[[月刊「厚生」(財団法人厚生問題研究会編集・発行)1996年6月号 から転記]]
解説
らい予防法廃止の経過と今後の課題
長田浩志 保健医療局エイズ結核感染症課
1 らい予防法廃止の経過
(1) 大谷試案の発表
平成6年5月13日、財団法人藤楓協会理事長である大谷藤郎氏より、国立ハンセン病療
養所入所者に対する処遇の維持・継続を法律に明確化することを条件として、らい予防法
を全面廃止することを求める私的見解が発表されました。
この見解が関係各層に与えた影響は極めて大きく、このいわゆる「大谷見解」に促され
る形で、同年11月8日には、全国国立ハンセン病療養所所長連盟がほぽ「大谷見解」に沿
った「らい予防法改正問窟についての見解」を発表、さらに翌平成7年4月22日には、日
本らい学会が「らい予防法について」の見解を発表し、らい予防法は「医学的には当然廃
止されなければならない」ことを明言、併せて学会としての反省の表明が大きな社会的反
響を呼ぶこととなりました。
また、学会見解が発表される前日には、井出厚生大臣(当時)が、らい予防法を抜本的
に見直す方針を明らかにしました。
そして、これら関係団体の意見表明等も踏まえ、平成4年から、厚生省の委託によりら
い予防法問題について検討を重ねてきた「ハンセン病予防事業対策調査検討会(座長:大
谷藤郎、財団法人藤楓協会に設置)」が、同年5月12日に報告書をとりまとめ、厚生省に対
し、らい予防法の抜本的な見直しに向けての早急な検討開始を求めました。
(2) らい予防法見直し検討会の発足
厚生省は、ハンセン病予防事業対策調査検討会の報告書の提言の趣旨を踏まえ、同年7
月6日、省内に、患者団体である全国ハンセン病患者協議会(以下「全患協」と略)の代
表を含む14名の有識者・関係者からなる「らい予防法見直し検討会(座長:大谷藤郎)」を
発足きせました。本検討会においては、高松宮記念ハンセン病資料館の見学や全患協との
意見交換なども行い、小委員会を含め、5か月の間に10回にわたる精力的な検討を重ねま
した。そして同年12月8日、「らい予防法の廃止」を明確に打ち出すとともに、国立ハンセ
ン病療養所入所者の方々の置かれた歴史的・社会的な特殊性に着目し、入所者に対する医
療及び福祉の措置の内容を継続させることを求めることを主な内容とする報告書をとりま
とめました。
この報告書は、「国によるらい予防法の見直しの遅れ」を明確に指摘し、国に対し反省を
求める極めて異例のものとなっています。
(3) らい予防法の廃止に関する法律案の国会提出
厚生省は、らい予防法見直し検討会の報告書を受け、正式に「らい予防法廃止」の方針
を決定するとともに、同年25日から翌平成8年1月14日までに、全国に13か所ある国立ハ
ンセン病療養所の各自治会に対して、現地で、らい予防法見直し検討会報告書の内容及び今
後の法案作成の基本方針についての説明会を実施しました。さらに同18日には、全患協に
対し、厚生省案を提示し、意見交換を行いました。
全患協との協議を受け、同22日には公衆衛生審議会を開催し、「らい予防法の廃止に関す
る法律案要綱」を諮問、同日答申を得ました。なお、この答申においては、「患者給与金等の
予算措置についても、引き続き継続すべき」旨の附帯意見が付されています。
その後、連立与党手続きを経て、同年2月9日、法案を閣議決定、同日、国会に提出(閣
法第36号)されました。
(4) 厚生大臣の謝罪
法案提出に先立つ1月18日、菅厚生大臣は全患協の代表らと会い、「らい予防法の見直し
が遅れ旧来の疾病像を反映したらい予防法が今日まで存続し続けたことがハンセン病患者
やその家族の方々の尊厳を傷つけ多くの苦しみを与えてきたこと、さらに過去において優
生手術を受けたことにより在園者の万々が多大なる身体的・精神的苦痛を受けたこと」に
対する直接の謝罪を行いました。
これに対し、全患協の高瀬会長からは、「ひとつのけじめとして受け止め、既に亡くなっ
た僚友に対する鎮魂の言葉と理解する」との言明がなされました。
(5) 国会審議
国会に提出された「らい予防法の廃止に関する法律案」は3月22日に厚生委員会に付託
され、同25日、衆議院厚生委員会において、提出理由説明から質疑・採決まで行われ、全
会一致で可決され、この際、附帯決議が付されました。さらに翌26日、衆議院本会議で全
会一致で可決、同日、引き続き、参議院厚生委員会において、提案理由説明から質疑・採
択まで行われ、全会一致で可決、この際、衆議院と同様、附帯決議が付されました(参考
参照)。そして翌27日、参議院本会議で全会一致をもって可決、成立し、本年4月1日をも
