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 癩の極悪性の本質に就て(一九三四年)

『臨床の日本』第二卷六册(昭和九年十二月)


   癩の極惡性の本質に就て

京都市上京區  小笠原 登  .

 普通惡疾又は惡病と云えば癩の事を指して居るのは周知の事である。勿論、癩は一つの疾患であるから好ましいものでは斷じてない。しかし癩が惡性疾患の總代表であると考へられて居る事には考察を加へる餘地がある。
 古くから癩を惡疾と云つて居るのであるが、しかし惡疾と云つて居る意味に於ては、昔と今とに於て若干の相違がある。古くは、癩は遺傳病であつて、一定の家族に纒ひついて居る特殊な奇病であるとせられて居た。故に患者其の者を恐怖する事は少く、只其の患者の生まれた家系を恐怖した。從つて隨分重症であつた癩患者と何の恐れる所もなく換盃したなどゝ云う話も耳にして居る。近頃に於ては、癩は遺傳病ではなく傳染病である事が汎く傳へられるに至つた。こゝに於て理論的には、所詮癩系血族に屬する人々は、癩の桎梏より開放せられたのである。然るに世人は單に人の教へる所を聞いて直ちに思考に方向變換を與へる程單純なものではない。殊に癩の傳染力が世人をして傳染病である事を看取せしめ得る程の強さを有せず、寧ろ癩は遺傳病であるかの如き觀を呈する事實は、世人を尚癩遺傳の迷信から十分に開放するに至らぬ。即ち遺傳の迷信を脱却せぬまゝに又傳染説を受け入れるに至つたのである。こゝに於て癩の惡性に就ては、傳染する危險があると云うだけ、古の惡性の意味に更に惡性の内容を添加するに至つた。即ち癩の家系が怖れられるのみならず癩患者其の者も亦大に怖れられるに至つた。殊に一定家系の人にのみ纒ひついて居る惡病であると信ぜられていた時に當つて俄かに傳染すると傳へられたのであるから、世人は極度の懼れをなすに至つたのは當然である。癩は空氣傳染をするとか、或は癩菌が一度身體内に潛入した場合には三十年を經過しても尚發病して來るなどの説を立てるものさへ生じた。果して癩は此の如く恐るべき疾患であらうか。
 古、癩を惡病としたのは明かに不治の病と信じた所に理由があつた。一定の皮膚病で治癒し難い疾患は恐く癩の中に入れられて了つたと考へられる。しかし癩は絶對不治の病氣ではない。自然治癒を營んだと云う報告さへある。況んや一定の治療を加へるならば比較的容易に治癒する。予は狼瘡などに比すれば甚しく治癒し易いと信じて居る。若し然らば何故に不治と考へられたのであるか。癩が絶對不治へ考へられた理由の主なものは、病變によつて起つた結果が外觀し得る事に基づく。凡そ器質性疾患は治癒の後と雖も病變の結果を後に殘し、殊に之は終生殘留するものと見て大過がない。癩も亦器質的疾患である。其の病變の結果は治癒の後と雖も終生殘留し得る。神經の變性は指の鈎状を顏の歪みを現して留まり、皮膚の破壞は鼻や指の脱落を喚起して醜状を殘す。勿論之等の事は疾病の未治の間にも見られるのであるが、亦疾病治癒の後にも見られ得る。此の如き現象が終生殘留する事を以て尚癩が未治であると斷じた所から、癩が絶對不治と考へられるに至つたのである。之は疾患そのものと、疾患より起つた結果とを明確に分離して考へなかつたのに基づく誤謬である。
 前述の如く癩が絶對不治であると云う誤解は癩に極惡性を付與した極めて重大な要素であるが、しかし、神經及び皮膚の破壞に基いて治癒の後までも外觀に醜状を遺し得る事も亦惡性を付與した一要素と考へなければならぬ。一結核患者が「癩に罹り醜觀を身體に負ひて永く生存するよりは、寧ろ結核によつて早く生命を失つた方が好ましい」と云つた事を親しく耳にした事がある。之は癩が外觀を傷け易いと云ふ事に惡性を與へたものである。云ふ迄もなく、人の人たる價値は身體の美醜に於て存在するものではなく、專ら健全な精神の存在に縣つて居る。心は工みなる畫師の如し、健全な精神は健全な天地を創造する。癩は幸いにも生命を直接犯す事は甚だ少い。寧ろ癩は結核に比べて惠まれた疾患であると云はなければならぬ。癩は主として皮膚と神經とを犯す。皮膚及び神經の疾患はたゞ癩のみではない。從つて癩に現れる症状の一々は又他の疾患の場合にも現れ得る。癩に特に極惡性を付與すべき理由を發見し得ぬのである。
