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癩患者の断種問題(一九三八年)
『芝蘭』第十二號
昭和十三年十二月
京都大學醫學部芝蘭會
○癩患者の斷種問題
小笠原 登 .
癩と云ふと變に神經を尖らせる習慣が出來てゐる。癩と云へば比類なき惡病であつて、人類を殃ひする事が絶對であるから、何より先に絶滅せねばならぬ疾患であると考へ、あらゆる犧牲を拂つても絶滅せねばならぬとせられて居るかに見える。絶滅の方法としては、癩は細菌性疾患であるがために、横に傳播を避けるために病者の隔離が企てられると共に、竪に有菌的な子孫を後に殘さぬために斷種を實行せよと叫ばれてゐる聲が聞える。しかしこの聲が、私には、時に輕卒味を帶びて聞える事がある。
周知の如く癩は細菌性の疾患であるから、たとひ傳染力の存否が頗る疑はしく見えるとは、云へ、一應、隔離法を考へて見る事は強ち不合理な事では無い。しかし一度癩の診斷が下されると、病症の輕重、結果の利害を論ぜず、直ちに終生隔離處分に附して了ふと云ふが如き事があるならば、これは宜しきを得た事では無い。胎兒又は産兒が直接又は間接に病親から病菌を以て汚染せられる事が可能である點より、有菌的な人間を造らぬために斷種を企てゝ見る事も亦必ずしも不合理では無い。しかし一度癩の診斷が下されると共に、利害得失を論ぜず斷種術が行はれると云ふ事になつても亦宜しきを得た事では無い。即ち隔離を斷行し、斷種を決行するには、一々の場合に於て細密な顧慮を要する。隔離の問題については、これを他日に讓り、こゝには、雜誌部委員の請はるゝまゝに、斷種の問題についてのみ考察を試みる事とした。
凡そ、癩患者に於て斷種法を施す事が合理的であると考へられる點は、概略三つである。
第一は、斷種法は不良な體質の子孫を後に殘す事を防遏する點にある。即ち、癩菌の直接間接の傷害を受けた卵子或は精子が受胎し或は受胎せしめた場合に、この受胎卵子は健全な發育を遂げ得ずして、精神的肉體的に不健全な子を生ずる畏れがある。かくの如き不健全な人間の發生を防止するには、斷種法は必須な手段であると考へられる。
第二は、癩菌保有の人間を後に殘さぬ樣にする點である。前述の通り、胎兒及び嬰兒は病親によつて癩菌にて汚染せられる可能性がある。而して、癩菌が胎盤を通過して胎兒に移行し得る事が實證せられてゐるのである。癩絶滅の目的には、必ず行はなければならぬかに考へられる。
第三は、癩の發し易き素質を絶滅する點である。癩は云ふまでも無く細菌性の疾患ではあるが、遺傳的な要素が多分にある。私の診察室を訪ねた五一三名の癩患者中嘗て一族中に癩患者を發生した事があつたと告げたものは八一名(一五・八%)であつたに對して夫婦間の感染は極めて稀有な事に屬する。寧ろ偶然夫婦共に別個に罹病したと考へても何の不思議も無い程に稀有である。私も疑はしき場合の二例に遭遇してゐるのであるが、確かな例には尚遭遇した事が無いのである。この一事は癩の罹病には遺傳的な要素が著明に存在すべき事を想像せしめる。斷種法はこの遺傳的要素を絶滅するに最良の方法であると考へられる。
かくの如く考へ來れば、斷種法は、人種改善、癩菌滅絶、罹病素質の芟除の三重の效果を有する。即ち一石三鳥の妙術であるとも云ひ得る。しかし天地間の事は、机上で抽象的に論じて見る程に簡單なものではない。癩患者の斷種問題も亦それに洩れぬのである。右顧左眄して其の廣く及ぼす所の影響を洞察して後、これを實行するか否かを決せねばならぬ。
