第十二回国会参議院厚生委員会会議録第十号から


昭和二十六年十一月八日(木曜日)
午前十一時二十五分開会
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 出席者は左の通り。
  委員長              梅津 錦一君
  理事
                   長島 銀藏君
                   井上なつゑ君
                   有馬 英二君
  委員
                   上原 正吉君
                   大谷 瑩潤君
                   中山 壽彦君
                   河崎 ナツ君
                   山下 義信君
                   常岡 一郎君
                   谷口弥三郎君
 事務局側
  常任委員会專門員         草間 弘司君
 説明員
  厚生省医務局長          阿部 敏雄君
  労働省労働基準局監督課長     堀  秀夫君
  労働省職業安定局雇用安定課長   富山 次郎君
 参考人
  癩学会長、国立療養所多摩全生園長 林  芳信君
  国立予防衛生研究所長       小林 六造君
  国立療養所長島愛生園長      光田 健輔君
  国立療養所熊本惠楓園長      宮崎 松記君
  名古屋大学教授          久野  寧君
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  本日の会議に付した事件
○社会保障制度に関する調査の件
 (癩に関する件)
 (保險経済に関する件)
 (看護に関する件)
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○委員長(梅津錦一君) これから委員会を開きます。
 本日は社会保障制度に関する調査中、特に小委員会を設けまして目下研究中の癩に関する件を案件にいたします。参考人の先生の御列席を頂きまして、非常にこの委員会として光栄に存ずるわけでありますので、順序不同でございますが、御紹介申上げます。
 国立療養所多摩全世園長の林芳信先生、国立予防衛生研究所長の小林六造先生、国立療養所長島愛生園長の光田健輔先生、国立療養所熊本恵楓園長の宮崎松記先生、名古屋大学教授の久野寧先生の五名でございます。
 私から簡單ではございますが、参考人の先生がたに御挨拶申上げたいと思います。本日はわざわざ遠路御参集頂きまして誠に有難う存じます。癩予防は結核の問題と共に我が国では極めて重要な事業でありまして、その病気の性質から見ますると、むしろ結核より困難な仕事であると思われるのであります。参議院厚生委員会におきましては、前国会以來特に小委員会を設けて癩の問題の調査に当つて参りましたが、本日はこの方面の権威者のかたがたにお集まりを頂いて、いろいろと懇談的に御意見を伺いたいと存じます。本日御出席下さいました光田先生には、全生涯を癩予防事業のために注がれ、多数の学術的な研究をされ、世界の癩研究の上に貢献するところが多く、その実が結ばれまして、今回文化勲章授与の栄典を得られましたことは誠に喜びに堪えない次第でございます。先生を初め皆さんがたの不断の御努力によりまして、又一面貞明皇后様御在世中の特別な御仁慈によりまして、我が国癩予防は最近著しく進歩を遂げ、患者も夥しく減少して参りましたが、今後の癩予防方策には、まだ幾多困難が予想されると思うのであります。現在患者の処置、病院の運営等一段と苦心を要することと思われるのであります。幸いに治療法も進んで参りましたようでありますが、これが改善に対しては更に一層の研究を要するのではないかと思われるのであります。人類におけるこの癩の問題については、学問的にも早く解決せねばならない点が多々あると思います。そういう方面の問題に加えて、社会的に見ても癩患者家族、癩患者を親に持つ子供の問題、その救済、教育等々についても十分な研究を必要とされなければならないと存じます。癩予防法も時代に即応いたしまして改正、改善等の必要を考えておるのでありますが、これらの問題は極めて多角的でありますから、どうぞ皆様がたからそれぞれ御関心の点についてお話を頂きたいのでございます。時間も非常に遅れて申訳ないのでありますが、お一人二十分或いは十五分以内で要点のお話が頂ければ、爾後は懇談会で逐次御研究のほどが伺われることになりまするので、御説明を誠に恐縮ですが、要点だけに簡略されまして、爾後の懇談会で十分盡されないところの御意見を開陳して頂きたいと、こう思いますので、簡單でございますが、要件を兼ねまして御挨拶に代えた次第でございます。
 それでは順序に從いまして林芳信先生から御意見をご披瀝願いたいと思います。

○参考人(林芳信君) それでは今回御通知を頂きました諸問題につきまして、私の意見を簡單に申述べさせて頂きます。
 第一の、我が国癩患者の分布と療養所の問題でございますが、今までにほんの癩患者の数は、数回に亘つて調査いたされ、殊に昨年は四月から八月に亘つて一斉調査が行われましたのでございますが、その一斉調査によります大体の数は、未収容患者が一千六百八十四名という数字が出ております。併しそのうちには未調査の県が五県あるのでございます。それからその当時収容患者の数が、大体でございますが、八千三百人、合計約一万一千名内外の患者があるということになるのでございますが、併しこれにはいろいろと我が国の国情によりまして調査漏れが相当あるように存ぜられるのであります。我々が推定いたしますると、大体一万五千の患者が全国に散在して、そのうち只今は約九千名の患者が療養所に収容されておりますから、まだ約六千名の患者が療養所以外に未収容のまま散在しておるように思われます。でありますから、これらの患者は周囲に伝染の危険を及ぼしておるのでございますので、速かにこういう未収容の患者を療養所に収容するように、療養施設を拡張して行かねばならんと、かように考えるのであります。大体二十六年度末におきましては一万一千の収容能力ができると思います。その上将來なお四千名ぐらいの収容施設が必要なのではないかと思います。この療養所の拡張につきましては、現在あります療養所を適当に増設いたしまして拡張するのがよいかと存じます。癩療養所を新たに創設するということは、いろいろな困難が伴いますので、大体既設の療養所を拡張して行くほうが国家的に得策ではないかと、かように考えている次第でございます。なおこの療養所の拡張につきまして、地域的にどこをどうというようなことも大体考えを持つておりますけれども、後ほど懇談のときに申上げます。ついでに将來癩患者の収容に対する問題でございますが、これは從來の経験によりますると、在宅患者を療養所に誘致するということには相当な困難が伴いますので、これにつきましては在宅患者に十分癩そのものの知識又療養所の現在の状態、それらのことを十分認識せしめ、即ち啓蒙運動が非常に必要でございます。一方又患者が療養所に入所いたしましても、家族のものが生活に差支えのないようにというふうに国家が家族の生活を保障するということが非常に大切なことでございます。而も病気の性質上、その家族から患者が出たということが世間に知れますというと家族が非常な窮地に陥りますので、世間に余り知れないような方法において家族を救済するということも、生活を保障するということも必要だと思います。これに対する意見は後ほど又申上げることにいたします。
 次に癩予防及び治療の問題でございますが、先ほど申しましたように、癩予防は現在のところ伝染源であるところの患者を療養所に収容するということが先ず先決問題でございますが、癩予防の知識普及ということも必要でございますし、又一方現在癩予防法はもうすでに制定になりましてから四十四年を経過しておりまする古いものでございますし、時勢に適合するように適当に改正されることが至当であろうと考えます。まあこの改正につきましても後ほど懇談会のときに申上げたいと思います。
 次に治療の問題でありますが、これは現在相当有効な薬ができまして、各療養所とも盛んにこれを使用しておるのであります。厚生省におかれましても相当な予算が計上されまして、只今のところこの金額に対しての薬の配給は大体必要量は供給されておつて、患者も非常に喜んでおります。先ずその治療の結果も相当に上りまして、各療養所におきましても患者の状態が一変したと申してよろしいのでございます。又このことにつきましても後ほど写真を御覧に入れてよく御説明したいと存じます。なお治療の問題はもう一歩進みますれば全治させることができるのではないかと思うのであります。只今も極く初期の患者でありますれば殆んど全治にまで導くことができておるような状態でございます。なお続いて一段と治療の方面の研究が大切だと思います。
 次に貞明皇后様の記念事業の問題でございますが、これは今まで財団法人の癩予防協会というものを設けてありまして、国費によつてできないものを主として予防協会の事業としてやつて來られたのでありますが、やはりそれを十分強化されまして、又從來の癩予防協会の事業の項に新たな必要な問題を取入れられましておやりになりましたらいいかと存じますが、そのいろいろと事業につきましては、先般の貞明皇后様の記念のために基金の募集がありますが、その基金募集の真の趣旨がよく謳つてございますが、そういうこと、或いはそれより以上に進んで行きたいと私ども思います。これにつきましても後ほど懇談会のときに申上げたいと思います。
 次に国立癩研究所設置の問題でございますが、これは非常に必要なことでございます。殊に癩の研究はほかの結核その他の研究に比しまして非常に困難なのでございまして、その根本でありますところの癩菌培養とか、或いは動物実験というようなものもまた成功しておりません。或いは又疫学的のこと、或いは又体質方面の研究とか、薬理的の研究のこと、或いは生理学的のこと、いろいろ残されたる問題が実にたくさんあるのでありまして、是非これは国家が研究所を設立されまして、十分な研究が遂げられまするように、このことは單に日本の医学の問題ではなくて世界に貢献するところが非常に多いと存じます。殊に癩は東洋方面にたくさんにあるので、今世界に五百万の患者があると言われておりますが、そのうち三百万は東洋諸国にあると言われております。さて東洋諸国において癩の問題を研究し、又将來も大いに研究するという学問の程度にありますのは、先ず我が国だとおもいますが、我が国においてこういう研究所を設立して十分研究して、その応用を世界に向つて発表するということは、現在の日本においては非常な大きな働きだと存ずるのでございます。時間が長くなりますからこのくらいにして置きたいと思います。

