮を運営するいわゆる「通勤交代制」に移行しました。今年はその新しい形態の2年目。私は開設されている3か寮のうちの女子寮に、今年度4月から配属になりました。この○○学園の、「小舎夫婦制」から「通勤交代制」に至るここ10年程の動きを学園側でまとめた文章が、全教協の「非行問題」誌第195号(1989年3月発行)に載っているので、それを読まれれば参考になると思います。


 教護院が変わってきている(2)――入院児童の変化――

 次の数字は、○○学園における各年度別月平均在籍児童数の変遷を表したのです。(月平均在籍児童数というのは、毎月1日の在籍児童数のその年度の12か月の平均のことです:上段=各年度〈4月から翌年3月〉、下段=その年度の月平均在籍児童数〈人〉です)


 S46  47  48  49  50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61  62  63  H1   2
 108 115  96 101  88  83  79  81  84  96 102 102 102  91  86  76  65  59  47  34


 昭和50年ごろまでは在園児数が100人を下るということはあまりなく、入園児も小学生、中学生の入園の差が特に目立つことはなかったようです。しかし昭和50年ごろから中学生の比率が顕著に増え始め、最後のピークが昭和56、57、58年と続きますが(ちょうど校内暴力が社会問題になった頃)、その時は、過半数が中学3年生、小学生はもうほとんど入らない、という状態でした。この時期のピークを最後に、毎年入園児数は減り、60年代から平成に入っても下降を続けています。ちなみに、今年(平成3年度)の7月1日現在の在籍者数は36人(中卒:4人、中3:19人、中2:12人、中1:1人)というような状況です。(ちなみに4月:27人、5月:30人、6月:31人〈各1日在籍児童数〉)


  関連して、全国レベルでの状況を表にしてみます。

     調査年月日       施設数        定員          在籍人員        入所率
    S36.3.1    57か所    5,197人    5,197人    88.9%
      41.3.1    57        5,995      5,463      91.1
      45.12.1    57        5,538      3,909      70.6
      50.10.1    58        5,289      2,844      53.8
      56.1.1    58        5,304      3,073      57.9
      58.1.1    57        5,171      3,235      62.6
      59.1.1    57        5,215      3,149      60.4
      60.1.1    57        5,141      3,015      58.6
      61.1.1    57        5,046      2,903      57.5
      62.1.1    57        5,001      2,934      58.7
      63.1.1    57        4,945      2,790      56.4
      64.1.1    57        4,885      2,560      52.4
    H  2.1.1    57        4,846      2,449      50.5
        3.1.1    57        4,896      2,181      44.5
                                    (全教協「全国教護院運営実態調査」等から)


 ということで、昭和50年代に入って以来、全国の多くの教護院で、いわゆる「定員開差」の問題が持ち上がり、その対応に苦慮しているというのが現状です。全教協の「非行問題」誌でもこれに関連したテーマを組んで、その原因、対応策、考察等が論じられているものがいくつかあります。

 次に入園理由の変化ですが、私が○○学園に初めて勤務した昭和56年当時は、男子の約7割が「窃盗」、女子の過半数が「不純異性交遊」という主訴で入園していました。そしてその頃は既に入園児の過半数が中3であるということは先に述べたところです。その後昭和60年に分類方法が変わって分析が難しいのですが、近年は「窃盗」が主訴になっているものは減少し、「家出浮浪」「不良交遊」の割合が目立って増えてきています。(それに附随して、窃盗、怠学、シンナー等吸引、そして女子は性的非行なども犯しているというケースは多いようです。昭和60年度以降の()内数は、主訴ではないがそのような問題行動も併せて行っていたということを示します。)


  年度別入園主訴状況
    昭和57年度
   (A:窃盗、B:家出窃盗、C:退学窃盗、D:家出放浪、E:長欠怠学、F:放火、G:恐喝暴力、
    H:性的非行、I:学校不適応、J:家庭内不適応、K:その他、として)
   (M:男子、F:女子、T:男女計)

          A  B  C  D  E  F  G  H  I  J  K     計
      M  24  24   8   1  13   1   4   0   3   1   1     80人
      F   1   4   0   2   6   0   0  19   0   0   0     32人
      T  25  28   8   3  19   1   4  19   3   1   1    112人

    昭和60年度
   (L:窃盗(M.Nを除く)、M:バイク盗、N:自動車盗、0:金品持ち出し、P:家出浮浪、
    Q:長欠怠学、R:不良交遊、S:性的非行、T:シンナ-等吸引、U:家庭内暴力、V:校内暴力、
    W:恐喝暴力、X:弄火・放火、Y:その他、として)