 次に、癩が惡性である理由を傳染性に歸する人があるかもしれぬ。しかるにらいの傳染性が甚だ微弱である事は、我が國の專門家の多くが認めるに至つたところである。結核に祕すれば比較し刷られぬほどに弱いと考へなければならぬ。傳染性疾患であるがためにびくあく病であるとするのもまた理由のない子である。とカラ拂いの極惡病であるという理由はなぜにあるであらうか。
 初めて我が診察室を訪ねたと云う患者の中には、時に涙を床上に落して悲嘆の相を現すものがある。冷然として「今、何が苦しいですか」と訊ねると、何れも定つた樣に「私一人の病苦ならばよく忍ぶ所である。私一人の病氣が子々孫々、更に又一族全般の上に苦痛を及ぼす事を思ふ時、私の苦しさは言語を絶する」と云うのである。此の陳述は何を意味して居るのであらうか。尚大衆は、癩が傳染病である事を口にしても、未だ遺傳の迷信から解放せられて居らぬ事を示して居る。古は眞に遺傳病と考へて居たのであるから患者の系統にこそ畏れを抱け、患者其の者には他の疾病の患者と何の簡ぶ所もなき待遇を與へた。しかし之さえ所詮癩系の人々には大なる苦痛であつた。しかるに今日、癩が傳染病であると聞くに及んで患者其の者をも嫌ひ出した。殊に其の傳染性が強く信ぜられ過ぎて益々患者を苦しめるに至つた。癩患者は、遠隔地の專門醫を訪ふ事は勿論、地方の醫師の診察すら安じて受ける事が出來なくなつて了つたのである。途中下車を命ぜられて新聞記者の材料となり、或は地方の醫師によつて公に或は内密に官憲や郷黨に布告せられる事を恐れるからである。適當な治療によつて治癒の速かならん事を望むのであるが、重症に前述の危險を怖れるがために、民間藥等によつて私かに療養するより外に治療の道なく、遂に陷つて了つた例が遭遇せられる。
 斯くの如く考え來れば、癩の極惡性の本質は甚だ明瞭である。即ち癩の極惡性は疾患そのものゝ上には斷じてない。結核でも黴毒でも重症に陷って了へば悲慘な状態を呈する事は同樣である。今春、菌状息肉腫の患者が予の診察室へ送られた時、之を見た婦人の一癩患者が「妾等も亦此の如き淺間しき容姿に陷るであらうかと流涕を禁じ得なかつた」と告げた事があつた。然らば癩の極惡性は奈邊にあるか。たゞ社會が種々の迷信に基いて患者及び其の一族に加へる迫害の上に癩の極惡性を歸せしめなければならぬ。此の極惡性こそ獨り癩のみが有する所のものである。
(昭和九年七月二十九日).




 国立ハンセン病資料館図書室所蔵「小笠原登先生執筆記事抜粋綴」(資料番号110009263)から転載しました。(著者親族より許諾)
 原文で旧字のものはできるだけそれを用いましたが、ユニコード上の制約があり、完全ではありません。
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 小笠原登執筆文献集
  「癩に關する三つの迷信」(一九三一年『診斷と治療』)
  「癩は何故に不治か」(一九三四年『臨床の日本』)
  「癩病絶滅の運動に就いて」(一九三四年『治療學雜誌』)
  「癩の極惡性の本質に就て」(一九三四年『臨床の日本』)
  「癩の治療に就て」(一九三四‐五年『臨床と藥物』)
  「最近2年間に我が診察室を訪ねた癩患者の統計的觀察
     (特に感染經路について)」(一九三六年『レプラ』)
  「癩に對する誤解」(一九三六年『實驗醫報』)
  「癩患者の斷種問題」(一九三八年『芝蘭』)
  「癩と體質」(一九三九年『醫事公論』)
  「癩の傳染性と遺傳性」(一九四〇年『實驗醫報』)
二〇一二・九・八 登載
【参考資料集】
小笠原登 癩の極悪性の本質に就て ≪ページ先頭へ≫
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