○委員長(梅津錦一君) 次は小林六造先生にお願いいたします。

○参考人(小林六造君) 私はこの癩のほうに直接関係しておりませんので、研究所設立、設置の問題のことだけについて私の考え方を申上げたいと思います。私は癩のことに全く経験がないというわけではないのでありまして、三十年くらい前に二年余り慰廃園で癩の治療をやつておりました。そのなにによるのでありますが、非常な関心を持つております。それで癩の研究所設置ということは、これは大変結構なことだと思います。何をおいても一つやつて頂きたいというふうな考えを持つております。と申しますのは、癩の研究はまだその緒についたというところまで、或いは行かないのじやないかとも思われまするし、緒についてやられてはおりますが、成績という点においては根本の問題が解決いたしませんで、從つて療養所におかれます患者の直接の問題が解決されていないので、先ほども申されたように、細菌の培養だとか、或いは動物実験等ができませんことには、人間以外の動物を使つてやるということができませんので、根本問題の緒につくということが今までできなかつたのではなかろうか、こういうふうに考えております。從つて癩の研究所ができますには、どうしても患者を先ず第一に対象にしなければにつちもさつちも行かないというようなことであろうと思う。從つて療養所に併置される研究所が先ず必要になつて來る、こう思うのであります。ところが、私癩の患者を見まして痛切に感じることは、癩という病気ほどむずかしいものもなし、又非常にいろいろの現象を見るのでありまして、恐らくほかの伝染病等におきましても、癩というものを本当に知ることが必要である。つまり癩の研究はほかの伝染病の疾患の研究にもためになる。ほかの伝染性の疾患の研究も又癩に応用して示唆を得て、そうして研究されることも必要であろう、こういうふうに思うのでありまして、ただ癩の研究を癩専門にやるということだけでは好ましくないと思いますし、癩のほうの研究がほかの医学にも大いに示唆を与えるし、癩の研究は、ほかの医学からも示唆を大いに受けることは必要であろう、こういう考えを持つておるのであります。癩の患者を見ますといつもそれを思つて、この夏も見ていろいろな人にそういう話をしたことがあつたのであります。從つて研究所の設立ということは日本の医学のためにも非常に大事なことであろうし、又癩の感染ということと発病との間の関係がはつきり私どもにわかりませんで、たとえ黴菌が入つても、恐らく入り得るチヤンスは非常に多いと思いますが、それでも発病しない人が恐らく相当におるんじやないか、そうしますと、発病する問題というものが一体何か、いわゆる体質だとか何とか申しましても、これはまあ体質と申しますと余りよくわからんということを言うのでありましようから、人間の体質の問題、或いは遺伝等に関係いたしまする体質の問題というふうに考えますというと、非常に範囲が広い、つまり医学全体に関する問題だというふうな感じがいたしまするので、これは是非ともこういつた面に斯界の注目を引くように、そうして医学全体が進んで行くようにこの設立をより希望するのであります。ここでいろいろの関係もございましようし、実際の問題としてはそれではどうしたらいいかというような具体的な問題にも多少話が進まれることだと思いまするが、私はこういうふうな意味合いにこの研究所が将來運営されるような、位置だとか、或いは位置を一にするとか、或いはたくさんにするかということもございましようけれども、これはいろいろの関係がありましようし、一つだけで行くならば、一つでうまく行くような行き方にして頂きたい。それでなければたくさんの療養所に分けておのおの研究ができるように、ほかとの関係が密接にできるような研究態勢にして頂きたい。一方で考えますというと、御承知の通りに、癩の研究に沒頭するという人がそうたくさんあるかないかわかりませんし、一時的にやつて見ようというような人もあるかも知れないし、普通の研究所と同じような態勢で行く研究所ではなかなかうまくやつて行けないじやないか。初めにできたときにはずつと皆人が希望するかも知れませんけれども、十年もたてば一体これではどうしたらいいかというような行詰りになるようなことがあつては困る。こういう方面は又いろいろな諸般の事柄を考慮に入れられた上でとくとお考えになることが必要じやないか、こういうふうなぼんやりしたことではありまするけれども、他の研究所と同じような行き方では、将來何と申しますか、うまく行かないじやないかというふうな考えを持つのでありますけれども、これはいいか惡いかは知りませんけれども、そういうような癩というものが人から嫌われたりなんかするために、これに向つて行く研究所というものがいつまでもやれるかどうか、又研究が非常にむつかしいと私は思いまするので、五年、十年なり、研究が何もできませんというと、行詰るというような方面もとくとお考えになつて、然るべき方法をお考えになることが一番大事じやないか、大体ぼんやりした考えでありまするけれども、そういうふうな考えを持つております。それに関するいろいろな理由等は又ほかに申上げるときがあるかも知れません。大体それだけです。

○委員長(梅津錦一君) 光田先生お願いいたします。

○参考人(光田健輔君) 癩患者の分布ということについて先ほど林先生がお話になりましたが、それで大体を盡しておると思いますが、私ども多年見ておりますというと、全国では癩のまだ残つておる県と、もうよほど百以下になつておる県があります。この県は私どもは前から注目いたしましておるのに、いつでもほかの県よりは余計にある。今日で申しますというと、青森、愛知、大阪、それから九州の諸県でありますが、熊本、鹿児島というこのけんは、いつでもそれ以上或いは百に近いところの数字があるのであります。これは昔から遺伝と言われておるように、一つの村に余計にあるとか、或いはその一つの家族に限つて頻々と出るというようなことで、即ち癩は家族伝染でありますから、そういうような家族に対し、又その地方に対してもう少しこれを強制的に入れるような方法を講じなければ、いつまでたつても同じことであると思います。これは五十年間において、先ほど申しましたところの県はいつでも余計に残つておる。その根拠をつくということが、癩の分布をよく一つ研究いたしまして、そうしてそういうような村とか或いは家族とかいうようなものに目をつけて収容をして行かれるということが必要であるということを痛感しております。そして今日残つておる、まあ二千人残つておると、厚生省の統計によりますと二千人くらい残つておるということを言うておられますが、これは先ほど林君が言うたように、まだよく詮索するというと余計にあるかもわかりません。その残つておる患者を早く収容しなければならんのでありますけれども、大概これが多年努力されて入院を親切に指し示して、何回も何回も県庁のかたとか或いは療養所の職員が勧めるのでありまするけれども、これに応じない者が非常にたくさんでございます。そういうような者に強制的にこの癩患者を収容するということが、今のところでは甚だそういうところまで至つていないのであります。知事が伝染の危険ありと認めるところの者は療養所に収容するということになつておりますけれども、次第次第に……元は警察権力の下にあつたのでありますけれども、今日は一つも経費がないと言つたらおかしいですけれども、主に保健所の職員に任せてあるようなのであります。これは以前よりは非常にこのために収容もむずかしいようになつております。この点について、特に法律の改正というようなことも必要がありましよう。強権を発動させるということでなければ、何年たつても同じことを繰返すようなことになつて家族内伝染は決してやまないと、これが第一番と第二番に御諮問になつたことに対する私の意見でございます。
 それから予防治療、予防するのにはその家族伝染を防ぎさえすればいいのでございますけれども、これによつて防げると思います。又男性、女性を療養所の中に入れて、それを安定せしめる上においてはやはり結婚させて安定させて、そうしてそれにやはりステルザチヨン即ち優生手術というようなものを奨励するというようなことが非常に必要があると思います。一旦発病するというと、なかなかこれを治療をするには、一見治つたように見えますけれども、又再発するものでございますから、治療もそれは必要でありまするが、私どもは先ずその幼兒の感染を防ぐために癩家族のステルザチヨンというようなこともよく勧めてやらすほうがよろしいと思います。癩の予防のための優生手術ということは、非常に保健所あたりにもう少ししつかりやつてもらいたいというようなことを考えております。現在の治療というものがどのくらいの程度かと申しますというと、ひどく癩菌が増殖して潰瘍を作る、その潰瘍を治癒せしめるということだけはできるのでありますけれども、すでにできたところの神経の症状、癩性神経炎というようなものについては、これは神経の中に神経繊維の再生はできないのであります。それでありまするから依然として癩菌が少くなつたから、これを出すことができるものならいいが、依然として、そういうような患者さんは外部において又いろいろの職業に從事いたしまするというと、又ひどく破壊が起るのであります。現在の有力なる治療でも再発を防ぐということはなかなか私はむずかしいように思うのであります。それで今までの経験上癩予防事業のうちで一番重大なものは、患者を安定せしめるということであると思います。これには内部の休養、及び治療というようなことを十分にいたして頂き、又先に林君も言つたように、その家族の者が生活の不安になつて來るのを防いでやるということが必要であります。この中にはいろいろの社会法がございまして、これを応用して患者の残した家族を十分に見てやるということが必要でございます。
 貞明皇后の記念事業に対しては、私どもまだ一つも手を付けておりませんが、これは中央においていろいろ御配慮のあることと思いますけれども、共同募金と混同するような時期においてこれをやるということはちよつと困るのではなかろうか。十二月に、或いは十一月に共同募金を募集いたされまするのならば、そういうようなときよりも、六月二十五日の癩の予防デー、その前後にこういうような問題を推進されることがよいのではなかろうか、まあこれはこの問題についての意見であります。
 それから国立療養所の問題でございますが、この問題については九州に置くがいいとか或いは東京に置くがいいというようないろいろの御意見もあると思います。無論中央において多摩全生園の設備もありまして、これに結び付けて中央に研究所を置かれることもよかろうと思います。又熊本のほうの療養所と九州大学或いは福岡大学というようなものと結び付けて、研究所を新たにおこしらえになるということも結構であろうと思います。今まではただ癩の治療というばかりで、これのもう少し立入つたところの研究というところまでは行つていないのでありますから、今後においてその研究所をおこしらえになるということは非常に結構なことと思います。研究所にはやはり各療養所から出かけて行きまして講習を受け、それに協力ができるようにお願いしたいと思います。研究所がただほかのほうの研究施設の顕微鏡も皆そのほうに取上げてしまうとか、或いは機械等も、相当日本の国立療養所は研究の一端くらい皆やつているのでありますから、十カ所のその療養所の中に研究設備を整えておやりになるということは、そこにいるところの医官を安定せしめる上において非常に必要であります。癩の研究は先ほどもお話がありましたが、黴菌の培養等のことも重大でありますが、この臨床上の研究というものが非常に必要のように私は考えるのであります。それでありますから十カ所の療養所の医官はその所々において臨床上なり、或いはほかの培養とかいうようなことも各療養所においてできるようにして頂きたいということをお願いするものであります。
 そのほか癩予防の参考になることは、私はかねてから朝鮮人の内地移動の問題、移動が、癩になつて移動するのならばよくわかりますけれども、癩の症状が素人にわからぬうちに入つて來るのが多い。これはどういうわけかと申しますというと、朝鮮の全羅南北道と慶尚南北道、この四道において癩の巣窟があるのであります。そこには、ウイルソンの話によるというと二万五千人の癩患者がいるということであります。それが頻りに子供を生み、そしてその子供が癩にかかるというようなことで、内地においては二千とか三千くらいまだ癩患者があるというのですが、朝鮮には二万有余のものが内地の近い所に巣窟を作つているのであります。この問題を如何にするかということについて私はかねてから非常に憂慮している者でございまして、一昨年に見ましたときには全国の十カ所の療養所で四百五十人ほど入つていた。今年の六月頃又調べましたところが、全国の十カ所の療養所に五百人の患者が入つている。この頃又収容を始めますというと十人の中に一人なり二人の朝鮮の患者が入つている。これはやはりみんな調べて見ますというと、その本籍地は四つの朝鮮の南の道であります。これは予防上非常に注意すべきことでありまして、御承知のごとく、全羅南道の高興郡の小鹿という所に元六千人の収容所を建てておりましたのでありますが、それがやはり日本の管理下にあるときには六千人充実いたしておりましたけれども、今はどういうふうな状況になつているか私どもはよく知ることができません。こういうような収容施設にやはり六千人おれば、その中の三百人とか四百人というようなものは毎年死ぬのでありますから、その後に朝鮮にいるところの患者を入れるように、日本の総督時代にはそういうふうになつておりましたけれども、こういうようなことをもう少し実際朝鮮の人たちからも聞き、小鹿島の状況なんかをよく観察して、そしてそこに日本の力を加えてやる、或いは国際連合の力を加えて、そうして元通りに復興さしてやるというようなことが必要ではないかと考えます。これは今予防上についての御参考に申上げましたが、要するに私は沈澱している全国の患者を極力療養所に入れるためには法の改正をする必要があるという意見であります。
 それからもう一つ、予防上から申しておくのは、療養所の中にいろいろ民主主義というものを誤解して患者が相互に自分の党を殖やすというようなことで争いをしているところがございますし、それは非常に遺憾なことで、患者が互に睨み合つているというようなことになつておりますが、これは患者の心得違いなのでありますが、そのためにそこの從業員が落着いて仕事ができないというようなことになつておる。結局は患者の非常な不幸になつて参ります。こういうような療養所の治安維持ということについて、いろいろ現状を調べましたり、強制収容の所をこしらえたり、各療養所においてしておりますけれども、まだまだこれが十分に今のところ行届きませんので、こういうようなことをもう少し法を改正して鬪争の防止というようなことにしなければ、そういうような不心得な分子が院内の治安を紊し、そうして患者相互の鬪争を始めるというようなことになるのでありますから、この点について十分法の改正すべきところはして頂きたいと存ずるのであります。以上でございます。

