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らいの伝染性と遺伝性(一九四〇年)
『實驗醫報』
二六年 三〇八號
一九四〇年六月一二日
癩の傳染性と遺傳性
【京都帝大講師醫學博士小笠原登氏】
曰く。現今に於ける癩患者は、矛盾せる二つの偏見、卽ち「賴は劇烈な傳染病である」と云ふ偏見と、「癩は遺傳病である」と云ふ偏見との二つの偏見の十字砲火を浴びて、極度の苦難の中に陷つて居る感がある。今日私の診察室に於て起つて居る一離婚問題がこれを證して居る。卽ち、一子を擧げた後に癩に罹つた妻に、夫が離緣を請求して居る事件である。妻は離婚が確定した日には、卽日自殺を決心して居る。日本精神の上から、此の決心に對して、私は少からざる敬意を感じて居る。其の離婚請求の理由は、これを要約すれば次ぎの二つに歸着する。一は、家族に傳染せしめる危險のある事、他の一は、一家一族の緣談の妨げとなると共に、永遠に子々孫々に禍を遺すと云ふにある。換言すれば强烈傳染の偏見と遺傳の偏見との二つに基いた要求である。
ヴェダー氏が、「癩は傳染によつて蔓延する事が一般に認許せられてゐるのであるが、しかし其の證左には吾人の期待を滿足せしめるに足るものが無い」と云つてゐる樣に、癩は明瞭な傳染性を有する疾患では無く、唯細菌性の疾患であると云ふ點より傅染する可能性があると云ふのに止まる。故に、癩患者と接觸した人又は現に接觸してゐる人に「私は癩に罹るでありませうか」と尋ねられた場合に、「絕對に感染せられる事はありません」と答へて置いた方が、「感染します」と答へたよりも、比較にならぬ程に確實性が大きいのである。此の點に關しては、識者はよく理解して居るのであるが、大衆は之れに反して益々傳染强烈の偏見を深めつゝあるのである。矯正を要する事に屬する。癩は細菌性の疾患であるから眞の遺傳病では無い。しかし罹病し易い素質は遺傳し得る。故に夫婦が共に罹病する事は甚しく稀有な事に屬するのであるが、一家一族の間に重複して罹病者を出した場合は一二―八%である。これは夫婦が共に罹病した場合に比べるならば、比較にならぬ程大きい。卽ち素質の遺傳を考へねばならぬ。しかし、生活條件の改善は能くこの素質を除き得るのである。强ち斷種を行ふ程の事では無い。
最後に一言すべきは癩を以て萬病を懸絕せる惡病と考へてゐる人が多い事である。しかし、癩はそれ程の惡病では無い。熱心に治療すればよく治癒するのである。配偶者が癩に罹つたと云ふので離婚を企てる事は、何れの點から考へても正しい事では無いのである。
国立ハンセン病資料館図書室所蔵「小笠原登先生執筆記事抜粋綴」(資料番号110009263)から転載しました。(著者親族より許諾)
原文で旧字のものはできるだけそれを用いましたが、ユニコード上の制約があり、完全ではありません。
素人による作業です。もし誤りや気になる点がありましたら、教えていただけると嬉しいです。
小笠原登執筆文献集
「癩に關する三つの迷信」(一九三一年『診斷と治療』)
「癩は何故に不治か」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩病絶滅の運動に就いて」(一九三四年『治療學雜誌』)
「癩の極惡性の本質に就て」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩の治療に就て」(一九三四‐五年『臨床と藥物』)
「最近2年間に我が診察室を訪ねた癩患者の統計的觀察
(特に感染經路について)」(一九三六年『レプラ』)
「癩に對する誤解」(一九三六年『實驗醫報』)
「癩患者の斷種問題」(一九三八年『芝蘭』)
「癩と體質」(一九三九年『醫事公論』)
「癩の傳染性と遺傳性」(一九四〇年『實驗醫報』)
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