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 癩と体質(一九三九年)

『醫事公論』
  第一千三百九十二號
  昭和十四年四月一日


     癩と體質

京都帝大醫學部講師    .
醫學博士 小笠原 登 .

       一
 凡そ傳染病と云ふ辭義に就いては廣狹二樣に解し得らる。廣義に解すると云ふのは微生體によつて喚起せられてゐる疾患の意であつて、この辭義に解するならば、チフス、コレラの如き急性傳染病は勿論、癤、急性肺炎、盲腸炎等に至る迄急性傳染病の語を用ゐてよい。しかし狹義に解するならば、一定の微生體の輸入が起つた身體が頗る高率に發病する場合に於てのみ、傳染病と云ふ語が用ゐられるのである。從つて狹義の傳染病と云へば、チフス、コレラ等の若干の疾患を指すに止まるのである。斯くの如く辭義を穿鑿するならば、癩は一般に細菌性疾患と考へられてゐるのであるから、廣義の傳染病であると云ふには何の異論も無いのであるが、狹義の傳染病であるか一否かに就いては、少しく檢討を要する。
 若し癩が、狹義の傳染病に屬するならば、癩と體質との關係を考察する事は左程急務な事には屬せぬ事となる。何故なれば、如何なる體質にも拘らず、病菌の輸入を受けたものは高率に發病するものならば、その體質を考慮する餘地が甚だ少いか或は絕無と考へられるからである。
       二
 癩は、一般に激烈な傳染病と考へられ、また左樣に考へられる樣な事實が報告せられて居る。しかし他面には、反對に傳染性が甚だ乏しい樣に考へられる事實も亦認められてゐるのである。例せば次の如き事項がそれである。
 一、我が國千年以上の歷史に於て一時傳染性の存在が考へられた事があつたが近年迄この考へは永く消失して了つてゐて、全く遺傳病と考へられてみた事。
 二、我が國千年以上の歷史に於て近年迄殆んど豫防施設も無く放置せられてゐたのであるが、それにも拘らず、我が日本が全く癩化するに至らなかつたのみならず、寧ろ近年は次第に減少に向つてみると考へられる事(明治三十九年の北里博士の統計によれば二三八一五名であつたのであるが過年安達前內相の發表によれば約一五〇〇〇名であると稱せられ、又明治二十四一年以來徵兵檢査によって發見せられた癩患者數は次第に遞減を示してゐると云はれてゐる。)
 三、一人の癩患者が發生した場合家族としてこれと寢食を共にし、或は一族としてこれと親交を續けてゐるものゝ中より續發患者を出す事は頗る稀であると考へられる事。(我が診察室を訪ねた五一三名の患者中、一家一族の中に、會て一名以上の癩患者を出したと告げたものは八一名(一五・八%)であつた。この事實を明治二十四年以來次第に患者數が滅少してみる我が國の實情と倂せ考へるならば、一人の癩患者が發生した場合には、大多數の場合に於て其の患者一名の罹病丈けにて濟むものであつて、家族的血族的には傳染が左程起るものでは無い事を考へしめるのであるが、又それと共に少數ではあるが、私が親しく知ってゐる或る村落の癩患者に就いても、大體一名の患者を出したのみにて濟んでゐるのである。)
 四、夫婦間の感染が極めて低率な事。(洋の東西を問はず、夫婦が共に發病したと云ふ例は頗る低率であつて、タルンタランに於ては一・七%、ハワイに於ては五・一%である。この比率は恰も其の地方の全人口と癩患者との比率に殆んど等しいと云ふ事である。此の統計によれば、果して夫婦間に感染關係が起つたか、或は偶然夫婦が別々に罹病したか明かで無いと云ひ得るのであるが、他面には、一地方の人口と癩患者との比率に比すれば、夫婦間感染の比率は比較的に大であると云ふ統計が若干ある。しかし何れにしても夫婦間の感染は、極めて稀である事は事實である。
