サンフランシスコ平和会議
セイロン代表 ジャエワルデーネ氏の演説
1951.9.6



〇ジェー・アール・ジャエワルデーネ氏(セイロン蔵相、セイロン代表)

 副議長及び各位、私は、五十一の諸国の代表の集つているこの席上において、われわれが承認のために招請された平和条約草案について、セイロン政府の見解を述べる機会を与えられたことを大きな特権と存ずるものであります。私の声明は、この条約をわれわれが受諾する色々の理由からなつております。また私は、この条約に対して向けられてきた批判の幾つかに答えようと試みるつもりであります。私は、たしかに私の政府を代表してのみ発言しうるものではありますが、日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における彼等の感情をも述べうるものと主張するものであります。私が今われわれが考慮している条約の最終草案を作成するに至つた出来事を取扱う必要はありません。アメリカ代表ダレス氏及びイギリス代表ケネス・ヤンガー氏は、一九四五年八月の日本の降伏から初めて、これらの出来事の完全にして且つ公正な記述をわれわれに与えてくれました。しかしながら、この条約の草案を作成するために採用されなければならない手続に関して、四大国の間に重大な意見の衝突があつたことにふれることができるでありましよう。ソヴィエト連邦は、四大国のみが、即ち米国、連合王国、中国及びソヴィエト連邦の外相会議のみがその責任に負うべきであり、さらに、もし他の諸国が条約草案の作成のために認められるならば、拒否権を四大国に留保すべきであるということを主張したのであります。
 連合王国はその自治領にも協議すべきでありと主張し、アメリカ合衆国はこれに同意したのであります。この両国は対日戦争に参加したすべての国々に協議することを支持したのであります。
 これらの諸国の間においても、この条約の実際の条件について、あるものは新たな軍国主義的日本のぼつ興の恐怖によつて、また、あるものは日本の侵略のもたらした損害と恐怖を忘れることができないことによつてひきおこされた種々の考慮から生れた意見の相違があつたのであります。
 完全に独立した日本の構想が初めて提議され且つ考慮されましたのは一九二〇年一月に開催されましたコロンボ全英連邦外相会議であることを私は、敢てここに申上げるものであります。コロンボ会議は日本を孤立した事例としてではなく、世界の富と人口の大きな部分を含み且つ最近になつて初めてその自由を回復した諸国――その国民はかえりみられなかつた。幾世紀もの結果として依然として苦しんでいたのであります――このような諸国から成つている南及び東南アジアとして知られている地域の一部として考慮したのであります。二つの理念がこの会議から現れました。その一つは独立日本のそれであり、その二つは南及び東南アジアの国民の経済的及び社会的発展の必要のそれであります。この後者を確保するためにコロンボ計画として知られているものが着手されたのであります。
 ケネス・ヤンガー氏はこの会議のあとで全英連邦高等弁務官運営委員会がどのようにして条約草案について作業したか、そしてそのあとでアメリカ代表ダレス氏と協議したかを説明されました。
 いまわれわれの前にある条約はこのような協議と交渉の結果であります。この条約は私の政府の持つていた見解のあるもの及び私の政府の持つていなかつた見解のあるものを代表しているのであります。私は只今この条約が、日本との平和を喜んで討議する国々の間で到達することのできた合意の最大公約数を表しているものであると主張するものであります。
 アジアの諸国、セイロン、インド及びパキスタンの日本に対する態度を活気づけた主要な理念は日本は自由であるべきであるということであります。私は、この条約がこの理念を完全に具現していると主張します。日本の自由の問題とはなれた他の事項、すなわちその自由は本州、北海道、九州及び四国の主要島しよに限定さるべきであるか、またはその自由はその近隣の若干の小島しよにも及ぶべきであるかという事項があります。若しそうでないとしたならばわれわれはこれらの島しよをいかにすべきでありましようか。一九四三年のカイロ宣言に従つて台湾は中国に返還さるべきでしようか。もしそうであるならばいずれの中国政府に対してでありましようか。平和条約の会議に中国は招請さるべきでしようか。若しそうであるならばいずれの政府でありましようか。日本から賠償を取立てるべきでありましようか。もしそうであるならば、いかなる程度の額でありましようか。日本はそれ自身の防備を組織するまでいかにして自衛すべきでありましようか。
 日本の自由という主要な問題についてはわれわれは、結局において合意することができ、この条約はその合意を具現しております。その他の事項については、鋭い意見の相違がありましたが、この条約は、多数の意見を具現しているものであります。私の政府はこれらの問題のいくつかが違つた方法で解決されるならばそれを望んだでありましよう。然しながら、多数のものがわれわれに同意しないという事実は、自由で且つ独立の日本という中心的概念を含んでいるこの条約にわれわれが調印を差控えるべきであるという理由にはなりません。
 われわれは、前に述べました関連ある事項はもし日本が自由であるならば解決は不可能でないこと、及び日本が自由でなければ、解決が不可能であることを感じております。自由な日本は、敢て申上げるならば、国際連合機関を通じて世界の他の自由な諸国家とこれらの問題を討議し且つ早期の満足すべき決定に到達することができます。この条約に調印することによつて、われわれは、日本をそうすること、日本が承認しようと決定した中国政府と友好条約を締結することができるような地位におくことができ、更に、申上げることを欣快に思うものでありますが、日本がインドと平和と友好の条約を締結することができるような地位におくことができるのであります。もしわれわれがこの条約に調印しないならば、これらの可能性のうちいずれの一つも起り得ないのであります。
 アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもつているのは何故でありましようか。それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあつたこと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという希望によつて日本人と同調したという前大戦中に起つた出来事を思い出すことができるのであります。セイロンにおけるわれわれは幸いにも侵略されませんでした。然しながら空襲や東南アジア軍の指揮下にあるぼう大な軍隊の駐とん及びわれわれが連合国に対して天然ゴムの唯一の生産者であつた時われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたことによつてもたらされた損害はわれわれに対してその賠償を請求する権利を与えるものであります。然しながらわれわれは、賠償を請求するつもりはありません。何故ならばわれわれは、そのメッセージがアジアの無数の人々の生命を高貴ならしめたあの偉大な教師の言葉すなわち「憎悪は憎悪によつて消え去るものではなく、ただ愛によつてのみ消え去るものである」という言葉を信ずるからであります。それは偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージであります。この仏教は人道主義の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボディア、シャム、インドネシア及びセイロンを通して、更にまた、北はヒマラヤ山脈を通じてチベット、中国そして最後に日本にまで拡め、幾百年にわたつて共通の文化と遺産でわれわれを結合したのであります。この会議に出席するための途中先週日本を訪問した際に私が見出したように、この共通の文化は、未だに存在しているのであります。そして日本の指導者達、すなわち民間人のみならす諸大臣からそしてまた寺院の僧侶から、私は一般の日本人は未だにあの偉大な平和の教師の影の影響を受けており、更にそれに従おうと欲しているという印象を得たのであります。われわれは彼等にその機会を与えなければなりません。
 これこそ、ソヴィエト連邦の代表が日本の自由は制限されるべきであると提議するときに同代表の見解に私が組することのできない理由であります。同代表が課さんと欲する諸制限、例えば日本が自由国民として有する権利のある防衛兵力を維持する権利に対する制限、及び彼の提案するその他の制限は、ここに出席しております代表の大多数に対してのみならず、この会議に参加しなかつた諸国のうちのあるもの、特にこの条約が考えているより更に一歩を進めようと欲したインドに対して、この条約を受諾できないものにするでありましよう。もし再びソヴィエト連邦がカイロ宣言及びポツダム宣言に反して琉球及び小笠原諸島の日本への返還を欲するならば、何故南樺太及び千島列島もまた日本に返還すべきではないのでありましようか。ソヴィエト連邦の修正が日本国民に対して表現、新聞、出版及び宗教的礼拝の基本的な諸自由、それはソヴィエト連邦の国民自身がまさに所有し且つ享有せんと欲しているものでありますが、これらの自由を確保せんとしていることに指摘することはまた興味のあるところであります。
 したがつてソヴィエト代表の提案した修正にわれわれが同意することのできない理由は、この条約が日本に対して主権と平等と威厳とをとり戻すことを提案しているからであります。もしわれわれがこれらのものを条件付で与えるならば、そうすることは不可能なのであります。故にこの条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何等の制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうするまでは日本防衛のために友好国家の援助を要請すること並びに日本経済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取立てないことを保証することであります。この条約は、敗北した敵に対して公正であると同様に寛大であります。われわれは、日本に対して友情の手を差し伸べます。そして最後のページをわれわれが今日書いている人間の歴史のこの章を終え、そしてまた第一ページをわれわれが明日口述するところの新しい章を始めるに際して、日本国民とセイロン国民とが人間生活の完全な威厳を平和と繁栄の中で享受するために手を携えて前進することを信ずるものであります。


昭和二十六年九月 外務省作成 サン・フランシスコ会議議事録 より(P139-143)
(原典は縦書き。旧字体の漢字は新字体に置き換えてあります。)

2018.10.19 登載


この演説の英文、また演説の一部の動画が、J.R.Jayewardene Centre ウェブサイトに掲載されています。
<http://jrjc.lk> <http://jrjc.lk/doc/the_japanese_peace_treaty.pdf>

 サンフランシスコ平和会議 【インドネシア代表 アーマド・スバルジョ氏の演説】 【フィリピン代表 ロムロ将軍の演説】
 サンフランシスコ平和会議での米大統領、米・英・ソ・埃・日各全権演説(資料沖縄問題/岡倉古志郎外編/労働旬報社 1969//旬報社デジタルライブラリー) <http://www.junposha.com/library/pdf/60008_12.pdf>

 【我が家の第二次世界大戦犠牲者研究】 【参考資料集】(資料閲覧と利用についてのお願い)
サンフランシスコ平和会議でのセイロン代表 ジャエワルデーネ氏の演説 1951.9.6 TR7S * **
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