こゝに於て一應考へて置くべき根本問題がある。それは、癩なる疾患は、果して多くの人が信じて居るが如き極重惡病であつて、如何なる犧牲を拂つても何より先に絶滅せねばならぬ程のものであるかと云ふ問題である。勿論、癩も亦疾患である以上、これを絶滅すべき性質のものに屬するのであるが、しかし只今あらゆる犧牲を拂つて迄も絶滅を急がねばならぬと云ふ程の疾患ではないと信ぜられる。何故なれば、癩は決して萬病を懸絶した惡性の疾患では無く、其の特色とする所は單に皮膚と末梢神經とを同時に犯す事が多いのにある。そしてこの皮膚及び神經の變化は、他の原因によつて起つた皮膚及び神經の變化と左程簡ぶ所が無い。從つて病變の上から云へば、癩を以て他の疾患を懸絶せる極重惡病であると考ふべき理由は更に無いのである。他の疾患との間に誤診が屢々起る事はこれを證明する。又癩を以て不治の疾病であると信じて畏れを抱いてゐる人がある。しかしこれも亦事實では無い。寧ろ癩は比較的に治癒し易い疾患であつて、早期に發見して治療を加へるならば、家業に從事しつゝ何の痕跡をも留めずに治癒し得る。病變が年月と共に著しく進んだ場合には、治療に對して抵抗が強いのであるが、しかし斯樣な場合でも、伴隨現象、たとへば指の鈎状、顏面の歪み、眉毛の脱落等を殘す事はあるにしても、斑紋は消失し、結節は吸收せられて痘痕樣と化し、血清に於ける補體結合反應は陰性に轉じ、癩菌は最早や發見し得ざるに至らしめる事が出來るのである。即ち癩は治療を加へる事によつて治癒する疾患である。殊に結核性疾患に比べるならば著しく治癒し易い。此の點に於て癩は、結核性疾患よりも良性であると云はねばならぬ。即ち治癒するか否かの問題から云つても決して萬病を懸絶した疾患では無いのである。又、癩が細菌性の疾患であると云ふ點から早合點して、癩が劇烈な傳染力を持つてゐるかに誤認してゐる人がある。しかし癩は左程の傳染力を持つて居る疾患ではない。寧ろ傳染力が絶對に無いと云つた方が大過が無い程の疾患である。我が國神代よりの歴史がこれを證明し、少くとも明治二十四年以來施設の有無に關せず次第に患者數が減少してゐるのである。其の他諸種の事實が傳染力の頗る微弱である事を證してゐる。即ち傳染性から云つても「チフス」赤痢の如き急性傳染病に比すべきものでは絶對に無いのである。
かくの如く考へ來れば、癩は萬病を懸絶した極量惡病では斷じて無い。勿論何物をも犧牲にして眞つ先に絶滅せねばならぬと云ふ程の病氣では無い。單に國民の衞生状態の改善、就中榮養状態の改善によつて丈でも次第に絶滅に近づいて行くと私は信じてゐる。かくの如き疾患に於て殊更に之れを嫌ひ、他病の事を顧みずして眞つ先に斷種を斷行すべき必要があるであらうか。
扨、次に考ふべき事は、人種改良の見地よりして癩患者の斷種を行へと云ふならは、何故に廣く他の患者にも斷種を主張せぬであらうか。何故に飮酒家の斷種を説かぬであらうか。又何故に榮養不良の下に生育した證左を身體の上に留めてゐる者、或は現に榮養不良の下に生活してゐる者の斷種を鼓吹せぬであらうか。若しこれ等のものは蠣程に劇しい惡影響を遺さぬと云ふならば大なる誤りである。寧ろ癩の方が劇しい惡影響を後に遺さぬと考へられる。何故なれば、榮養不良の方が癩や結核の根抵をなすからである。即ち榮養不良は癩や結核の本であつて、癩や結核は其の末である。本を忘れて末にのみ力を盡すは愚かな事に屬す。
又、私が遭遇してゐる癒患者の中に於て、父母に癩患者を持つた者があるが、これ等の人は、現在癩に罹つてゐると云ふ事以外に、非癩の兩親より生れた人に比して特に何程かの遜色を有する事を認めた事が無い。又、癩系の家の人々が、非癩系の家の人々に比して肉體的若くは精神的に顯著な劣性を所有して居る事を見聞せぬのみならず、却つて精神的若くは肉體的に優秀な人を出してゐる例さへ知つてゐる。かくの如く考へ來るならば、斷種の如き追却的な方策に依らずとも、他に進取的な重要方策が存在すべき事が察知せられる。患者治療の萬全、國民榮養の改善、國民勞働の調節、國民教化の普遍等は其の一端である。優良人種を得るには一歩たりとも進めなければならぬ重大方策である。