 五、フイリツピンに於て未患兒童を病親より離して健康地に移し、健康者がこれを養育したのであるが、其の兒童中に於て發約したものは二三・〇%であつたに對して、病親が自ら養育したものゝ中からは、僅かに其の半數の一一・五%が發病したに止まつた事(この事實に對しても亦反對に、未患兒童を病親より隔離する事によって發病を豫防し得たと云ふ報告もあるのであるが、私の經驗に於ても、短き年月であるとは云へ、病親が養育しても其の兒童を發病させるものでは無いと云つても大過が無いと考へられ、又ヴエダー氏も同じ事實を認めてゐる。)
 六、人體接種實驗約二二〇例及び不定數を以て記載せられてゐるもの若干の中に於て、發病したものは僅かに五例であつた事。
 七、患者と密接に接觸して罹病せざるものが、接觸して罹病したものに比すれば、到底比較し得ざる程に多數であると信ぜられる事。(正確な統計は無いのであるが、種々の實例がこれを證明すると共に、又ハワイ、ケープコロニー及び印度に於ける統計によれば患者と密接して生活してゐるものゝ中にて發病したものは、僅かに二・七―五・五%であると云ふのと一致する。ハワイに於ける五・五%と云ふ數は、ハワイの人口と癩患者との比と略々一致してゐると想像せられる數なのである。)
 八、癩の療養所の職員にして罹病したものが殆んど無い事。
 九、セントルイス病院、其の他ウインナ、ニユーヨークの病院等に於ては、癩患者を普通患者と一處に收容してゐると云ふ事であるが、未だ會て癩の感染が起つた事が無いと云ふ事。
 一〇、フイリツピンに於ては、癩の流行が一定村落に限局せられて、其の村落と密接な交涉のある近接村落へ蔓延して行かぬ事。
 一一、我が國に於ては、癩は人口調密な都市に於て發生する事が少く却って人口稀湖な農村に於て多く發生する事。(これは、癩が一般傳染病と趣を異にしてゐる事を示してゐる。すでに結核程の傳染力を持つに至れば、患者の發生は農村よりも都市に於て多くなるのである)。
 一二、ローヂヤース、ミユアー兩氏によれば、患者の感染繼路を搜索しても、それか判然するものは多くとも六〇―八九%を超える事が無い事。(私の診察室を訪ねた患者中四七%は、患者を見た事も無いと云ってゐるのに一致する。癩の發病には、癩患者との接觸が一般の人によつて重視せられてゐる程に重要な役を務めて居らぬ事が察知せられる。殊に第七と照合すれば一層この感を深うするのである。)
 以上の事實を總合するならば、癩は廣義の傳染病であつて、狹義の傳染病では無いと云つた方が大過が無いと考へられる。ヴエダー氏が云つてゐる樣に、癩は傳染によつて蔓延する事が一般に認許せられてゐるに拘らず、其の證左には吾人の期待を滿足せしめるに足るものが無いのである。
       三
 世人はよく、諾威に於て隔離法の實施を行つて以來五十有除年の間に著しく癩患者が減少した事を以て、癩が特に激烈な傳染病であると云ふ證據に用ゐてゐるのを耳にする。しかしこの諾威に於ける解離法に就いては、旣に別種の見解が加へられてゐる。其の所說によれば、隔離法實施後の癩患者の激減は必ずしも隔離のためでは無い。微生物性疾患の通規として起る所の猖獗期に次いで起る衰頽期が現はれたのに止まり、隔離法は唯この波線の上に乘りかゝつて恰もこの隔離が效を奏した如き外觀を呈したのに止まると云ふのである。私は次の事實によりてこの見解に贊成するものである。
 一、諾威に於て隔離を行った患者數は、全患者數に對して極めて低率であつた事。
 二、太田博士等の宮城縣に於ける癩村調査報告によるに、一村の癩の猖獗期は約三十%であつて、それより次第に衰頽期に入り、遂に患者の絕無に歸した村落さへあるとの事である。
 三、某縣に一小島がある。舊藩時代に藩主が癩患者を追放した島であつて、この島の住民は皆癩患者の子孫であると考へられ、戶數約六十戶と云ふ事であるが、この住民の中には今日一名の癩患者も無く、所屬聯隊の壯丁成績は頗る良好であると聞いてゐる。放置しておいても自然に癩が消滅する事を示す一例である。