          L  M  N  O  P  Q   R  S  T  U  V  W  X  Y    計
      M  31   2   2   0   7  14    4   0   5   4   1   3   0   0    73人
         (55)(16)( 3)(30)(36)(36) (39)( 5)(21)(11)(12)(16)( 4)( 5) (280)
      F   0   0   0   0   2   7    6   7   1   0   0   1   0   0    24人
         (19)( 2)( 0)( 8)(20)(13) (20)(16)(16)( 0)( 0)( 6)( 0)( 0) (120)
      T  31   2   2   0   9  21   10   7   6   4   1   4   0   0    97人
         (74)(18)( 3)(38)(56)(49) (50)(21)(37)(11)(12)(22)( 4)( 5) (400)
         32.0 2.1 2.1  0 9.3 21.6 10.3 7.2 6.2 4.1 1.0 4.1  0   0   100%

    平成元年度
      M  11   4   0   1   7   3    9   1   1   1   0   0   1   0    39人
         (27)(15)( 6)(10)(23)(19) (24)( 3)(14)( 7)( 1)( 9)( 2)( 4) (164)
      F   0   0   0   0   9   0    3   0   1   0   0   0   0   0    13人
         ( 4)( 1)( 0)( 0)(10)( 9) (12)( 7)( 8)( 1)( 1)( 1)( 0)( 0) ( 54)
      T  11   4   0   1  16   3   12   1   2   1   0   0   1   0    52人
         (31)(16)( 6)(10)(33)(28) (36)(10)(22)( 8)( 2)(10)( 2)( 4) (218)
         21.2 7.7  0 1.9 30.8 5.8 23.1 1.9 3.8 1.9  0   0  1.9  0   100%

    平成2年度
          L  M  N  O  P  Q   R  S  T  U  V  W  X  Y    計
      M   4   1   0   0   6   1    1   1   4   1   0   2   1   0    22人
         (16)( 6)( 2)( 3)(15)(13) ( 9)( 2)( 9)( 3)( 2)( 4)( 1)( 1) ( 86)
      F   0   0   0   0   7   0    1   1   0   0   0   0   0   0     9人
         ( 1)( 0)( 0)( 3)( 9)( 4) ( 6)( 4)( 5)( 0)( 0)( 0)( 0)( 0) ( 32)
      T   4   1   0   0  13   1    2   2   4   1   0   2   1   0    31人
         (17)( 6)( 2)( 6)(24)(17) (15)( 6)(14)( 3)( 2)( 4)( 1)( 1) (118)
         12.9 3.2  0   0 41.9 3.2 6.5 6.5 12.9 3.2  0  6.5 3.2  0   100%



 「定員開差」問題と絡めで、このことをどうみるか、ということですが、一般的には次のようなことをよく聞きます。すなわち、「保護者の入園同意書が得にくくなってきている」と。親が子供を教護院に入れさせたがらないということですね。また、担当の児童福祉司自身、措置にあたって教護院入院はできる限り敬遠しているようです。それは何故か。巷で聞いた話を挙げてみると、「入園させることによってより悪くなる」「更に広域的になる」、つまり、その子が地域にいる間はその子の悪さはローカルなもので済むが、入園によって、例えば東部のワルと西部のワルが一緒になって更に新しいワルの技法を身に付けて、夏や冬の一時帰省の時や退園後荒らし回る、というような噂が伝わってしまっているようです。

 これに関連しているのかもしれませんが、10年程前から入園児数の減少防止策と絡んで、学校の長欠・怠学児を積極的に入園させるように努めた時期もあったのですが、ここ数年、そのような子も入ってこなくなりました。

 はっきりした資料等を手にしていないので自信を持って言えないのですが、学校の非行児に対する指導体制が整備されてきているのかもしれません。民間に、非行児を受け入れて教育する事業が広まっていることを聞いたこともあります。そのような所が、かつてならば教護院に送られていた子を吸収してしまっているのかもしれません。

 それからもう一つ、学籍の問題があります。これはとても大きな問題で、全国の教護院がこの問題に取り組んでいるわけですが、つまり教護院に入院すると先の児童福祉法第48条と学校教育法第23条の規定により、学籍がなくなってしまうのです。それによる児童の不利が取り沙汰されているわけです。これは親が子の入院に対する大きな懸念材料となっています。このことについては別の機会の述べることにしましょう。