次に、癩菌を後世に傳へぬために斷種すると云ふならば、一應合理的に考へられる。しかしこゝに再考すべき事は、何故に、癩菌を後世に傳へぬ樣にするかの點である。これは云ふ迄もなく、癩菌は時に癩を發せしめる事があるから、これが後生に傳はつて癩患者を發生せしめる事の無き樣にするためである。しかれば癩患者斷種の要不要は、癡愚者が産んだ子の發病率の大小に關係するのである。
ジヤンセルム氏によれば「母已に癩を病むと雖も、其の兒多くは罹病せず」と云ふ事である。私の短き年月(滿十三年)の觀察もこれと一致する。私が調査した五百十三名の患者中、癩病患者を父母に持つたものは二十一名(四・一%)に止まる。又私が扱つた患者を母として生れた子にして罹病したものに一人も遭遇して居らぬのである。しかし唯一例一患者を父として産まれた一男兒が罹病した例がある。この例は父母が病んでゐる時は其の子も亦發病し易き事を示すが如き例であるが、これは又他面に於て癩は榮養不良の下に生育した人を好んで犯すと云ふ事實を實證したかに見える興味ある例である。それはかうである。
或る日一老姐が五歳の男兒を伴つて來院した。この男兒は私が治療してゐた患者の子で老媼はその患者の母である。「此の兒に斯んな斑紋があらはれてゐまして、兩側の小指が少しく曲つてゐます事を發見しましたので診て貰ふために連れて來ました」と老媼は告げた。其の男兒を一瞥するに、頭部が四角で且つ歪んでゐる。疑ひもなく佝僂病性の骨髓の所有者である。そこで私は「斯樣に榮養不良の下に育てますと好く發病するものです」と云つた。すると老姐は意を得ざる顏付きをして答へた。『この子が生まれました時、私は、この子を母と共に病父から別居させねばなりませぬかと御尋ねすると、先生の答へは、「そんな必要は無い。榮養状態に注意して育てれば決して罹病する事はない」との事でありました。そこで私は即日、母乳の外に牛乳を加へて養育し始めました』と云ふのである。牛乳が成人者には榮養劑として用ゐられるので、早合點をして了つた老媼は、嬰兒にも榮養劑として用ふべきであると考へこれを早期より併せ用ゐ、知らず〳〵の間に人工榮養を行ふ事となつた。このために佝僂病性の變化が起り、遂に發病の素因を作つて了つたと考へられる。兎に角、父母己に病みて其の兒の病むに至つた私の實例はこの男兒一例のみである。
要するに父母が既に癩を病んでゐても、其の子は多く罹病せぬのである。患者に斷種法を施すとも其の癩の絶滅に對する效果は机上にて考へる程に大なるものでは無いと考へねばならぬ。
次に癩の遺傳性に基づく見地よりして斷種を主張する事も亦一應合理的に考へられる。
癩は眞の遺傳病では無いのであるが、しかし、罹病し易き素質は遺傳する性質のものである。親子が罹病する例は、稀ではあるが、私の統計では、前述の如く四・一%に上り、又、一家一族の間に癩患者があつたと告げた患者の數は一五・八%であつた。しかるに、夫婦が共に催病したと云ふ例は頗る稀有な事に屬し、私の遭遇した例としては、甚だ不確かな二例があるのみである。即ち一例は結節癩の一内地人の妻の右の前腕伸展側に鷄卵大位の無痛面があると云ふに止まり、皮膚の外觀には何の異状も無く又神經肥厚等も發見し得なかつたのである。他の一例は、斑紋癩の一鮮人の告げた所によれば、在鮮の妻の右下腿外側に於て無痛面があると云ふのである。即ち夫婦間の傳染は眞に稀有である。これに比すれば血族の間に患者の發生する率は著しく大である。換言すれば、血族には感染し易く他人には感染し難い。こゝに罹病し易き素質がある事が察知し得られ、この素質が或る程度迄遺傳する事が想像し得られる。この素質を人類から除去するためには斷種法が必要であると考へられる。しかし、こゝにも亦再考の餘地がある。