って、らい予防法の廃止に関する法律が施行され、明治40年の「癩予防ニ関スル件」の制
定以来、89年ぶりにらい予防法が廃止されるに至りました。
2 らい予防法廃止の意義と教訓
(1) らい予防法廃止の意義
ハンセン病は今では感染しても発病することの極めて稀な病気であることが明らかとな
っており、仮に万一発病した場合であっても適切な治療によりほとんど後遺症を残すこと
なく完治する病気です。にもかかわらず、隔離を主体としたらい予防法は放置されてきま
した。
実は、らい予防法はかなり以前から強制隔離や外出制限等の規定については運用面では
弾力化され、実質的な問題は解消される一方、療養所内の医療及び福祉の措置の充実が図ら
れてきたという経緯があります。しかし、実質的な問題が解消されているからそれでいい
のでしょうか。決してそうではないはずです。
実態が変わらないかららい予防法の廃止は無意味だ、という意見は、旧来の疾病像を反
映した「らい予防法」という法律が現に存在し続けたことが、著しく患者の方々の人間と
しての尊厳を傷つけてきたということを見過ごしたものと言わざるを得ません。らい予防
法の廃止は、ハンセン病患者(正確には元患者)の方々の「人間回復」の実現を意味する
のです。その意味するところに気づいていなかった、あるいはそういったいわゆる「人権」
というものに対する意識が不十分であったことについて、我々は十分に反省しなければい
けないし、それに気づき、反省するところから、今回のらい予防法の廃止が実現されたと
も言えます。
……法の廃止によって、確かに姿形は変わっていない。しかし、心の中は大きく変わっ
たのだ……。
これは、ある元ハンセン病患者(療養所入所者)の方の述懐です。
(2) らい予防法廃止の教訓と今後の課題
らい予防法は廃止されました。しかし、ハンセン病に対する差別や偏見が一挙に解消さ
れるわけではありません。今後ともあらゆる機会を捉えてハンセン病に対する正しい知識
の啓発普及に取り組まなければなりません。また、全国13の療養所入所者は、長期にわた
る療養生活を余儀なくされ、既に平均年齢が70歳を超えており、さらに多くの後遺症によ
る障害を有しておられます。これら入所者の方々に対する生涯にわたる医療・福祉・生活
の保障についても万全を期していかなければなりません。
また、今後、ハンセン病問題を教訓として謙虚に学び、その十分な反省の上に立って、
エイズ患者、難病患者、精神病患者をはじめ、いかなる病気に苦しむ人も決して差別や偏見
を受けることなく、そして、尊厳を傷つけられることなく、すべての人が共に生きる社会
づくりに取り組んでいくことが我々の務めであり、そして、その務めを果たしていくこと
がこれまでの長く厳しいハンセン病患者あるいはその家族の方々の苦労にも報いることに
なるのではないでしょうか。
らい予防法の廃止に関する法律案に対する附帯決議
平成八年三月二十六日
参議院厚生委員会
ハンセン病は発病力が弱く、又発病しても、適切な治療により、治癒する病気とな
っているのにもかかわらず、「らい予防法」の見直しが遅れ、放置されてきたこと等に
より、長年にわたりハンセン病患者・家族の方々の尊厳を傷つけ、多くの痛みと苦し
みを与えてきたことについて、本案の議決に際し、深く遺憾の意を表すところである。
政府は、本法施行に当たり、深い反省と陳謝の念に立って、次の事項について、特
段の配慮をもって適切な措置を講ずるべきである。
一、ハンセン病療養所入所者の高齢化、後遺障害等の実態を踏まえ、療養生活の安定
を図るため、入所者に支給されている患者給与金を将来にわたり継続していくととも
に、入所者に対するその他の医療・福祉等処遇の確保についても万全を期すこと。
二、ハンセン病療養所から退所することを希望する者については、社会復帰が円滑に
行われ、今後の社会生活に不安がないよう、その支援策の充実を図ること。
三、通院・在宅治療のための医療体制を早急に整備するとともに、診断・治療指針の
作成等ハンセン病治療に関する専門知識の普及を図ること。
四、一般市民に対して、また学校教育の中でハンセン病に関する正しい知識の普及啓
発に努め、ハンセン病に対する差別や偏見の解消について、さらに一層の努力をする
こと。
右決議する。
関連参考資料
■ らい患者救済及び社会復帰に関する国際会議(ローマ会議)決議
■ 琉球政府のハンセン氏病予防法とらい予防法の対照表
■ 第十二回国会参議院厚生委員会会議録第十号(癩に関する件)から
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