 それではどんな子が入園してくるか、ということですが。結局、教護院にしか入れようのない子が入ってくる、とのようです。


 教護児が変わってきている

 教護院に入院するような子たちを、私たちは「教護児」などと呼んでいますが、はっきりとしたイメージでとらえられているものではないようです。また、時代とともにそのイメージも変わってくるようです。

 教護児について、昔から、三つの特徴をもっていると言われています。すなわち、(1)欠養護性…入院児の60%余りが欠損家庭の子供、また親の養育態度が「放任」であることが多い。(2)学業不振…ほとんど例外なしに徹底した不振ぶりです。知能的には正常かやや低い程度ですが、中学生であっても九九や読み書きが満足できない子が少なくない。(3)忍耐性ならびに道徳性(良心)の欠如…自分をおさえる精神力が弱いこと、良い悪いのけじめがない、というところが入院児に共通するところです。

 人は一般的に、「その子が悪いことをしたから」のように、その子が行った「非行」におもきをおいてとらえがちですが、○○学園に現在入園している児童の様子をみると、どちらかというと「社会不適応」の問題によって、つまり、地域や家庭、学校での生活にうまく適応できなくなった子が、入れられているようです。すなわち、家からも学校からも地域からも見放され、そこにおられなくなってしまった子たち、そのために「家出浮浪」を繰り返し、また「不良交遊」「シンナー等吸引」に至ってしまった、と言ったらよいでしょうか。

 そのような社会不適応状態に陥ってしまう原因はいろいろと入園の書類に記されていますが、例えば、親の知能、両親の不和、親の育児に対する無知無関心、などによる問題を持った家庭環境の中で、上手に躾がなされなかった、社会や集団にうまく適応する術を身に付けることができなかった、またはその子の生まれながらの精神的な特異性があった、というようなことが起点になっているようです。それがために一定の年齢に達した時、「家出浮浪」とか「不良交遊」というような、いわゆる「非行」として表面に現れてしまったとみることができます。

 かつての入園児の多くは、その行ってきた非行の重度さにもかかわらず、性格的には素直で、人の係わりを無邪気に求め、少しの指導で表面的な礼儀正しさを身に付けることはさほど難しいことではありませんでした。

 しかし今、私が学園で係わっている児童の多くが、どうしてもラポールが築けない。職員集団をどちらかというとうっとおしいもの、あるいは自分の敵、というような目で見られているように感じるのです。確かにこのような子は以前にもいました。以前は先に示したような職員の指導にも素直に従う多くの子に混じって、指導上手を焼いたいわゆる「重度児」と呼ばれていた子たちです。つまり今は「重度児」しか入園させなくなってきているといってもよいでしょう。

 具体的に二・三のタイプを挙げてみましょう。

 <事例紹介については削除>

 このような子のほかにも、普段は素直でかわいい子だが、一度興奮し出すと手のつけようがなく、寮舎のガラスを皆割ってしまったというような子(この子は児童精神科に入院していたのですが、そこにはとても置いておけないからこちらに移されてきた)とか、緘黙児で、身体だけは大きくなったが、家庭では動かないし、学校へも行けないから、結局こちらに送られてきた、というような、明らかに精神科領域対象の子たちも入ってきています。

 園内では、寮舎、クラス、そのほかいろいろな児童集団が形成されますが、やはり特異性を持った子たちによって構成されるので、その人間関係は、すごく歪なものになってしまいます。子供たちは、この小さな集団の中でも、必死になって適応しようと試みるのですね。でも、その適応というのは、私たちが普通思っている尺度によってなされるのではないのです。強い者に対するへつらい、新入生いびり、いじめ、村八分、喧嘩、虚言による友達崩し、など。また人間関係についてもほぼ毎日のように変化し、もしソシオメトリック・テストを実施したら毎日その結果が変わって驚かれることでしょう。


 このことを教護院の機能とからめて論じてみましょう。自分自身得られたデータが少なく、またあまりにも単純化し過ぎた図式で皆さんの同意が得られるか分かりませんが。

 かつては教護事業は非行問題対策の一分野としてあり、例えばその子がその家庭の経済的問題等で身に付けてしまった非行癖を、非行を起こす場面から隔離してその子の非行癖を治してきた。(教護院の中にいる間は非行ができない。非行ができない環境の中にあれば年月とともに自然に非行癖が治癒された。)

 近年は、特に具体的な非行が問題になって○○学園に入園してくる子は割合としては少なくなってきています。治療すべき対象は何かといえは、どちらかというと、一般の社会、地域、学校や家庭に適応できなくなってしまったその子の人格であって、ある意味では、児童として自立しそこなった子を、意図的に構成された家庭的雰囲気の中で、再度、育児し直す必要も出てきました。