 四、明治時代の癩に無關心であつた時期に於ても、明治二十四年以來の徵兵檢査成績より推察すれば、次第に癩患者の減少を示してゐたかに考へられる。
 卽ち諾威の癩患者の減少は、隔離のためであると云ふよりも寧ろ猖獗期に次ぐ衰頽期に入ったものであると見た方が正しいと信じてゐる。
       四
 次に、文獻を繙く時は、恐怖の念を唆るが如き感染報告が屢々見られる。しかし、これ等の事實の反面には、癩に接觸しても、到底比較しがたき程多數の人が感染しなかつた事を思うならば、それ等の感染現象は單に除外例であるのに過ぎぬと見られる。卽ち癩は菌の輸入を受けたものは高率に發病すると云ふ疾患では無く、菌の輸入が起つた後、或る少數の特定な人のみが發病する疾患である。故に、發病には、癩菌の輸入を受けると云ふ事以上に人體の感受性なるものが大なる役を務めると考へられる。こゝに於て感受性とは何ぞやの問題に到着する。この感受性の硏究は、發病する身體は如何なる狀態の下にあるかの硏究であり、從って體質の硏究が主要な問題であると考へられる。
 癩患者の身體を體質學的に檢査するならば、幼若性體質に屬する事象が多數に且屢々發見せられる。
 例せば毛生異常又は缺乏の如きは頗る高率に認められ、其の他脂肪分布異常又は脂肪性體質の如きも屢々認められる。生殖器に關しては陰莖過小、包莖、睾丸過小、陰毛發生の遲滯、月經初潮の遲滯、月經不順、經血過少若くは過多等が屢々認められる。其の他膣の低位も高率に認められ、副肛門、W形懸雍垂、立耳、尖耳、下體の發育不全の如きも屢々遭遇せられる。
 又癩患者の骨系統に觀點を置くならば、佝僂病性の變化が頗る高率に現はれてゐる。佝僂病性の變化は、これを四種となす事が出來る。骨の異常突起、骨の異常屈曲、骨の發育不良、齒牙の異常の四種である。癩患者はこれ等の四種を高率に具有してゐる。(皮膚科紀要第二十二卷第一號及びレプラ第三卷第三號參照)
 又植物性神經系統の上に視線を移すならば、癩患者は迷走神經緊張に屬する症狀を現症に於て或は旣往症中に高率に有してゐる。消化器管に關しては、胃酸過多に關する症狀を有するものが多く、又鹹味の强きを好むものが甚だ多い。循環系に就いては、最高血壓の低きものが多く又脈壓の大なるものが多い。其の他アクロチアノーゼ、痔核、下腿の靜脈擴張等が屢々認められ、皮膚症狀としては手足の冷濕、痤瘡、凍傷、多汗、濕疹、蕁麻疹等が高率に認められ、血液には酸性哨好細胞の過多が時々認められ、又淋巴腺の肥大を伴つて淋巴球の過多が屢々認められる。神經症狀としては、疲勞し易く悲觀的傾向を有するものが多く、眩暈を起し易いものが多い。又頭痛、頭重を訴へるものも亦多い。新陳代謝に關しては、脂肪質のものが時々認められる。藥理學的檢査成績も亦迷走神經緊張に傾いてゐるものが多いと聞いてゐる。
       五
 以上の事象は、癩患者の身體の上に程々の組合せを以て現はれてゐるのであるが、これ等の事象は何れの點より由來したものであらうか更に一考する事を要する。凡そ佝僂病性の變化は云ふ迄もなくヴイタミンの缺乏と關係し、白雲病性の變化を骨に於て認める事は、榮養不良の下に發育した事を證明してゐる。榮養不良の影響は、單に骨格の上に止まるに非ずして軟部の上にも及發育の不十分を來して幼若性體質を構成したと考へる事は不合理な事では無い。榮養不良の下に發育した身體は薄弱なるがために、異化作用を抑制して同化作用を進めむとする慾求が身體に起つてゐるとするならば、こゝに迷走神經緊張の體質が現はれてゐる事も理解し得られる。かくして癩患者の體質は、多くの場合佝僂病性であると共に、幼弱性であり、又迷走神經緊張性である。こゝに於て「癩は主として榮養不良の下に發育を遂げた身體を犯す疾患である」と結論し得るのである。次の事實はこの結論に對して支持を與へる。