○委員長(梅津錦一君) 宮崎先生一つ。

○参考人(宮崎松記君) 私はお与え頂きました時間で説明し盡すかどうかわかりませんので、いつでも時間の関係で委員長からやめろと言われればやめますから、どうか御注意を願います。御希望の時間だけ喋らせて頂きます。
 一体日本の癩でいわゆる癩療養所に収容をしなければならない患者はどのくらいあるかということでありますが、現在統計に載つております数は誰が見てみましても本当の数字でないことははつきりしておりまして、私どもから申上げますと、極端かも知れませんが、この癩の患者の数と申しますのは、衛生当局が努力をすればするだけ出て参るのであります。数が少い所は実際それだけないかと申しますと、これは私はそうばかりは考えないのでありまして、癩の数を出しますことは古疊を叩くようなものでありまして、叩けば叩くほど出て來るのであります。ただ出て來ないのは叩かないだけのことで、もう少し徹底的に叩けばもつと出て來るのではないかと思います。九州ではそれではどのくらいの収容をしなければならない患者があるかということでありますが、本來の五月に九州各県の衛生部長に集つて頂きまして、いろいろな意見を聞きましたところ、九州各県では、登録してありまする未収容患者は九百九名でありまして、各衛生部長の推計いたしました数は千七百六十七名となつております。從來どうして古疊を叩かなかつたかと申しますと、叩いて塵を叩き出すと、塵のやりどころがない。病床はいつも満員で、実は私どもの所も満員続きでありまして、折角きれいにしようとしても叩いた塵を持つて行く所がない。それで衛生当局は幾ら叩き出しても始末に困ると、むしろ叩かないでそつとして置いたほうがいいということを言われます。そう言われますと、受入側である療養所側は何とも言いようがないのでありまして、幸いに衛生当局におかれましては今春に癩病床の画期的な拡張をして頂きまして、この点の解決は漸次進みつつあると思います。それでこの癩の病床の問題でありますが、必ずしも病床数の予定は、現在未収容患者が幾らかあるからという数に合せないで、私は癩の問題を解決するためには、むしろ上廻つた病床数を用意する必要があると思います。そういたしませんと、癩はさあ患者が出たから是非入れてくれと言つても、なかなか一挙に入れるものではありませんで、やはりこれは時をかさなければ収容が徹底いたしません。いつもこのベツドの裏付けを持ちまして、いつでも探して連れて來てくれという態勢を整えませんと、ただその場その場の病床の拡張で未収容がどのくらいあるから、どのくらいのベツドを用意するということでは私は徹底いたさないと思う。それで将來癩病床拡張の計画をするときには、一応癩の病床を充実してこれに応じられるようにして頂きたいのであります。癩予防法制定当時はいわゆる癩収容所への対象を浮浪徘徊の癩患者に限つておりましたので、いろいろな困難もありましたけれども、とにかく患者を収容の対象とすればよかつたのでありますが、その後収容の対象の限定を解かれまして、すべての癩患者、在宅有財の癩患者もこれを収容するということになつて参りまして、そういたしますると、患者自身を入れるだけでは解決が付きませんで、どうしてもそれに付随して起りまする社会問題を全面的に解決いたしません限り、患者を収容しろということは実際無理になつております。從いまして單なる患者の収容というだけでは将來癩問題の解決は困難でありまして、これに付随して起る社会問題を徹底的に解決するということが必要になつて参ると思います。
 それで保育所は漸くできまして、子供に関する限りその問題は心配はないのでありますが、特に戰後の問題といたしまして、老人の問題が切実な問題となつて参りまして、一昨年來癩患者の養老院、これを癩予防協会で作つて頂きまして、熊本に一カ所ございます。これは癩患者が一家の経済を支えておりました場合に、患者の入所によりまして被扶養者である老人が直ちに生活に困りますので、これを救う意味のものであります。それからだんだんと収容が徹底して参りますと、結局いわゆる沈澱患者となつて参りまして、もうだんだん底に沈んだのを汲み上げて行かなければならないということになりますから、今までに経験しないいろいろな困難が予想されております。患者を一人収容いたしますためには、結核などは待機患者が病床数の何倍とありまして、押すな押すなの状況でありまして、病床が準備されれば直ちにそれは満たされるのでありますが、癩の場合には病床の準備と、これが満床になるかということは、全く別個の問題であります。患者一人を収容しますためには、先ずその所在を発見しなければなりません。およその見当を付けて患者のありかを見出す。それからそれが果して本当の癩患者であるかどうかを見ますために検診に参ります。それは療養所の専門の医官或いは衛生当局の専門の者が参りまして、それを確定いたします。確定いたしますると、入所の勧誘をいたさなければなりません。その勧誘も一回ではなかなか応じませんで、何回となく参りまして、やつと勧誘に応ずる、勧誘に応じますると、自動車その他輸送機関を以ちましてこれを迎えに参るが、島でありますれば、船などを用意しまして迎えに行く。迎えに行きましても、ときには留守をいたしますとか、或いはほかに姿を晦しましていない。折角船や自動車を用意して遠距離の所に参りましても、そのまま帰つて來なければならないというようなことで、癩患者一人を収容しますためには、多大の時間と多額の経費と、非常な労力を要するのでありまして、癩問題将來の対策としましては、こういう点についても十分人と予算の面をお考え願わなければ徹底しないと思います。時間が迫りましたらどうぞおつしやつて下さつて……、いよいよ時間が足りなければやめて又午後のときでもいたしますから……。