 だからこのように対象となるべき児童の変化が事実であれば、当然今までの尺度で対応することは必然的に困難になるわけであり、新たに「新しい教護原理」なるものを構築する必要もあるかと思っています。民間の実践の中には、例えば「赤ちゃん返し」というような技法があり、これがかなりの効果を産み出しているとも聞きます。教護院もこのような新しい技法などを取り入れて、現実に対応していかなければならない時期に来ているとも思います。

 このような動きがある中で、ほぼ90年の伝統を持っている教護院の小舎夫婦制が崩れつつあるという傾向は、ある意味で寂しい気もします。

 いや、今述べた児童の変化というものが、この夫婦制の崩れた後の交替制による弊害だ、と主張する人もいます。


 教護院における指導について思うこと

 話を現場のことに戻しましょう。

 よく言われていることですが、教護院の指導は、生活指導、学習指導、作業指導の三つの柱から成り立っています。もちろん○○学園もこれにそって指導体系が成り立っています。体系と言うよりは日課と言った方が適切かもしれません。

 ○○学園では、朝何時に起床、それから寮舎の掃除、それから食事、登校準備、登校、教科指導‥‥そして何時に就寝、と日課にそって指導がすすめられています。そしてそれらはある一定の集団を単位としてすすめられていきます。これは収容施設である以上当然のことですが。

 「教護院における教科指導ほどしんどいものはない」と誰かが「非行問題」誌に投稿していましたが、実際私もそう思います。今年度改めて教科指導を受け持つことになって、その指導のしにくいことといったらありゃしません。以前はいわゆる「落ち着きのない子」としてある種の指導方法があったのですが、今は、教室にいることが苦痛、他人の話を聞くことが苦痛、先生を無視し自分勝手なことをしている、そんな子が目立って、授業が落ち着いてできません。

 週のうち休日を除いてほぼ毎日作業時間が設けてあります。夏の時季は連日草刈りということになります。ある一定の区域すなわちノルマがグループ毎に課せられます。「職員と児童とがともになって」というのが名目ですが、児童を動かして時間までに仕上げなければならないという心理的負担、たまったものじゃありません。

 私たちは「トンコ」と呼んでいますがいわゆる無断外出つまりトンズラ防止にかなりの神経を使います。施設としては塀のない開放構造になっていますから、その気になればいつでも逃げられます。夜間は職員体制も手薄なので、寮舎は錠で閉め切る構造になっていますが子供たちはいろいろ工夫して思いがけない方法で逃げてしまいます。その後の捜索や通報処理、捕まった後の引き取り、何よりも逃がしてしまった後の気分的な後味の悪さ、勤務が終わっても心は落ち着かないですね。

 このほかにもクラブ活動や食事指導、掃除や買い物など、いくつかの指導場面があるわけですが、これらについて国や協会などで定められた指導マニュアルがあるわけではありません。国の財政危機の時期に教護院が国の機関委任事務から団体委任事務に移行したという事実はありますが、それに関係なく、ずっと以前から指導方針、施設運営方針などはそれぞれの教護院独自で行ってきています。全国に57施設あれば57の方法、方針があるといってもよいでしょう。

 少し横道にそれたようですが、先程の生活指導、学習指導、作業指導、その他の指導等を展開するにあたって、どのような原理がそのもとにあるのか、それに触れたいと思います。

 ちょっと問題のある表現とも思われますが、「教護ガキ大将主義」と呼ぶことにしましょうか。そして「反則必罰主義」がそれを支え、そのもとで「日課絶対主義」が堅持され、児童の考え方や希望、心理状態にかかわりなく日課がこなされていくということになります。

 日課が難無くこなされていく――これは生活指導、学習指導、作業指導等のそれぞれが十分に機能し、すなわち職員側からみれば能率的に教護目標が達成されていくように見えることになります。もし来客がそれぞれの場面を見学されたら、児童が先生の指示のもと、行儀良く動き回る姿が見られてきっと感心されることでしょう。

 それでは、私は、教護歴延べ7年目の中堅教護として、上に掲げた原理を信奉し、またそれらを行っていく力量があるかというと、……困ってしまいますね。何と答えたらよいでしょうか。私は異端者なのでしょうか。上手に仮面をかぶることができないのでしょうか。かつては自信を持って行った仕事ですが、今は何故か懐疑的に見えてしまいます。「児童の為に」という主張があります。それがために、指導や日課が多少その子にとって今は苦痛でもやがて役に立つことになると信じていたからそれを自信を持ってやった時期があったわけです。このごろ「児童の立場で」という言葉も聞かれるようになってきました。また「児童の権利に関する条約」についても巷で論議されています。何か今、私たちが行っている仕事が、「職員の都合で」の論理に乗っかっているような気がしてどうも気持ちが落ち着かないのです。

