このページは縦書きで構成しました。しかし Internet Explorer と Google Chrome 以外のブラウザでは横書きになってしまうようです。また、Internet Explorer 10 の場合は、互換表示にされることをお勧めします。
このページは旧字体の漢字を含んでおります(例えば、国→國、社→社)。ユニコードの拡張漢字が表示できる環境でない場合、文字化け等を生じます。
癩は何故に不治か(一九三四年) 癩病絶滅の運動に就いて(一九三四年)
『臨床の日本』第一卷三號(昭和九年)
癩は何故に不治か
小笠原 登 .
癩が不治の病であると云ふ考へは民衆の間に深く根ざして居るかに見えるが、亦醫師の中にもこの考へを持つて居る人に時時遭遇せられる。
昨冬山陰地方から予の診察室を訪ねた患者があつたが、これは癩の診斷を受けてから、全く不治な病に治療を施すは無益であると云ふので、何の治療をも加へず只自宅に蟄居して居る間に漸次重症に陷つたものである。しかるに其の患者の妻の兄が癩に罹つて予の診察室を訪ひ治療を加へた所が著しく輕快に赴いたので、勸めて妹の夫にも予の診察室を訪はしめるに至つたのである。又近頃我が病院の付近にも同樣な患者が發見せられた。約十年前發病して一時專門家について治療を受けたのであるが更に何の效も發見する事が出來なかつたので、全く不治であると信じて醫療を捨てキリスト教の信仰に入つて今日まで放置して置いたのである。病症は益々進んで今日に於いては指の脱落等のために手は畸形を呈し、顏も亦甚だ醜怪の觀を與へて居る。其の他近頃これに類する例の二―三に遭遇させられた。
癩不治の信仰は果して正しいものであらうか。
癩の可治と不治とを論ずるには治癒と云ふ概念を判然と定めて論じなければならぬ。予は癩の治癒と云ふ意味を癩菌に對する生體の反應現象の消失と云ふことに○して居る。癩に於ては全身的な反應現象は比較的著明でないので、問題になるのは主として局所的反應現象即ち炎症現象である。この炎症現象が消失する事を以て癩が治癒したと云つてよいと信じて居る。病原體の絶滅は勿論反應現象の消失を來たす。しかし反應現象の消失は必ずしも病原體の絶滅を要せぬのである。又反應現象の消失は生體の状態が發病前の状態に復歸すると云ふ事とは別である。此のために反應現象の消失即ち疾患が治癒した後と雖も形態學的又は機能的の變化が永久殘留し得る。癩性炎症の結果として腕の諸神經が變性に陷つて了へば病氣は治癒しても最早や指の鈎状等は消失せず、又顏面神經にこれが起れば下眼瞼の外飜や口の歪みが永久に殘留するは勿論である。炎症性の變化が此の○まで進んだ場合には一見疾患が尚未治の如くに見える。癩不治の信念はこゝから生れる。
治癒と云ふ事を以て、病原體に對する生體の反應現象の消失の外に後續現象の消失及び病原體の絶滅をも概念内容に加へて定義する事も亦不合理ではない。しかし傳染病にして治癒後病原體が全く絶滅して居る事を證明し得るものが果して存するであらうか。器質的疾患にして後續現象の殘らぬ疾患が又果して存するであらうか。チフスは治癒しても永く保菌者である事が證明せられ、菌は治癒しても尚皮膚には無數の化膿菌が證明せられ、小ざ瘡が治癒しても瘢痕を殘し、黴毒によつて鼻が脱落した場合には黴毒治癒の後に於ても鼻の再生は起らぬのである。從つて前述の如き定義を用ふるならば一切の器質的疾患は不治と云はねばならぬ。畢竟人生より治癒と云ふ語を抹殺せなければならぬ事となる。しかしこれも亦合理的である。
癩治癒の報告は多々ある。予も亦これに追加し得る多數の例を有する。何れも第一の定義によるものである。
癩は何故に不治であるか。これは治癒の定義の如何によると信ずる。疾患と其の後續現象とを混合して定義を定める時は畢竟一切萬病不治であると云ふ事になる、疾患と其の後續現象とを明瞭に分つて定義を立てる時に始めて治癒の概念が正當に生れるのである。
.
『治療學雑誌』(昭和九年五月)
癩病絶滅の運動に就いて
京大皮膚科 醫學博士 小笠原 登 .
近年、癩病絶滅の運動が盛になつた事は欣ばしい事である。この絶滅のために患者の隔離法が專ら策せられて居る。これが有效な方法である事は勿論である。
しかしこの實行には種々の障碍が横たはつて居る。其の一つには、隔離所に送られる事を嫌忌する患者が甚だ多い事が數へられるであらう。又、全癩病患者を悉く隔離し得る設備が無い事も亦障碍の一つであらう。
しかし是等の障碍は、一面に於て隔離設備を充實せしめ、他面に於て定期的強制的に全國民の健康診斷を術ひ、癩患者を發見した場合はこれを逮捕する事によつて除かれ得る。しかし此の實行にも亦若干の年月を要する事であらう。しからば此の間、漫然隔離施設の完成を待たなければならぬであらうか。
癩は比較的治癒し易い疾患である。自然治癒さへも多數に報告せられて居る。適當に治療すれば、勿論治癒する。隔離施設の完成を待つ間に於て癩の治療を奬勵する事も亦癩病絶滅に關する一方策である。しかし現今の情勢は、隔離法の一つに偏曲して、治療は却つて抑壓せられて居る感がある。この抑壓の一つは、醫師が癩患者の住所姓名を警察に屆け出づべき法令である。この法令のために、如何に多くの患者が醫師の診察を遠ざかつて居る事であらう。治療を奬勵するには、この法令に是非改訂を加へなければならぬ。住所の府縣名、性及び生年月日の屆出だけでも足るでは無いであらうか。抑壓の第二は運輸機關利用の禁止である。遙かに傳染力の強い結核の患者が運輸機關の利用を許され、傳染力の甚だ弱い癩の患者はこれを禁止せられて居る事は甚だ不合理である。何か簡單な施設を行つて癩患者の輸送を許す事は、治療奬勵のために最も必要な事である。癩が傳染病である事を利用して隔離法を行うと共に、又癩が比較的に治癒し易い事を利用して治療を奬勵する事は目下の情勢に於ては必要な事と信ぜられる。敢へて爲政者の一考を促す。
国立ハンセン病資料館図書室所蔵「小笠原登先生執筆記事抜粋綴」(資料番号110009263)から転載しました。(著者親族より許諾)
原文で旧字のものはできるだけそれを用いましたが、ユニコード上の制約があり、完全ではありません。
素人による作業です。もし誤りや気になる点がありましたら、教えていただけると嬉しいです。
小笠原登執筆文献集
「癩に關する三つの迷信」(一九三一年『診斷と治療』)
「癩は何故に不治か」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩病絶滅の運動に就いて」(一九三四年『治療學雜誌』)
「癩の極惡性の本質に就て」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩の治療に就て」(一九三四‐五年『臨床と藥物』)
「最近2年間に我が診察室を訪ねた癩患者の統計的觀察
(特に感染經路について)」(一九三六年『レプラ』)
「癩に對する誤解」(一九三六年『實驗醫報』)
「癩患者の斷種問題」(一九三八年『芝蘭』)
「癩と體質」(一九三九年『醫事公論』)
「癩の傳染性と遺傳性」(一九四〇年『實驗醫報』)