○委員長(梅津錦一君) 午後は午後でいろいろお話願いますから、あと七、八分まだ……一時少し前には都合がありますから……。

○参考人(宮崎松記君) これは具体的にお話をしませんと、ただ抽象的な話をしましても御理解が行かないと思いますから、例を挙げてお話しましたほうが却つてはつきり御理解が行つていいと思います。癩患者の収容の如何に困難なものであるかという例を一、二申上げます。これは最近熊本県下の某村において起りました事件でありまして、本園野医官が参りまして癩という診断をいたしまして、県衛生部から収容の通知をいたしたのであります。ところがこの患者がたまたま村長の甥であつたというために、衛生主任の報告によつてその村長の甥である患者が収容されたのであるということになりまして、衛生主任は村長から職を罷免されたというようなことがあるのであります。こういうことでありまして、現実の問題としまして、癩の事業に携わる者は職を賭す覚悟がなければ、徹底的な仕事ができないというふうな実情であります。それからもう一例は、これも熊本県下某村において起つた事件でありまして、収容の通知を受けました患者が、自分が癩であるということがわかつたのは、衛生主任がこれを県に報告したからだということを逆恨みいたしまして、一家謀殺を企てて、ダイナマイトをその衛生主任の家にぶち込んだのであります。幸い傷害で済みまして、死亡には至りませんでした。これは検事が直ちに起訴をいたしまして、現に私の所で収容いたしております。第一回の公判を九月の末にやりました。第二回の公判をこの十日にやることになつております。こういうことでありまして、いわゆる癩のフイールド・ワークというものは、なかなか普通の事務的な仕事ではできませんで、これに当る者はへなへなのへつぴり腰ではなかなかできませんので、相当強い信念と熱意を持つていなければできないのであります。それからこの収容の責任を持つております県の職員は、場合によりますといろいろな圧迫に会うのであります。収容しては困るということで、政治的な圧迫を加えて参ることがあります。それで熊本県ではこの保健所とか地方の衛生当局にはやらせませんで、直接県当局が癩問題に限つては末端機構にやらさないで、県自体がやるということにいたしておるくらいであります。こういつた非常な苦心と努力を払いまして、患者を療養所に送つて参ります。折角これだけの苦心と多額の経費とを使いまして送つて來た患者が、十人が十人とも療養所に落ち着けばいいのでありますが、ときには十人に一人、二十人に一人脱走して郷里に帰つてしまうようなことがあるのであります。そういたしますと県当局としては、四囲に感染の危険ありとして収容命令を出して収容した患者でありますので、国立癩療養所から勝手に出てしまつたということで、収容所当局は県並びに関係の向きから非常に責任を追究されて参ります。これは尤もなことであります。併し癩療養所は刑務所ではありませんので、職員も僅かでありますし、そういつた拘束の設備を持つておりません。飽くまで病院でありますので、この逃走を積極的に防止するということは、現実の問題としては絶対的に私ども保証できない事情にあります。なおこの癩予防法によりまする懲戒検束野規定が、最高検察庁ではやつてもいい、憲法違反ではないという方針はお示し頂いたのですが、施設における現場におきましてはいろいろな問題が考えられまして、思うように癩予防法に規定してありまする懲戒検束規定を適用ができない事情にあります。それと一方患者のいわゆる自由主義のはき違えで、癩患者といえども拘束を受けるいわれはない、自由に出歩いたつて何ら咎むべきでない、結核患者を見ろ、同じ伝染病で、結核患者は自由に出歩くことができるのに、癩患者が出歩いてはいけないというようなことはないというようなことを申しますような状態であります。これにつきましては一つ国のほうで十分お考え下さつて、如何にしたらこの療養所がこれを完全に断行し得るかどうか、これは十分お考え願いたいと思います。
 それから癩療養所の問題でありますが、これは癩予防法制定当時は、先刻申しましたように、浮浪徘徊の患者を収容いたしておりまして、極端に申しますれば、病院じやなくて収容所だと、光田先生などはその当時御経験になつておりまして、どうお考えになつたか知りませんが、私どもから申しますれば、その当時は病院でなくて一つの収容所に過ぎなかつたという感じを持つております。そういう伝統と申しますか、歴史と申しますかが禍いいたしまして、現在の癩療養所もまだ十分病院の形を整えませんので、むしろ一部収容所の感があるのであります。でそれと申しますのは、今癩療養所の運営の実情を申しますと、運営の大部分を患者の精神的並びに肉体的の労力に依存しておるような現状でありまして、結局実力を持つておりますので、実際の運営面に患者が大部分干与いたしておりますので、遺憾ながら運営の実権を患者に握られておるような結果になつておりまして、施設の運営上この点が致命的な欠陷となつております。さつき光田先生からもお話のありましたように、患者の対立抗争、延いては園の施設上の非常な支障になることが往々にしてあるのであります。で癩患者も現在におきましては、私ども結核と同じように取扱いまして、癩療養所も病院的な性格をこれから十分持つようにいたすべきであると考えております。患者の看護や治療の介抱などは、当然この際職員の手でやるようにして頂きたいのでありまして、現在の全国療養所の実情は看護や治療の介抱或いは付添、そういうようなところまで患者の手を借りなければ国立癩療養所は運営して行けない実情にあるのであります。実に情けない状態でありまして、私はこの委員会の席上、委員の皆さんが十分この実情を御認識して頂きたいのであります。時間がありますれば、具体的なことを詳しく御説明申上げたいと思つております。職員の定員に一例を挙げて見ましても、丁度道を一つ隔てまして隣りに国立結核療養所の再春莊がございます。この患者収容定員は七百七十名でございまして、惠楓園の患者収容定員は千七百名でございます。その職員の数を比較して見ますると、七百七十名の結核の療養所には二百五十七名の職員がいます。千七百名の収容癩患者に対しましては百七十三名でありまして、これでやつて行けということであります。医師一人が百七名の患者の治療に当らなければなりませんし、看護婦は一人当り三十四名の看護を受持たなければならないという実情にあります。この癩の隔離の問題で十分根本的に考えて頂かなければならない問題でありまして、私ども今までただ癩は隔離するということでよつてまいりましたが、只今患者の自覚と申しますか、そういうことから同じ伝染病である結核は、私の所には丁度道を隔てて隣りに国立の結核療養所があります。そこの患者はまあ出て歩く。併し事癩患者になると一歩この境界を出てもつかまつて懲戒検束をやるとか、周囲からやかましく抗議をされるというのはなぜかということをたびたび質問を受けるのであります。何故に癩患者は隔離しなければならないか、隔離を以て臨まなければならないかという、結核患者はなぜ隔離しなくてもいいかということの根本問題を一つはつきりして、私どもは隔離の根本理念を確立して頂きまして、患者が如何ように申し参りましても、こういう方針だと私ども確信を以て患者の隔離を断行できるような理論的な裏付けをして頂きたいと思います。
 癩の治療医学は最近非常に進歩して参りまして、林園長もお話になりましたように、私ども今までにない画期的な希望を持つております。併し何んと申しましても癩の特異性がございまして、癩のこの病変は体表面に主として病変が起りまして、このために癩が或る程度進みますれば、物資欠損が起つて参りますし、又畸形を生じて参ります。それから強度の瘢痕が出て参りまして、如何に特効的な治療薬ができましても、すでに欠損した身体の一部分は再生して参りませんし、畸形になつた部分は元に復するということは困難であります。結局或る限度を超しますと如何に癩を治療いたしまして、私どもが医学的にこれは治癒したと申しましても社会復帰ができない状態になります。結局医学的には治癒することになりましても、社会的復帰ができないということは、不治と同じであります。今まで癩が不治だ不治だと言われましたのは、社会復帰のできないような状態の癩患者を持つて來て、これを治せと言われますと、たとえ私ども医学的には治つたのだ、黴菌もいなくなりますし、十数年或いは何十年と病症は停止いたしまして臨床的には癩そのものは治つたと言つても社会復帰のできない状態でありますと、それを癩療養所から解放することは事実上できない、從つて不治だという考えを与えておるのでありまして、やはり癩の初期に、そういつた治りましたならば直ちにこれが社会復帰のできるような国としての措置をとつて頂きたいと思うのであります。私どもがまあこれは治つたと、それで私はこれは対社会的治癒と医学的な治癒と申しておりますが、対社会的な治癒と申しますれば、同時に解放、社会復帰のできる状態になつた治癒を対社会的な治癒と仮にそういうふうに名付けておりますが、これは早期に入れば入るほどそういつた治癒率が高まつて参るのであります。癩の自然治癒ということは決して不可能ではないのでありまして、私どもの経験からしましても、それほど特効的な治癒をしないでもかなり治つて参るのであります。戰争中傷痍軍人癩を私ども取扱いましてこのことがかなり私どもはつきりしましたと思います。由來傷痍軍人癩患者は、当時軍隊におりまして、軍の衛生管理下に置かれておりましたために、早期に発見されて強制的に療養所に後送、送致されて参りましたために非常に、いわゆる治癒率がよかつたのでありまして、私どもは十七・八%だけ対社会的の治癒をさせて退所せしめた経験を持つております。併しどうしてもこれはさつき光田園長からもお話がありましたように、癩といえども再発がないのじやないのでありまして、約十五%の復帰がありまして再び入所いたしております。或いはもつと多いかも知れませんが、とにかく再発をいたしまして帰つて來たのが約十五%であります。
 それから予防効果の問題でありまするが、私は癩は努力すればするほどそれに比例して効果が挙るものだと思つております。反対に折角やつた癩予防対策も中途半端なものでありますれば、いつまでも解決いたしませんで長く禍根を残す。癩問題はやるならば徹底的にやるという方針をとつて頂きたいと思います。いつまでもだらだらやつているのは禍根をいつまでも残すだけでありまして、この際若しおやりになるならば徹底的にいわゆる完全収容、根本的に解決をして頂くということにして頂きたいのでございます。よく隔離の効果についてノルウエーが挙げられますが、ノルウエーは今から百年ばかり前にあの小さい国に三千以上の癩患者があつたと言われております。併し有名な癩学者のハンゼン以下関係者の非常なる努力によりまして、漸次減少いたしまして最近ノルウエーのベルゲンの第一病院からの便りによりますと、リーという有名な病院長が歿くなりまして、現在はネルソンという院長でありますが、その院長からの便りによりますと、現在ノルウエーには十二名の癩患者がおる。そのうち十一名は病院におつて、ただ一名が未収容、在宅だということであります。そしてこの数年間に新患はただ夫婦の患者一組だけだつたという手紙が参つております。こういうふうに、努力さえすれば癩問題は解決するのでありまして、私はこういつた手紙を日本の癩所長から外国の癩の所長に大きな顔をして書くときが來ることを夢に描いております。もう日本にはすでに十二名の患者しかない、そうしてそのうちの十一名は病院におるが、ただ未収容は一名だというような手紙を私は諸外国に出し得る日の日本にも一日も早く來ることを熱望してやまないのであります。
 それから癩の増床計画は、私これは結核の対策と不可分のものと考えて頂いてもいいのではないか。癩は努力さえいたしますと漸次なくなりますし、癩がなくなりますれば、この施設は直ちに結核に転用できると私は思います。惠楓園の隣りにはサナトリウムがありますが、若しこの患者がなくなりますれば惠楓園の施設は全部を挙げて結核施設に転用できるのでありまして、その意味でも癩だけだというのでなくて、結核対策と不可分にお考え下さればかなり予算的な問題も解決できるのではないかということを考えております。
 それから名称改変の問題でありますが、アメリカではすでにハンゼン氏病というように一般に申しております。癩は結核と同じように慢性伝染病であるにかかわりませず、癩に対しましては昔から宗教的、迷信的な偏見が付きまとつておりまして、天刑病だとか、業病だとか、遺伝だとか、不治だとかいうような特殊な考え方が一般に支配的になつております。從いまして患者自身の苦痛は、病気による肉体的な苦痛だけでございませんで、患者自身は勿論、その関係者はこういつたような特殊観念に基きまする対社会的な重荷に苦しんでいるような実情であります。癩に起因いたしますいろいろな悲劇、これは新聞の社会面の深刻な記事として問題になります。いろいろな癩の社会的な悲劇はすべてここに胚胎しておりますので、このような偏見を除去いたしまして、癩を一般に科学的に認識せしめまして、こういつた癩患者の対社会的な重荷をとつてやるということも、癩問題解決の大きな私は役割だと考えております。癩も結核と同じように慢性伝染病でありまして、私どもはさつき小林所長からもお話がありましたように、感染と発病は別個だと考えております。從いまして戰争にでもなれば結核が殖える、軍公務に関連して患者が殖えるだろうということは当然予想しておつたのでありますが、果して日華事変勃発以來、太平洋戰争終結まで、相当の軍人癩患者が出まして、私個人の推定では約六千と推定いたしております。戰時中は軍当局並びに恩給局当局も、癩発生の軍務起因性を認めまして、これまで癩は二等症である、癩は軍勤務に関係がないとして何等恩給法上の恩典に浴していなかつたのでありますが、今次戰争の経験によりまして、癩患者の、癩発生の軍務起因性が認められまして、今後結核と同様に一等症として癩患者も恩給の恩典に浴するようになつたのであります。戰争の影響によりまして癩の増加することは從來の歴史にも見られていますことでありまして、戰争中並びに戰後におきましては当然癩が増加するであろうということが考えられます。併し戰争状態の回復に從いまして癩も又当然減少して來るとは考えますが、この際癩予防対策の度を決して緩めないように、最後の完全収容に向つて努力を傾注して頂きたいのであります。
 それから貞明皇后の記念事業の運営につきましては、私はこの前の癩予防協会の経験からいたしまして、折角募金なさつた多額の貴重な寄付金は、幾ら多額でありましても、これを経常的に使いますと限りがありますから、折角のこの募金は、私は臨時的な費用に充てられまして、これで根本的な施設をして頂く、そうして経常的なことは社会保障なりその他の費用で出して頂くように御計画なされることが賢明ではないかと、こう考えております。
 国立癩研究所の設置につきましては、私どもも大いにお願いいたしたいのでありまして、是非これが早急実現を図つて頂きたいとお願いいたします。
 それから最後に癩患者の行刑問題でありますが、厚生省の努力によりまして、法務府もいよいよこれをやることになりまして、只今惠楓園に癩刑務所を建設中であります。昭和二十七年度から法務府は癩に関する行刑の業務を開始することにしておりますが、私どもいろいろなことが予想されるのでありまして、たとえ癩刑務所ができましても、この癩の行刑を徹底させますためには国といたされましてもいろいろな点で十分なる準備と考慮を払つて頂きたくお願いいたします。
 詳細具体的なことは時間がありますれば懇談の席で申上げたいと思います。以上であります。

○委員長(梅津錦一君) ちよつとお諮りいたしますが、丁度時間も午後一時になりましたが、これで一先ず打切つて、食事を済ませて次の午後の部に入りたいと思います。二時ぐらいから如何でしようか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○委員長(梅津錦一君) それでは、久野先生には午後の部のほうに廻つて頂いて恐縮ですが……。
 それでは暫時休憩いたしたいと思います。
   午後一時一分休憩
   ――――――――・―――――――
   午後二時十一分開会