 次のような事例があったので紹介します。

 E子は家出と家の金品持ち出しの常習で両親の怒りを買い、まさに家を追い出されてしまったという状況の子です。学園では月に1度程度の家族の面会を勧めているのですが、その子については入園後数か月経ったにもかかわらずまだ一度も面会がありません。生活上の必要のためにある種の私物の持ち込みは認めているのですが、その子の親は本人の何度もの要請があったにもかかわらず未だに持ってきてくれません。普段は比較的明るくて活動的な子なのです。ある日、たまりかねた教護がその親に電話をかけたわけです。しかしそれに応対した親は「持っていく気はありません」と冷たい返事。それを聞いたE子は怒り、大きな声で喚き散らした後、自分の部屋でふて寝をしだしたわけです。しかし、昼間は部屋で寝転んではいけないというルールがあり、またすぐに寮の作業の日課が迫っています。「日課絶対主義」のもと、ふてくされて寝転んでいるE子を罵声で起こし、彼女としてはとても作業などする気になれるはずがないと分かっていながら作業に参加させなければならない。E子自身はもちろんでしょうが、その子を指導する立場の自分としても何とも言えない気持ちに襲われました。


 現在、教護院は児童福祉体系の一つとして位置していますが、感化院時代からの伝統や事業の蓄積からみると、それは児童福祉、社会福祉の考え方よりも古いわけですね。そうであれば、教護院の事業は児童福祉の事業と言いながらも児童福祉とは少し離れた事業なのでしょうか。実際、私たちが入園児との関係を意識するとき、確かに「こらしめ」とか「社会防衛のため」というような意識がよぎります。しかし教護事業が明らかに児童福祉の事業の範疇にある以上、堅持しなければならない意識は、やはりその対象者となる入園児の幸せの実現であるわけであって、たとえ教育とか治療という大義名分があるにせよ、それが彼等の人権を侵害するものとなってはならないはずです。

 人は誰であっても地域で生活するのが当然の状態ですし、また誰もが持っている権利と思います。しかしもしそこに、地域にいるといろんな問題を起こし、多くの人々に迷惑をかける人がいた場合、その人はどうなるべきか。「公共の福祉」という概念もあり、それは、その人を隔離し、教育・治療を施して、人々に迷惑をかけないような人になったら地域に戻ってくればよい……一応これが正論でしょう。しかし、隔離をしてできる限りの教育・治療を施したにもかかわらず、その迷惑をかける癖がいっこうに治らないとしたら、その人はどうなるか。一定期間以上の隔離は人権侵害と考えるべきでしょう。では期限が過ぎたからとそのまま地域に戻してよいものか。そのようなところに教護院の運用の難しさ、特殊性があるわけです。

 児童福祉法第44条にある「教護する」という言葉の意味するところを考え直してみましょう。

 一般的に、「教護する」ということは、ある種の「治療教育」に内包されたものととらえられています。つまり将来地域に返すことを前提に、その対象者が持っている問題性を除去するための作為を事業者側が施すことといえるでしょう。しかし、この「治療教育」は、地域生活からの隔離が絶対条件でしょうか。もし、地域にいながらでもこの「治療教育」が受けられる条件や状況があれば、それは地域の中でなされるべきです。

 教護院に入院する子というのは、その子が持ってしまった社会不適応性(そうなってしまった原因や責任がその子だけにあるわけではないのであるが)のために、いうなれば、うがった言い方をすれば、地域から追い出されてしまった子ととらえることもできるわけです。社会不適応性ということは、はたして目の敵にしなければならないほどの悪でしょうか。どのような問題を持った子であっても、人として尊重すべきことは尊重し、護らなければならないことは護るべきです。これを前提に「治療教育」を施す。私はこのように主張したいです。「教護する」においては、地域から追い出されたという不利によって失われた生活と権利を保障し護ることが第一条件であり、それが整った上で、初めて「治療教育」を施すことができる、そんな体系の確立を私は夢見ています。

  1991.7.10

 これと同じ年に書いた私の拙文が、全国教護院協議会「非行問題」第198号(1992年3月発行)に載っています。
 [ 1997. 3.20 登載] 
 ※ 教護院は、児童福祉法の改正により、現在は、児童自立支援施設という呼び名に変わっています。
KIK
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