 一、太田博士等の宮城縣の癩村調査の報告によれば、癩戶は槪ね貧家なる事。
 二、世界大戰後の疲弊に乘じて、ボスニア、ヘルツエゴヴイナに癩患者が激增した事。
 三、我が診察室の統計によれば、癩患者の八九・七%は少くとも十四歲まで農村に於て育つたものである事。
 我が國の農村の疲弊は萬人の認める所であつて、癩はこの疲弊に乘じて農村出身者を脅かしてゐるのである。卽ち聖代に於ける衞生施設、文化施設が農村には到り屆いて居らぬ事を示すものと思はれる。
 かくの如く考へ來れば、癩が流布してゐる國は、衞生施設が完備せざる事が察知せられ、殊に國民の榮養狀態が等閑に附せられてみる事を證するものと云つて大過が無い。從って癩患者が多き事はそれ自體何の恥辱でも無いのであるが、癩患者を多からしめるが如き文化程度の低い事が國家、社會の恥辱となるのである。我等國民は本末を誤つてはならぬ。
       六
 次に一考すべきは、癩を感受しやすき體質は遺傳するかの問題である。
 サンド氏の統計によれば、親子間の發病は夫婦間の發病に比して高率である。又昭和五年より昭和九年迄の我が診察室の統計によれば、親子間の發病率四・一%、兄弟姊妹間の發病率六・八%に達してゐるに對し、夫婦間の感染には疑はしきもの二例に遭遇したのであるが、確かなものには一例も遭遇しなかつたのである。卽ち夫婦間の發病は、親子同胞間の發病に比すれば比較し難き程少い事を考へしめる。卽ちこゝに感受性の遺傳を或る程度迄認めなければならぬ。
 しかし、こゝに誤解を生じてはならぬ事は、此の如き感受性が永遠に子孫に傳はるかと云ふ事である。天地間に不變なものは一つも無い。環境によりて存立を支持せられると共に又環境によりて破壞を受ける。癩の感受性も亦この鐵則に漏れる事は無いのである。環境の改良生活の改善等によつて消滅せしめられるものである。癩系であると云ふ名の高い家にして、近頃癩患者の發生を聞かぬ家は多々あると共に、又前記の某縣の一小島に於て癩が絕滅してゐる事もこれを實證するのである。感受性が遺傳せられ得ると云ふので、癩患者の斷種を策するが如き事があるならば、輕卒に過ぎる。環境の改善生活の改良を謀るならば、斷種せずとも前記の小島の住民の如く却つて所屬聯隊に於て優秀な壯丁成績を得る壯丁を產する事が出來るのである。
 病めるものを癒えしめ、弱きものを强くし、强きものを更に强くする事が最上乘である。努力せなければならぬ。



 国立ハンセン病資料館図書室所蔵「小笠原登先生執筆記事抜粋綴」(資料番号110009263)から転載しました。(著者親族より許諾)
 原文で旧字のものはできるだけそれを用いましたが、ユニコード上の制約があり、完全ではありません。
 素人による作業です。もし誤りや気になる点がありましたら、教えていただけると嬉しいです。
 小笠原登執筆文献集
  「癩に關する三つの迷信」(一九三一年『診斷と治療』)
  「癩は何故に不治か」(一九三四年『臨床の日本』)
  「癩病絶滅の運動に就いて」(一九三四年『治療學雜誌』)
  「癩の極惡性の本質に就て」(一九三四年『臨床の日本』)
  「癩の治療に就て」(一九三四‐五年『臨床と藥物』)
  「最近2年間に我が診察室を訪ねた癩患者の統計的觀察
     (特に感染經路について)」(一九三六年『レプラ』)
  「癩に關する誤解」(一九三六年『實驗醫報』)
  「癩患者の斷種問題」(一九三八年『芝蘭』)
  「癩と體質」(一九三九年『醫事公論』)
  「癩の傳染性と遺傳性」(一九四〇年『實驗醫報』)
二〇一九・五・八 登載
【参考資料集】
小笠原登 癩と體質 ≪ページ先頭へ≫
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