○委員長(梅津錦一君) それでは休憩前に引続いて厚生委員会を開きます。
 久野先生の御意見を一つお聞かせを願いたいと思います。

○参考人(久野寧君) 私はここに今日おいでになつておるかたがたと違いまして癩の専門家では全然ないのでございます。小林さんもさつきそういうようなことをお話でありましたが、小林さんよりも更に専門の遠いものでありまして、ただ私は長年医学全体の研究促進というような仕事をしておりまして、そういう関係から癩というものもその中の一つとして取扱つたわけなんです。そういうわけでありますからここに申上げます事柄も、結局はさつき小林さんのお話になつた国立癩研究所と癩の研究という問題に終始するわけであります。それから或いは癩の予防治療というような問題にも多少関係があるのじやないかと思うのであります。そういう意味の意見ということにして御聴取を願いたいと思うのでありますが、私そういう意味からして、もうよほど前に、もう十年にもなりますが、癩の研究班というものをこしらえまして、今そういう研究が行われておりますが、昨年からさらにもう一つ、癩の一般医学的研究という研究班をこしらえまして、只今ではその二つの研究班がその癩についての研究を実行しておるという状態なのであります。で先ず第一に、癩というものに対する一つの見解というものを持つことが必要なんでありますが、一体癩というものは先ほどからたびたびお話のありました通り、その疾病としては実に不幸な、嫌惡と言いますか、排斥というようなことを受けている、いわゆる天刑病という工合に、これほど虐待されている病気というものはほかに類がないわけです。これは結局体が変形して醜くなるということと、それが不治であるということに全くかかつていると思うのであります。若しこういう病気を治癒することができるということになつたならば、癩に対する考え方も、社会の認識というものもすつかり変りまして、これは癩患者にとつても大変な恩恵で、これくらいの恩恵というものは現在の医学でもちよつと少いだろう、若しそういうことが成功するならば……ところが近來になりまして相当有効な薬品ができて参りましたということで、どうやらこの癩の治療というものはそのうちに、遠からないうちに可能になるのじやないかというような気がするわけです。この事柄が癩の研究に対して非常に拍車をかけなければならない時期になつている。もう一つ申しますと、二本という所は国内に癩患者を持つている唯一の文化国であります。研究設備が十分整つておりまして、そうしてその国に癩の患者があるという所はほかに例がないのであります。そういう意味から申しますならば、日本の医学者のこれは面目にかけても是非やらなければならないことであるという工合に、非常に私どもは痛切に感ずるわけであります。先ほどからのお話のように、日本には癩の患者が多いのでありますが、併しながら癩を駆除する、国内から駆除するというならば、現在のような何と申しますか療養所の設備がだんだんに十分になりまして、もう今まで相当にあるところの数千の癩患者をそこに収容するようになれば、結局は日本からが癩というものがなくなるでありましよう。先ほどノルウエーのお話がありましたけれども、ノルウエーは百年前に何千人という患者があつたのですから、これからまあ人の一生六十年と見まして、完全な設備をして、これから百年たてば日本でも恐らく癩患者は十数名ということになり得るだろうという工合に私は考えるのでありますけれども、併し多数の癩患者というものがこの東洋諸国にある、三万以上もある、恐らくもつとあるのじやないかと私は思う。そういう諸国の人々に対して、この日本の医学がこの癩の治療に成功したということになりましたならば、これはもう非常な恩恵であり、又非常に有効なことではないかというような工合に、実例的の方面からはそういうことも考えておるわけであります。けれども癩というものは非常にむずかしい病気でありまして、それに関するところの知識というものは実に不備なんです。これが癩患者が社会から虐待されたるごとく癩病というものを医学者が虐待しておつた。今まで癩の研究というものは少数の本当の篤志家の癩学者だけ、或いは細菌学者、皮膚病学者というようなそういう限局されたかたがたによつてのみ研究されておつたのでありまして、一般医学者というものはそれに殆んど無関心、或いはそれを恐れる、研究をするというような面から余り好んでそういう研究を行わないということがこの知識の発展しなかつた大きな原因なんです。昨年から行われました一般的癩の医学研究というものは、結局癩というものをもつと広い医学の各専門から見て、これを観察しない限りは、画期的な発展というものがないという考えから、そういう人々を一つ集めようとして随分努力したわけなんであります。然るにこれがなかなか、こちらから大体見当を立ててお願いしたのでありますが、なかなか進んでやろうというかたは少い。併しながら只今のところ二十数名の班員を置きまして、いろいろの新らしい研究をしておりますが、非常に、年月としては一年半足らずでありますが、相当の実際の効果を上げたのであります。若し専門の興味のあるかたでありましたならば、そのことをお話してもよいのでありますが、概論として、ここでは一々申上げませんが、理論としては……。
 そこで今私はそういう癩というものの研究が全面的に発達して参りますと、そこで初めて癩病の本当の系統的な知識が成立ち、そこから又本当の癩の治療、予防という方面に効果が上つて來るものと私は考えておる。それをやらないで、基礎のことをやらないでおいては、いつまでたつても何もできない、そういうふうに私は考えるのでありまして、そういうことが日本にできたならば、世界の医学書の癩というものの記載が日本の研究によつて一変する。そうしてその結果として、こういうような結果ができたということになるということも、日本人の、日本の医学者にかかつておるところの責任であり、又その面目にかけてもしなければならないというように私は考える。そこで從つて今度国立研究所が建つということになれば結構でありますが、只今申上げたような趣旨から、この研究所というものは非常に多方面の、相当医学の多方面の知識を集めたところのものでなければならない、こういうことが第一に要望されると思うのです。そうしてその研究は相当広い方面、先ほどの体質の話がありましたが、体質はやはり癩にかかる体質というものは必ずあるに違いない。だがどういう形であるかということが今わからない。そうして今のところは癩というものは初感染の径路ということさえもわかつていない。初めの病気がどういう形で起つて來るかということさえもわからない。そういつたような事柄の、つまり診断法の発達というふうな事柄は、或いは現在療養所に収容されているところの患者を対象としてはできない。もう発病してしまつたものでありますから、そのほうではいけないので、癩の相当濃厚に発生する地方、まだ癩患者であるかないかわからないような人を対象にして研究をしなければならない。もう一つは、その家系調査ということが非常に必要で、体質なんかの問題も、一体癩の患者が本当に一定の家系に伝染して蔓延して行くものであるか、或いはそうでないか、接近しておるところの隣の家から起るものであるかというような、そういうような調査というものが、現地調査というものが非常に必要なのであります。そういうような事柄から、つまり療養所の中の研究と同時に、その環境において一般的の問題、ただ少数の例を挙げたのでありますけれども、そういうような一般的の研究のでき得るような地方を選んでこの研究所を置かなければならない。又そういうことをするような人を選ばなければならないと思うのであります。この研究はもう一つ、その研究員として必要なことは、やはり献身的な考えの人でないと、なかなかやつて行けない。今の癩の療養所の所員、諸役員のかたがたのような心がけの人がその研究員になつておらない限りは、やはり研究というものは進みやしないのです。だから専任の人というのは、そういうような人を一つよく選んで、そうしてその人が本当に研究の主体となつて、促進力を持つた人を置かなければならない。併しながら一方におきましては、これは方面の広いことでありますから、方々へ研究を嘱託して、嘱託の職員というものは、これは広く全国にあつて結構だろうと思うのです。その各問題をそれに嘱託する、それから又癩の療養所にももつと研究を促進して、そこでも研究の問題を分担するというような系統立つた形で以てこれを進めて行かない限りは、なかなか成功する気遣いはないのであります。そういつたような形を持つたところの研究所を一つ建てたいものであると思うのでありますが、私、この前の今の一般医学的研究の班をこしらえるときにも、非常に人を得るのに困りまして、実は現在ではやはり東京には二人しかその班員がいない。それから仙台に一人、それから大阪、広島あたりにありますが、結局はこれは九州の問題ではないかと思うのです。それは九州の中では熊本の大学というものは、土地柄上非常に癩にも関心を持つておりますから、あそこでは今のような班員が十四、五名おります。本当に熱心に研究している人も、そのうち七名くらいは非常に献身的にやつて行こうという人がいるわけなんです。でありますから、そういつたようなことから、やはり人選が困難である。それから地域というものが非常に大切であるということを一つよく御考慮になりまして、只今私の申上げましたような簡單なことだけではいけないのでありますけれども、そういう点を御調査の上、一つこの研究所の成立することを切望する次第であります。それだけのことを申上げておきます。

○委員長(梅津錦一君) 有難うございました。それではこれから随時質疑に移りたいと思います。

○谷口弥三郎君 それでは質問をさせて頂きますが、一問一答の形で一つずつさして頂きたいと思います。只今のお話で、例えば朝鮮などの模様もわかりましたが、今外国ではどのくらいの癩の患者がおるものでしようか。どなたからでもよろしうございますから……。

○参考人(林芳信君) 調査された人々によつて多少の相違があるのでありますが、ずつと前には第三回の国際癩会、一九二三年、ロージアーという人の報告によりますと、大体世界中に五百万、そのうちに東洋方面には約三百万の患者がいる。それから又これはいろいろな人の報告を集めたのでありますが、大体三百万内外の患者がいる。その内訳はヨーロツパに六千、ロシアの東の方面、あそこらに十五万一千、アフリカに四十一万三千、それからアジア方面に二百二十万、それからオーストラリア方面に一万七千、そのほか太洋洲方面に三万三千、南北アメリカに約六万六千、大ざつぱでありますが……。

○谷口弥三郎君 南北アメリカに……。

○参考人(林芳信君) 約六万五千乃至六万六千、合計約三百万、二百九十万ほどおりますが、そのくらいの患者がいるということであります。これは誠に大ざつぱな計算だろうと思います。正確な調査は無論行われませんから、或いは各地方々々の宗教家などの調査、或いは医学的な調査をされたところもあるかと思いますが、そういうものを集計したものでございます。

○谷口弥三郎君 内地の癩患者でございますが、これは大体どういうような分布になつておりますでしようか。どなたからでも……。

○参考人(光田健輔君) 初めからのちよつとここに控えはございませんけれども、九州が三分の一ですね。だから一万あつたのです、昔は……。ほかのほうの北海道から奥羽、本土、四国、それに二万あつたのです。それだから今当り前の系統に現われて來ることは、九州が三千あるわけですね。三分の一になる。それから一方のほうは二万あつたのですから、想像によりますというと、その三分の一ぐらいになるというふうに思います。七千くらいになる。

○谷口弥三郎君 見通しでございますが、今の状態を続けたら、どちらのほうが一番早く少くなるというような模様はわかりませんか。

○参考人(光田健輔君) それはエネルギツシユに収容したら、そこが一番早くなくなるわけです。強力的にですね。それで今まで或いは癩病村であるとか、癩病の郡であるとか言われているような郡でも、最近、過去二十年間には、今行つて見るというと殆んど癩患者はいなくて、それに比較して、ないと言われた所に余計あるようなふうになつておるのです。県がそこに力を集中して、そうして収容したからです。それが今ちよつと例を……、私兵庫県に行つておつたのですが、兵庫県というのは、以前、ずつと三十年來日本でまあ三番目の一千人の癩を持つておつた県です。そこに宍粟郡という郡があります。その宍粟郡には二百人からその一郡におつたのです。ところが今はそれは収容されておるのでありますが、三、四十人、或いは五十人くらい各療養所に収容されておるのです。今兵庫県の報告によりますと、宍粟郡は殆んど癩の発生がない、こう言うておられるのですが、私らはそれをいつも目標にして収容しておりましたのです。それで強力に隔離を実行するときにはその県から、郡から全く癩はなくなるという私自信を得たのであります。

○谷口弥三郎君 先刻來いろいろお話の中にも出たようでありますが、癩の患者も浮浪者とか或いは貧困者とかいうのはかなり収容されて、残つているのはいわば沈澱しておる在宅患者である、これを強力に収容するというのには、現在の法律では強制的にこれを収容することがなかなか不可能であるというようなお話もありましたのですが、実はこの前の小委員会をやりました当時、厚生省のかたあたりからの話を聞くというと、今の癩の予防法でも収容は強制的にできんことはないというような、そう心配はないようなお話があつたりしておるのですが、実際は如何でございましようか。

○参考人(光田健輔君) 実際は私今一、二の例を挙げますが、今から三年前に山口県の柳井ですか、柳井の或る農業会の理事をやつておる人で癩になつた、耳の所に一つの結節ができておつた、それで私に県庁でここへ行つて見てもらえないかというのですね、それでそれを見ましたところ、これは癩菌がどつさり出るのです。あなたはやがて顔一面に出て來るぞ、治療せずにおつたら、……早う入りなさいと勧めたんです。はいはい入ります。が併し家庭を整理しなくちやなりませんから一度帰して下さいということで、これを私は信じてすぐ帰してやつた。けれども、これは県庁でもどこでも皆この患者については注目しておりまして、農業会の理事でございますから、それで県庁からもそれから数回行つて催促する。そうするとそのときに、いや今いませんとか言つて、家におるのでしようけれども、なかなか応じないのです。もうこれは再三再四県庁でも手古摺つてしまいまして、手錠でもはめてから捕まえて、強制的に入れればいいのですけれども、今のなんではそれはやりかねるのであります。多少知識階級であつて、議員さんにも話したり、村会でも威張つていたというようなことになつているのですから……。それから又この間その患者を見に行つたところが、もう顔面にたくさんの結節ができましてひどくなつておる、それでもなかなか、いや、私は自分で入ります、県庁がなんぼ言つて來たつて入りません、こう言うのでございます。そうすると県庁の知事の何とかいうもので伝染の危険のある患者に対してはこれを収容することができるというのですけれども、それがもうそういうようなちよつと知識階級になりますと、何とかかんとか言うて逃がれるのです。そういうようなものはもうどうしても収容しなければならんというふうの強制の、もう少し強い法律にして頂かんと駄目だと思います。

