ひとりごとのつまったかみぶくろ


災害ボランティア体験記



 2016年4月14日以来発生した熊本地震の被災地を支援する災害ボランティアを体験しました。そのレポートとして記しました。

 私は、愛知県に住む61歳の男性です。定年で退職しましたが、再就職せずにいる状況の身です。そのようなところに、今回、災害ボランティアをしてみないかと誘われ、主に60代の男性四人が自動車に乗り合わせて行くことになりました。5月28日夜に愛知を出発し、29日朝に熊本に到着、その日から6月3日までの六日間、熊本市内にある災害ボランティアセンターが紹介する活動に参加することにしました。災害ボランティアセンターと言っても、熊本市内には、社会福祉協議会が開設するものと、NPO等団体が開設するものの二か所があり、私たちは、大阪、愛知、神奈川にある三団体合同で開設したセンターが紹介する活動に参加することにしました。こちらの活動を選んだ理由は、その団体への協力を申し出た地元企業の事務所に無料で寝泊りできたこと等によります。

 このセンターが紹介する仕事の主なものは、倒れたブロック塀の解体撤去や、屋根のブルーシート掛けとのことです。一つの作業に、二人から五人程度のグループが対応し、一グループ当たり、一日に、一件から三件程度の割合で対応する感じでした。

 私は、一日目は、雨の中、民家の倒れたブロック塀の解体撤去のお手伝い、二日目は小学校校庭内の倒れて砕けた石碑の撤去のお手伝い、三日目から六日目までは民家の屋根のブルーシート掛けのお手伝いをしました。

 お手伝いと言っても、私にとっては今まで経験したことのない作業で、グループのリーダーの指示のもと、自分のできる作業をあてがってもらいました。ヘルメットに皮手袋、安全靴で身を守り、市名の入った腕章とNPO名の入ったベストを着用しての作業です。全国から集まった人々の混成集団で、多くが素人であると思うのですが、それでも削岩機やエンジンカッター等を駆使して作業される人もいました。二日目の石碑の撤去の際は、東北の方で、パワーショベルを持ち込んで参加された業者の方が関わっての作業でした。ブルーシート掛けについては、皆、地下足袋と転落防止帯で身を固めて作業をされます。聞くところ、東日本大震災や丹波、常総の水害等でも活躍した常連さんともいえる方々とのことで、全国から任意に集まったはずなのに顔身知りが多い感じでした。

 また、一言ブルーシート掛けといってもいろいろな流儀があるようで、屋根全体をシートで覆い周りをホチキスで打ち込んで割れた瓦が落ちないようにするものや、シートの寿命や後で本修理をする業者のことを考慮し土嚢での固定を中心にしたもの、シートの上に網をかぶせるもの、割れていない瓦を集めて敷き直しシート使用を最小限にしたもの等があるようで、そのどの方法で対処するかグループ内で意見の衝突という場面も目にしました。私のようなずぶの素人は、土嚢作りや運搬、屋根の上の割れた瓦を拾い集めて袋詰め等を行いました。地上の土嚢を肩に担いではしごを上って屋根に届ける作業もしましたが、ちょっぴり怖かったです。

 ブルーシート掛けを依頼する方々は、家人が高齢であるとか障害等のため、家人や身内だけの力ではその作業が困難等の事情をお持ちのようでした。また、業者に頼もうとしてもすごい時間待ちとのことでまったく目処がたたない、そのような事情が地震から一か月以上経ったこの時期においてもボランティア活動の依頼が途絶えない理由と感じました。

 ある日、作業現場の燐の家で家財を運び出しては自家用車で運搬をされている人に出会いました。その人にボランティアの活用を助言したのですが、その方が言われるには、これまでに社協のセンター等に相談したが、すべて断られたとのこと。というのは、その家は危険判定の赤紙が張ってあり、赤紙の家にはボランティアを入れさせられないきまりがあるためとのことでした。でも私たちは赤紙判定の家のブルーシート掛けもしているわけで不思議に思いました。センターにこのことを連絡してもらったら、センターでそれを対応してもらえるようになったとのことで、その人からお礼をいただきました。

 現場へは、軽トラックに作業資材を載せ、自分達で運転して赴くという形態だったのですが、センタースタッフからこんなエピソードを聞きました。ある県から、ボランティアバスを仕立てて大勢のボランティアが来てくれたが、その県では、現地では自動車の運転はしないという取り決めがあるとのこと、そのためにセンターとしては軽トラックの運転をしてもらいたかったがそれができず、スタッフが現場までの資材運搬等を遣り繰りして大変だったとのこと。

 ボランティアによる作業にいくつもの課題があることを感じました。

 災害ボランティアセンターという形態は、1995年の阪神淡路大震災の時に、被災地に全国から駆け付けるボランティア希望者と被災者の支援を求めるニーズを結びつける機能として、民間の篤志家が先駆けて始めたものでした。その後、その役割を社会福祉協議会が担うようになっていき、それが地域の制度にも組み入れられるようになり、その後の洪水や地震等による災害が発生するたびに、地元の社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを開設し、その運営をNPOやボランティア団体等が支援するという形態が定着していきました。

 しかし今日では、NPO等が別途センターを立ち上げ、社協のセンターに並行して事業を展開するという形態が進行しているようです。スタッフの人に聞くと、社協のセンターは活動範囲に制限があり、被災者のニーズをとらえきれない実態があり、それをNPO系のセンターがカバーしているとのことでした。よって危険作業といわれるような作業依頼に対応しているとのことです。私は事前に社協が行っているボランティア活動保険に加入し、活動中の自身の負傷や賠償事故に備えていたつもりですが、仮に私が屋根から落ちて怪我をしたり、屋根から落とした資材が燐家の自動車等を傷つけたとしても、その保険が補償してくれるかわからないという声を聞き、心配になりました。それを見込んで、センター側でこの対応に利く保険に加入しているとのことです。

 センターの活動資金や活動資材等については、自らの募金活動や各種団体等からの援助や提供に支えられているとのことでした。

 以上、私が経験し、見聞きしたことをもとに記しましたが、まだまだ断片的でしかないレポートであると思います。

 熊本の皆様、関係者の皆様、貴重な体験をさせてくださり、ありがとうございました。(2016.6.5)



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