○参考人(宮崎松記君) 今の現在の法律では私どもはこの徹底した収容はできないと思つております。それは今やつております今の法によりますと、勿論罰則は付いておりませんし、いわゆる物理的な力を加えてこれを無理に引張つて來るということは、これは許されませんし、結局本人が頑強に入所を拒否しました場合には私はできない、手を拱いて見ておらなければならない。幾ら施設を拡充されましても、そういつたいわゆる沈澱患者がいつまでも入らないということになれば、これは癩の予防はいつまでたつても徹底いたしませんので、この際本人の意思に反して収容できるような法の改正ですか、そういうことをして頂きたいと思つております。実は九州では強力に収容を今促進いたしておりまして、参りますと、何回も発見をし、検診をして勧誘をしているから、行つて見ますと、逃げておつて藻抜の殻だ、それで明け方に踏み込んで行くということになります。そうしますともう家宅侵入罪だとか何とかいうことで問題になつて來る。結局私どもは現在の法律ではどうしてもやれませんから、検事正と話をいたしまして、実はこうこうだ、検事正も今の予防法では、あれは本人の意思に反して無理に入れるということは私どもできないと解する、併し実際はそれをやらなければならないのだから、万一これに関連して事件が起つたら、検事正として前以てそういう了解を持つているから、まあおやりになつてもいいから、一つ心配なくやつてくれ、それから警察隊長も、国警の隊長も、いやそれは事情はわかつていますから、若し万一問題が起つても、適当に処理しますからやつて下さいというだけでやつておるのであつて、これはそういうことでなく、私どもは何らそういう心配なくやれるようにして頂けませんと、癩予防の徹底は今の時代におきましてはできない。最終段階に來ておりますから、從來の場合と違いますから、從いまして法の改正もそれに即応するような、応ずるような法を作つて頂かなければ無理だと思います。

○谷口弥三郎君 続いてお尋ねしたいと思いますが、先刻のお話の中にもちよつとあつたのですが、療養所の中から折角収容した患者がすぐ出て行くというような場合には、お話のように又収容しようとしてもなかなかできぬということが思われますが、なお同時に患者の自治機構というふうなお話がありましたが、何かそういうようなものに対する制裁か何かあるでしようか、全体の自治機構とでも言いますか、そういうようなお話を聞くことができれば結構です。

○参考人(光田健輔君) もう一度ちよつと……。

○谷口弥三郎君 患者の自治機構か何かあるのじやないですか。

○参考人(光田健輔君) ええそうです。

○谷口弥三郎君 患者がいろいろやつておられるような……。職員がおらんからやつておるのもあるでしようし、同時に制裁とか何とかいうのもやつておられるのじやないでしようか。

○参考人(光田健輔君) それは、私の所では患者の制裁をすることはならんといつて、患者自身が裁判のようなことをやつても受付けないのですが、或る所ではそういうような事件があるらしいのです。今度の鹿児島に起つた事件も御承知でございますか知れませんが、起つておるらしいのです。それで初めにおつしやいましたところの患者の逃走ということですね、これは何ぼ入れてもですね、その網の目を潜つて逃走するのでございますから、逃走するのは、私どもは逃走しないようにですね、長島という所は海の中にあつてどこへでも船で行かなければばらん、ところが船を買収しましてですね、これは以前は百円ぐらいで向うの地まで送つてくれましたが、今では千円、二千円ほど漁夫にやつて、そして向うへ逃げて行くと、こういうわけです。夜のうちに逃げて行く。そうしてあとは追跡するのですけれどもわからなくなつてします。それからこの逃走に対する一つの罰則というものがどういうふうにあるか、今のところでは逃げたら逃げつ放しなのです。何ぼ入れても又逃走する。それから小島の春の中に出て参りますが、その患者が……ここで申上げても秘密厳守を破るというわけではないだろうと思いますから申上げますけれども、その患者も五、六度岡山県と協力しまして長島へ入れたのです。ところが妻君が連れに來るのです、船を持つて。そうして又数カ月家におる、五、六回出入りをしております。そういうようなものはですね、逃走罪という一つの体刑を科するかですね、そういうようなことができればほかの患者の警戒にもなるのであるし、今度は刑務所もできたのでありますから、逃走罪というような罰則が一つ欲しいのであります。それは一人を防いで多数の逃走者を改心させるというようなことになるのですから、それができぬものでしようか。

○谷口弥三郎君 癩患者を収容いたしました場合にでも、療養所としては幾つもの部屋があるのに、その部屋にはすぐ患者は入れずに、やはり患者の自治会か何かのほうの意見を聞かんと患者をどこにでも入れられんとかいうように自治会が発展といいますか、協力されているというようなことも聞くのですが。

○参考人(光田健輔君) いやそんなことを言うこともありますが、所によつてそれはよほど違うと思います。ほかはどうでございますか。

○参考人(林芳信君) それは大体何人か一緒に一つ部屋におります関係上、大体その部屋の、在來からおる患者の、部屋の人のあらかじめ承諾を得ると言えば語弊がありますが、あらかじめこういう人が入るということを大体相談して、そしてその上でそこの部屋に収容するというのがどこの療養所でも習わしになつておる。そういたしますと、若しそこに外へ行つて非常な惡事を働いた患者、或いは又刑務所から出てすぐ収容したというような患者につきましては、その部屋に、自分の部屋に入れられることを非常に心配するわけです。部屋の安寧秩序を紊す、又病院全体の安寧を紊すというので非常に拒むわけであります。ところが我々当局者といたしましても、非常に性質の不良な患者、又盗癖のある患者、或いは又非常に人と喧嘩をしやすいというような患者、そういう患者をですね、納得させないで強制的にその部屋に入らせるというわけにはなかなか行きかねるところでございます。実際患者を扱つておりまする職員が、そういうことでしばしば院内を不安状態に陷入れたことがどこでもあるのでありますから、そこでそういう者に対しては、時と場合によつて患者のほうで強くこういう人を入れてもらつては困る、院内の安寧秩序が到底保たれないから困ると言つて、強く、あの人間は勘弁してくれということを言う場合もあるのであります。そういう場合にはやはり部屋は実際入れられる所がありましても、その患者を収容することができないというようなことがたびたびあるのであります。併しさらばと言つて、院内におけるそういう秩序を紊すような場合には所長に懲戒の権限が多少与えられておりますけれども、外でもう始終惡いことをしておるとか、それからたまたま警察に挙げられて処罰を受けないですぐ療養所へ送られたという場合には普通の市民として受入れなければならんのであります。所長には何にも権限がないのであります。そのまま収容しなければならん。それで又そういう者は院内へ入れても惡いことをする、又すぐ逃げてしまうというような結果になるのでありますが、そういうようなことがたびたび行われておるのであります。

○谷口弥三郎君 次にお伺いしたいのでありますけれども、先刻お話の中にもあつたようですが、癩の刑務所が今回初めて熊本の惠楓園にできた、あれはどういうわけで刑務所が熊本に設置されるようになつたのでありましようか。

○参考人(宮崎松記君) それにはいろいろ事情もありますでしようが、全国に、北は青森から南は鹿児島まで全国に十カ所の癩療養所がありまして、わざわざ南の場所にたつた日本で一つの癩刑務所を持つておいでになつたかということでありますが、これは私どもはどうもああいう施設は、直接隣にああいう施設のあることは、患者の精神的な面から申しましても、私どもといたしましてもお引受けは困ると申しましたけれども、結局九州にできましたことは、私といたしましてはこういうふうに理解しております。九州は今光田先生もおつしやいましたが、全国の癩患者の三分の一を収容しております。疫学的に申しますとこれは大陸病でありまして、南のほうに行くほど多いのでありまして、日本の癩は北のほうからだんだんなくなつて最後に九州におると、從つてああいう国の唯一の施設は当然最後に残り、最も多い所に持つて行くべきだということで法務府として刑務所を熊本に持つておいでになつたのではないかと、こういうふうに理解しております。

○谷口弥三郎君 次にお尋ねいたしたいのでありますが、先刻のお話の中に癩の名称をハンゼン氏病、ノルウエーの国のハンゼンさんの名前をとつておる。これは癩病ということは普通知つておりますからハンゼン氏病と変ればみんなが一時は知らんようなふうにもなれるだろうと思いますが、この病名の変更のことにつきまして何か特別のお考えがございましたら……。

○参考人(林芳信君) アメリカではそうとうハンゼン氏病としたらいいじやないかというような議論があります。或いは一昨昨年ですか、キユーバのハバナで万国大会が開かれましたときにもそういうことがありました。併しこれは一時多少、そういう病名にすれば一時は、ちよつとのことで、結局はああ癩病のことだなということになりますと、元の通りになるのではないかと思いますし、一つは学問的にはまだ世界各国で取上げられてはおりません。日本でも癩学界あたりで諸学者の意見を聞いて、その上で採用するならば採用するというふうにしたらどうかと思います。

○参考人(光田健輔君) ちよつと癩ということは体裁が惡いから、大学あたりはLと言つておられる、それとHDということは同じ意味になるのではないでしようか。慣つこになるとすぐ夜でもわかるのですが、だからこれを法律からすべてのところからハンゼン氏病というふうに日本で変えるということについては、子供みたいな話ではないかと私どもは考えるのであります。

○谷口弥三郎君 次にお尋ねいたしたいのは、先刻來お尋ねした項目の中にもございましたが、貞明皇后様の記念事業というのはすでにそとのほうで、国会外におきましては、立派な今度は寄附の募集、二億二千万円もの募集を始めて、いろいろな方面に使うということになつておるのですが、私どもとしても、この参議院の厚生委員会内にありまする癩の委員会でも貞明皇后様の何か記念事業をしたいという言葉が委員会でも言われておりますが、皆様がたとしては記念事業として、仕事はどういうのが最も適当であるというふうなお考えがございましたら一つ……。先刻來少し話は聞きましたけれども、なお改めてお伺いしたいと思います。

○参考人(光田健輔君) 貞明皇后様の御奨励によつてこれが非常に影響して、参衆両院でも癩の病床増加ということについては、絶対隔離までにも至るというようになりましたことは誠に有難いことです。それで日本の癩予防事業というものは、まあこれは数えようによつてまだまだ一万も二万もあるということを言いますけれども、これは根拠のない話なんでありまして、大体においてはもう九〇%は収容ができるような設備になつたことは誠に有難いことです。貞明皇后様のようにお食事を廃し、衣服の量を廃せられて、それを節約してそしてその癩患者を救済されたということは聞かない。ルイ十二世でありますか、死ぬ時に私が死んだ後にはこのフランスにある二千の療養所に私の遺金を皆寄附してくれとおつしやつたということが癩病の書籍の歴史的の一項目になつているほどの説があるのでありますけれども、貞明皇后様の思召しは私こういうところから來たのではないと思う。見苦しい者が浮浪徘徊をするから何とかしてあれを救つてやるというような思召しであろうと思うのです。今日は一番私どもが困ることは、朝鮮の癩患者が昔の日本の浮浪者の代りをしておつて、これが盛んに内地に伝播せしめておる。それで私どもは先ず日本のことを差しおいてというわけじやございませんが、日本が一番模範的に隔離事業を実行して行き、又他国に一つのお手本を示してやるということが貞明皇后様の思召しにもかなうことであり、又世界的に今癩の問題をこれほどはつきりしたことをやつた所は殆んどないと私は思つておるのでありますから、今、日本の救癩事業というものが私は最も世界で進んでおると考えるわけでありまするから、この予防法等についても、広くこれを世界各国に知らしてやりたいと思う。早くそうしなければもうアメリカあたりで宣伝されるというと、それを本当のようなことを言う患者のごときは、癩は肺及び梅毒のごとく伝染性はないわけであるから、癩患者をそんなに家族から隔離する必要はないというような議論をする人もある。それによつて癩患者それ自身もアメリカあたりでは結核、梅毒において選挙権、被選挙権が一つも侵害されない。癩でも近來は与えられている。そうすると被選挙権も癩患者にあつて然るべきものであるというようなことを申すのがございますのです。患者間の有力者というものはそういうことを世界に宣伝しておる。ところが癩と結核は全く別でありまして、皮膚の上皮膚の〇・一ミリか〇・二ミリの下には黴菌の膿があるのですから、その黴菌の猛毒質の群集があるのです。鼻の粘膜からは出、口の粘膜からは癩菌が飛ぶというようなことになつておるのであります。それでこういうようなわかりもせんところの学者がおつて、そんなつまらんことを患者に言うておるのですから、そういうふうなことは誠に私は遺憾千万だと思うのです。結核及び梅毒の病巣と癩の病巣との差は、それは紙一重の下にある菌と、それから深部にある菌との差があろうと思うのです。そんなに上皮が蔽つておるものは開放的でないというふうには言えないと思うのです。蚊にもくちばし、それから蠅にも血を吸うくちばしがあるし、それからダニ、疥癬ですね、これらによつて血と共に癩菌が運搬せられる。これはもう癩病のはやつておる所ではうつるもの、だからこの癩の病巣と……このことをここで申上げるのは甚だつまらんことを申すようであるが、まあ世間の人はそういう癩患者の宣伝にもごまかされるから私は申上げるのです。日本の学者といえども、神経癩は移りはせぬ、それは外へ出してもかまやせぬというようなことを言う人があるのであります。それはもう少し病源というものを追究して行けば、神経癩であろうと、癩と名のつくものは私どもはやはり隔離しておかねばこれはうつるものだというふうに考えるのであります。それで私は今貞明皇后様の記念事業として、朝鮮とか台湾とか、或いは中華には百万からある、インドには百二十万からある。そうしてそれが今から三十年前にはインドに十万ある、日本にも十万あると言われておつて、インドの学者の言うところによれば、今日百二十万になつておる。それは癩が宣伝、治療と検診、いわゆるPTS、その方法によつてインドの癩を救済しようという一つの試みであつたのでございますけれども、それがそんなことを言うておるうちに、十万から百二十万に今なつておる。こういうようなことは癩は如何なる所に潜伏し、如何なる所に病毒があるかというようなことを追究して行かなきやならんのですけれども、又それを早く示すような方法をもうやらないのですから、私どもは先ず隔離をもう少しインドでもやらなくちやいかん。これは宗教家に任せてはいけないということを私は言つております。今インドでは百二十万もあるのに、一万四千しか宗教家及び都市が隔離をしていないのです。先日丁度ネール首相の所へ行く人がありますから、そういうことを一つ貞明皇后様の名によつてじやありませんけれども、思召しを奉戴してそういうようなことを言つてやりました。それから第二に、朝鮮でもインドでも行くというと、癩患者が赤ん坊を抱いているのがたくさんあるのです。コロニーといつて、そこへ遍路が行きますとそこですぐ子供が……男女やつて來て子供が生れる。それが日本の木賃宿のような所へ泊つては、一つのコロニーがそこにできるわけです。そこにはうじやうじやするほど子供がおる、こういうようなことも癩の感染、十万人から百二十万にした一つの原因である。だからこういうようなことはどうしても避妊法によつて、そしてこの人たちに避妊法を教えて、又優生手術を施すようなことを一つやつたらよかろうということでまあ忠告はしておるのですけれども、これも併し貞明皇后様のその癩を予防する、治療よりも予防というその御趣旨を奉戴してそういうようなことを世界各国に宣伝する必要があると思うのです。で、これは記念事業の一つのつもりとして私は考えておるのでございますが、そのほかいろいろございますけれども、日本の救癩が次第々々に効を奏して三分の一にもなつたということと同時にステルザチヨンをやつて、そうして療養所にどんどん婦人も入れる、男子も入れて、それが本当に予防の一番大事な眼目であるということを教えてやりたいというふうに考えておるのです。

○委員長(梅津錦一君) 久野先生どうですか。

○参考人(久野寧君) 私はやはり癩の研究所を何ですね、設立することが国立で以てできるならば、それで結構ですが、若しそうでなければ資金を以て設立したい。若し国立でできるならばその中にやはり特別に一つのセクシヨンを設けて、そこで以て癩の研究を非常に促進するようなことをこの記念事業としておやりになることが一番適切ではないかと考えております。

○委員長(梅津錦一君) 林先生どうですか。

○参考人(林芳信君) 私もその研究所がですね、国立でできなければ何か記念事業として救済設備を、これは日本のみならず、世界各国に亘つて貞明皇后様の御恩沢をあまねかしめることになるので大変結構と思います。私それをもう少し合理的に相当な事業としてやつて頂きたいと思うのでございますが、小規模といたしましては、或いは過去、現在も療養所に貞明皇后様の御生前の遺徳を偲ぶように一つの記念病棟というようなものを各療養所に一棟ずつでもお作りになつて患者の修養に努めるということも一つの方法ではないかと思います。なおこの貞明皇后様の救癩事業募金要綱には、未感染児童の保育、或いは未感染児童女子の職業補導とか、或いは未感染家族の養老事業とか、患者及び家族に対する経済的崩壊の援護、即ち先ほど申上げた家族の生活の保障というようなこと、或いは患者の信仰生活に対する指導、例えば所内に教会を建てる、或いは修養的の会合の場所を設けるとかいうようなこと、或いは患者に対する慰安というようなこと、救癩思想の普及というようなことが掲げらえてございますが、そのほかにこの研究所と関連いたしまするが、やはりこの学術の奨励ということも非常に有意義なことだろうと思う。又こういう事業を熱心にやられる人の奨励というようなことも必要だろうと思う。それには貞明皇后様の毎年御誕辰日を記念して予防週間というものを今まで設けてあつたんですが、それをもう少し強力に設けられて、そういう週間にそういう学術の奨励をなさる、或いは事業の奨励をなさるということも一つの方法ではないかと考えておる次第でございます。

○委員長(梅津錦一君) 宮崎先生どうですか。

○参考人(宮崎松記君) 私はさつきも申しましたように貞明皇后の御遺金と申しましてもたかが知れておりますから、これは重点的に一つやつて頂いて、何もかにもやるということになると、結局何もできなかつたということにならないように、重点的に一つ何か大きな仕事をやつて頂いて、永久に残るようにして頂きたいということと、若し国費で、国家で記念事業をおやりになるということになれば、これは私はやはり研究所、これが一番国としておやりになるのに最もふさわしい事業だと思います。これは前に話が遡りますが、リデルという英国の婦人がありまして、熊本で回生病院という私立病院を経営しておられたのですが、大正七年頃と覚えております。リデル女史は、癩の問題は宗教的或いは社会事業的、或いは養護事業だけでは徹底しない、やはり研究所を作つて科学的研究の基盤の上に立たない限り根本的の解決はできないからということで、一私立癩病院長としては非常に高邁な見識を持たれまして、当時熊本の回生病院に日本最初の癩研究所をつくられまして、規模は小さかつたのですが、とにかく作られまして、今に至るまで残つております。で私どもやはりこういつた問題の解決は科学的な基盤の上に立つことが最も必要でございまして、貞明皇后様は非常に御聡明に渡らせられましたので、そういうことは御聡明に渡らせられた貞明皇后様を記念する最も私は有意義な企だと思つております。それから国の仕事でおやりになる癩予防の事業の範囲はきまつておりまして、どうしても、幾ら大蔵省に要求しても予算がとれないという性質のものであります。こういうものに対しましてはやはり貞明皇后様の御遺金による事業として、国の予算でできない、或いは足らないところを補うというような方針でやつて頂きとうございます。

○谷口弥三郎君 先刻お話のうちに、療養所という気持が未だに残つておる結果、療養所の職員なども結核療養所と違つて、病院式でなしに非常に人数も少いというようなふうのお話でございましたが、療養所のほうの職員と待遇はどのような違いがありましようか。

○参考人(林芳信君) 癩療養所の職員とほかの療養所の職員との待遇の相違でございますね、これは癩療養所の職員には多少の俸給の加算がございまして、その額は大体看護婦などに対しましては六号俸の加俸がある、六号俸と言いますと、看護婦につきましては約三百円乃至五、六百円くらい一カ月にしまして加俸があると思います。それから事務職員で直接患者に接近して仕事をするような人に対しましては五号俸の加算があります。それから医官に対しましては大体その俸給の程度に応じまして二号俸乃至五号俸程度の加算があります。それから一般の事務職員に対しましては約二号俸の加算があります。そのくらいな程度であります。これは余分な話でございますけれども、アメリカの唯一の国立療養所ですが、ルイジアナ州のカービルという所に国立の療養所が一カ所ありますが、そこでは話に聞きますというと、医者並びに看護婦などに対しては大体俸給の五割の加算がある、事務職員などに対しては二割五分の加算があるということを聞いております。我々癩療養所の職員といたしまして、又実際あずかつておりまする院長といたしましても、職員にもう少し加算を頂ければ非常にいいのじやないかと思います。五割まで行きませんでも、二割乃至三割程度にでも加算が頂ければ職員に対して幾らかのねぎらいになるのじやないかと思います。

○参考人(宮崎松記君) 今林院長が申されましたように、額にいたしますと三百円か五、六百円の程度でございます。今の給与ベースは幾らか存じませんが、七千円か八千円か知りませんが、七千円か八千円の給与ベースのものに、お前たちは癩病の仕事をしておるのだ、世間一般の人が嫌う仕事をしておる、その何と言いますか埋め合せと言いますか、俸給として一月に三百円や五百円でも、それでお前たちは骨を折つてやつておるからこれを上げるんだということは私は甚だ心外であります。むしろそれくらいのはした金なら私どももらわないで仕事をしたほうがどれくらい気持がいいかわかりません。下さるならばもつとたくさん、これだけもらつておるのだと言つて喜んで仕事をするようにして頂きたい。三百円や五百円くらいの金をもらつてお前たちは癩病の仕事をして気の毒だというようなことは、余りに私は癩療養所職員を、極端に言いますれば侮辱している。私はいつもそんな金はもらわないほうがいいじやないか、やるならもう少したくさんやつてはつきりしてもらいたいというように考えております。

○中山壽彦君 先刻來お話を聞いておりますと、癩の予防法というものも現状に即するように至急に改正をしなければならんということを痛切に感じておりますが、強制収容ができるかどうか。以前と違いまして今日は保健所が処理するので警察の力というものは何も及んでおりませんから、強制収容ということも事実においては非常に困難じやなかろうか、こういうふうに考えます。或いは先刻お話のように逃亡する人もある、これを取締ることも警察がなくてはできぬと思います。そういう点を一つ何とか御考慮願い、又私どももよく考えまして、至急政府当局とこういう点につきまして協議を進めて行きたいと思つております。
 それからもう一つ私がお尋ねしたいのは、逃亡する人もあるかも知れませんが、自分の家に帰るのはいやだというのでいつまでも病院生活をする者もあるらしいのであります。そうすると病院のベツド、収容率というものは非常に低くなるのでありますから、そういう治癒したような者はどこか適当な土地に書く病院から集めて、適当な指導によつて自活の途を講じさせるというような方法はできないものでございますか、これも一つ伺つておきたいのでおります。それからいま一つは、私癩の病院は余りたくさん見ておりませんけれども、最近青森のほうへ行つて見ますと、職員のうちで外科を担当する人は少い。今日は外科的の医者を要するのだが、どうもそういう者が少い。從つて看護婦がそのほうにたくさん取られて実際の看護の面が手薄になる、こういうようなことも聞いておるのであります。ちよつと私は今よそに出まして……お尋ねするだけはお尋ねしたいのですが、いま一つ癩の国立研究所というものは私ども痛切にこれは何とかしなければならんと思うのでありますけれども、先刻來のお話によりますというと、癩の研究というものは非常に広範囲なものであつて、これは十年か二十年で完成するものともちよつと考えられません。從つてその研究所に入る人はよほど篤学な人で、終生癩と取組むというくらいな決意のある人でないと私は勤まらないのではないかと思う。從つてその研究所というものは余りたくさん作りませんで、或る適当な所に一カ所こしらえてそうして行つたらどうか。そういう際にそういう篤学な人が集まるお見込がありましようかどうか、そういうようなことも一つお尋ねしておきたい。この点を一つどなたからでもお答えを願いたいと思います。

○参考人(久野寧君) 今の最後の研究所の人の問題なんですが、それは多数は到底ないと思います。併しながら少数はあり得ると私は多少の今までの経験から信じておるのです。それで私の考えでは、先ほどもちよつと申しましたが、研究所の本当の専任の中心になる職員というものは、そういう人でなければいかん。その人が研究の促進のもとになる人、そのほかのところは、今のほかの所に嘱託するとかいうような形で以て行ける、もとより研究所は一つでなければならない。それは御説の通りそんなに幾つもそんな研究所ができるものでないから、一つでなければならん。そういう工合に考えております。

○参考人(宮崎松記君) 国立研究所の機構の問題ですが、御尤もの点でありまして、私は若し研究所をお作りになるならば、在來の型の研究所では癩研究は駄目だ。何々部長何々部長、特定の学者をそこにはめ込みまして一生涯癩の研究をやれということは、これは事実不可能でありまして、癩のような問題に一生取り組んでやれ、而も熱意と興味を失わないでやれるかどうか、これは私ども期待できません。それで癩研究所の構想としましては、私は一部の特定な人がそこの職員としておりましても、大体特定な部署をきめませんで、オープン・システムにいたしまして、広く機会の均等を与えて、優秀な学者で癩の研究をやつて見たいという人がありましたらいつでもそこにおいで願つて、物と人と労力のサービスをいたしまして十分研究をして頂く。その人が幸いにして業績を挙げられればそれでいいし、相当やつても業績を挙げ得る見込がない、それから熱意を失つたという場合にはいつでもそのかたはそこをおやめになつていい。それで特定の専任の研究の指導者を置くということは、私は癩研究所に限りましては、これは適当でないと思います。それで又仮にありましても、その人が生涯癩の研究に興味と熱意を失わないかということは保証できませんし、又有能な研究者を得ません限り却つて邪魔になりますから、それで私は癩研究所は飽くまでもオープン・システムをとりまして、今までの在來の研究所と違つたものにして頂きたいと思つております。そうすれば私は癩研究所の業績はかなり挙げられるのじやないかと思います。
 それから強制収容の問題ですが、これは以前は癩行政は警察行政の中に入つておりましたので、いわゆる警察権を以てかなり強制ができたのですが、現在は保健所関係になつております。先刻も話しましたように、保健所とか市町村に委しておきましてはいろいろな事情が纏綿しまして、事実癩の仕事はできません。熊本県などでは、癩に限つては県自体が直接やるということにいたしております。これは私ども強制ということは、言葉はどうかと思いまするが、社会保障の徹底によりまして、かなり強制しないでも収容し得る状態になすことができる。で保育所とか、養老院とか、そのほかの施設をこの際拡充強化して頂いて収容の裏付けをして頂く。ところがそれでもなお患者が収容を肯じない場合が予想されますし、又現にあるのであります。そういう場合にどうするか、そういう人の意思に反して収容する法の裏付けがない限りはこれはできませんので、その点を一つお考え願いたいと思います。それから逃亡の問題ですが、これは事情を聞きますと止むを得ないことがありまして、私どもから言わせますと、収容の場合にもう少し手を盡してもらえばよかつた、例えば家庭的な問題が未解決のままに送り込まれて來ると、本人はどうしてもその未解決の家庭的な問題が気になりますために帰る。それで逃亡する。これは療養所といたしましてできるだけ取締りますが、刑務所と違いまして拘束する施設でありませんので、出たらこれは止むを得ないのであります。ところが衛生をやつております当局から言わせますと、多額の旅費と多大の労力を費してやつと一人送り込んだと思つたら、もう暫らくすると逃げ帰つておるということはこれは非常に当局から言わせると不都合なことで、この療養所当局の責任を追及されるのでありまするが、癩問題の難点はそこにあるのでありまして、そこをよく分析いたしまして徹底するようにいたしませんと、癩の徹底的な問題は解決できません。これからは癩問題の最終的な段階に入りますから、從來のような生やさしいことでは解決ができないと思います。

○参考人(林芳信君) 研究所の問題でありますが、先ほどお尋ねがありましたように、これは癩の研究は非常に広汎に亘りますが、併しその広汎ということは癩を中心としていろいろな学科の方面と連絡を密にしてやつて行くということが非常に大切だと思います。例えばここに細菌学の研究をやる、癩菌なら癩菌の培養、或いは癩菌の性質だけを見究める、同時にそれを成功させるのにほかの結核菌研究の模様を十分知るとか、又は結核研究所の知識を取入れてやる、ほかの細菌学的な知識を十分参考にして取入れてやるというようなことが非常にこれは必要なんであります。そういう学者に相談する便のあるような所に研究所を設置するということも一つの方法じやないか、研究を達成せしめる上において。それと交通の便、人を集めるのには交通の便というようなことも考えなければならん。研究は要するに人の問題でありますから、熱心な人を得るのに最も便利な方法をやるということが一番いいんじやないかと思います。収容の問題でありますが、近來お蔭様にて逃走の患者というものは一時より非常に減少して來ております。それはやはり療養所の中の改善がだんだん行われて來たことに原因すると思います。なお一層患者を落着かせしめるには療養所のすべてのことに、住居の問題とか、その他文化的方面にも一層改善を加えたならば、患者は落着いて療養し得ると思います。それから又そういういい設備ができましたならば家族の者に一応療養所の視察をさせて、そうしてこういうふうになつておるんだからということをよく家族に納得させますれば、案外入所を希望するようになると思います。そういうときにはやはり旅費を支給するとか何とかいう方法を講ずるというようなことが必要じやないかと思います。

○参考人(小林六造君) 私先ほど申しましたあれを御覧下されば大体のことは申上げたつもりですが、ただ一つ研究というもので、如何に熱心だと初めから言つても、研究の成果が上つて來ないと、研究の効果は比較的少いのです。これが一番の問題であります。十年と同じことをやつておりますと、もうくたばつてしまう。これは人情でありますが、如何にも今のところではむずかしいと思いますが、それはいい方法が間もなく出るかも知れませんけれども、非常にむずかしいということを覚悟してやつても、十年すれば意気阻喪して來るのですから、まあ一つ研究所を立てまして、そこの研究員となりまして、その人は研究はしないけれども、やはりそこにいなければ顔が立たんと、こうなりますと、それから先の問題は困るのでございます。これに一番困るむずかしい問題があると思うのです。その心理状態をはつきりつかんでおりませんといけないので、私少し、先ほど宮崎さんがおつしやつたように、オープン・システムとおつしやるのも一つの方法かと思いますが、癩研究所は患者を持たなければなりませんです。これは患者を調べなければ恐らく研究もできないと思いますから、幾つかの癩療養所の中に相当な設備をしたものがあつて、その研究所の医官なりその他の者が協力できるような態勢を作るのも一案ではないか。一つのものでもよろしいし、研究者をうまく、いいものをそこへ集めて來るという方法さえうまく考慮して頂けば、つまりそのやり方はほかの研究所とはちよつと性格も違うと思うのです。

○委員長(梅津錦一君) 時間も非常に経過しておりますので……。

○参考人(宮崎松記君) ちよつと一言、それで癩研究所の性格ですが、私は機構につきましてさつき申しましたように、それから内容につきまして私は癩のような複雑な問題の解決は單なる医学的な研究だけでは解決できない。これに付随して起ります社会問題を同時に徹底的に研究しなければならない。從いまして若しお作りになるとすれば、その研究所が当然文化科学的な面も含めまして、癩問題の文化科学的、社会事業的な研究もできるようにして頂きたい。そうして両々相待つて癩問題の根本的な解決の基盤を提供するということにして頂きたい。それは保育問題もありますし、養老問題もありますし、それから病型に関する問題もございますので、こういうことの研究も机上でなくて、現地でそういつた研究をして頂きたいということを思つております。癩の隔離の根本理念などももう少し文化科学的に研究して頂く必要があると考えております。

○井上なつゑ君 ちよつと先ほど御説明がありましたが、職員の待遇のことで伺いたいのですが、常々私は癩療養所の人、結核療養所の人たちは危険な所でありますから、恩給にいたしましても非常に加算があつて然るべきだと思いますが、一般並みの恩給であると思います。それにもう一つは、前線に働く看護婦はいつも定員法に引かかりますか、何に引かかりますか存じませんが、雇員待遇でございます。六号俸の一、三百円か、五百円の加俸をもらつておる。何年勤めておりましても雇員と同じで、十年、二十年勤めても恩給はない。これは社会保障制度などでできれば結構でございますが、只今の恩給では非常に不公平だと思つておりますので、何か療養所で考えておられないかということをたびたび申しておるのでございますけれども、これがないのでございます。從いまして癩療養所、結核療養所の一番前線に働いておる者にそういうことがないということは実に不合理だと思つております一人でございます。それについての御意見を伺わして頂きたいと思います。

○参考人(林芳信君) 恩給は、癩療養所の職員は昔ならば判任官以上でございますが、今は三級官以上でございます。これに対しまして、恩給年限一年に対して半年の恩給加算がございます。そうしてこれは癩患者の直接看護に当る者と申しまして、今付いておりますのは、医者、それから薬剤師、看護婦長、これだけが恩給になつております。その他の人は今のところ恩給に浴していないわけでございます。是非恩給に浴するようにしてもらいたいというのがかねてからの念願であります。今回この共済組合のほうですか、一般の雇用員にも普通の人と同じようにあれはたしか十七年か二十年勤務したならば、そういうものが付くようになると思いますが、併し看護婦のかたは、十七年なり二十年なりやる人はそれは殆んどないのではないかと思います。そうでなくて例えば年数も半分ぐらいで、額も普通の額よりも割増をして頂くとかいうことになれば、これは当然そうすることが国家の看護婦或いはその他の職員に対する一つの義務ではないかとまあ私考えるのですが、それが今まで余りなされていなかつた。まあだんだんと癩療養所というものの、癩事業の大切なことを一般の国民に認識して頂いて來ておる今日でありますから、是非国家の力でそういう方面に進めて頂きたい、そういうふうに感じております。

○参考人(光田健輔君) 貞明皇后様のいろいろの御仁慈によつて、これをまあどういうふうに記念事業としてするかというお話がありましたから、私それに付加えて申上げます。日本の癩予防事業はアメリカのように進んではいないかも知れませんけれども、まあ東洋の各国における癩保護事業よりは進んでいるわけですね。それでアメリカのように日本の事業を持つて來ようというのじやないのですが、その程度までやつて頂きたいと思うんですけれども、日本におけるこの療養所の職員ですが、これは事務職員でもよろしい、また事務職員よりは医官のほうがいいと思いますが、そういうようなものに海外を一つ見させて、そうして向うのやり方のいい所は取り、惡い所は是正してやるというようなふうに医官に海外を見さす、いい所を見さすことも結構ですけれども、それよりも東洋諸国の癩事業を視察させるということによつて、日本の医学を宣伝することにもなるし、又向うのいい所があつたらそれを取入れるということにもなるのじやなかろうかと思います。これはここにおられるところの草間先生が曾つてフイリピンにおつて私と共にクリオンを視察しました。そうして向うのやり方に改良を加えることができたのでありまして、私は貞明皇后様の名によつて、日本の医学を海外に少し宣伝したらよかろう、これが私は療養所における医官の自尊心も高め、同時に海外に日本の進歩を少し教えてやるというような料簡を持つて貞明皇后様の記念事業の一つとして頂きたいという考えを持つております。

○委員長(梅津錦一君) 時間が大分経過いたしまして、長い間参考人の諸先生がたには御研究のほどを御披瀝頂きまして裨益するところが非常に多かつたと存じます。誠に本日は有難うございました。ここの席上から委員に代りまして厚く御礼申上げます。

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 (参議院事務局 昭和二十六年十一月三十日発行)

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