凡そ、生體は總べて獨立自存のものでは無く、環境によつて支持を受けて存立を續けてゐる。從つて環境の支持が無ければ生體は遂に存在を失つて了ふ。即ち環境は常に生體に村して作用し、生體はそれに順應して一時的若くは永久的の變化を來す。人體も單なる一生體である。環境によつて支配せられて存立してゐて、眞に獨立自存のものではないのである。故に環境を巧みに按配すればそれに應じて身體に變化を來し、優生の本義を滿足せしめる事が出來、癩に罹り易き素質をも矯正する事が出來る。即ち榮養の改善丈でも體質の變化が起り、これと共に癌性の素質も除かれ得ると私は信じてゐる。況して諸般の衞生施設が完備せられるに至らば、更に何の畏るべきものも無い。特殊の場合の外斷種法を用うる要は更に無く、殊に子無き事が家庭に如何なる不幸を齋すかを思ふならば、斷種法は一般に輕々しく行ふべき事ではない。
某縣に一小島がある。舊幕時代に藩主が癩患者を追放した島であると云はれてゐる。其の島には六十戸程の戸數があるが、何れも、皆癩患者の子孫であると云つてよい。從つて此の島に於ては、遺傳論よりするも又傳染論より見るも、多數の癩患者が發生してゐるべきであるが傳へ聞く所によれば、其の島には目下一名の癩患者も無いのみならず、所屬の某聯隊に於ける壯丁成績は極めて可良であると聞いてゐる。主として農村に生じた患者が海上の小嶋に追放せられた事から起つた環境の變化が、遂に罹病素質を消滅して了つたと考へられる。環境が罹病素質を消滅せしめる事の一適例である。
各地には古くより云ひ傳へられた癩系の家と云ふのがある。此の中には知名の資産家が相當にある。しかし、これ等の家に現今癩患者があると聞くものは殆ど無い。此の事實を私は次の樣に考へてゐる。舊幕時代の農村に於ては、資産を積むには、衣食を節するより外は無かつた。中にも大なる效果を齋すものは食物に關する節約である。所謂喰ひ出す事である。榮養價の滿たざる食物に甘んじ、不完全な榮養状態の下に勞働を續け、疲勞困憊をも顧みずして生活を營む間に癩患者を發生したものと考へられる。漸く家勞が隆盛に赴き、經濟状態が高められるに至つては既に世代が替り、父祖の難苦を打ち忘れて贅澤となり、おのづから榮養價の高き食事を取り、何時とは無く有閑生活に入るに至れば最早や患者は發生せぬのである。しかし廣く行はれてゐる遺傳の誤信によつて殃ひせられて、患者出でゝより既に幾多の年代を隔てるに至つても、尚癩家の稱呼を脱する事が出來ぬ状態であると理解せられる。癩家と稱せられてゐても、癩性の素質は恐らく夙くに消失してゐるのである。
太田正雄博士等の宮城縣下の癩村調査の報告を見るに一村落が癩化するには二三十年を要し、猖獗期二三十年を經て衰頽期に入り、次第に衰へて遂に絶滅して了つた村落さへある事を報じてゐる。何の施設をも爲さずとも癩の罹病素質は消滅し、患者の發生は停止すべきものである事を示してゐる。若し榮養の改善及び其の他の積極的な衞生施設を以て國民の體力を増進せしめるならば、恐らく癩は絶滅するであらう。退却的な斷種法を行ふ事は全く無用であると云つても過言では無い。
要するに、癩患者の斷種法は大體に於て無用な事に屬する。大地を家庭とし大空を家とする人に取りては、子無き事は何の苦痛でも無い。しかし、一男一女相寄つて營む家庭に於て子無き場合には、種々な悲劇が展開せられる。癩の豫防は此の如き不幸の到來を豫期しつゝ斷種を行はねばならぬと云ふ程の事件では斷じて無い。患者の完全な治療と國民全般の衞生状態の改善とを策する事によつて足るのである。一足飛びに斷種に迄考へを進める事は宜しきを失する。
擱筆に臨んで一言すべき事は、現在癩患者が苦痛としてゐるものは、癩そのものでは無くして、癩の誤解に基づく社會的迫害である。從つて救癩事業の急務は、社會の誤解を除いて患者を迫害より脱せしめるにある。しかし社會に廣く且つ深く根をおろしてゐるこの誤解を芟除する事は一大難事である。少數の人を以て成し得る事では無い。讀者諸賢、願はくは癩の眞實を領得して救癩の大業に參加せられん事を希望する。
(昭和十三年十月十七日).
国立ハンセン病資料館図書室所蔵「小笠原登先生執筆記事抜粋綴」(資料番号110009263)から転載しました。(著者親族より許諾)
原文で旧字のものはできるだけそれを用いましたが、ユニコード上の制約があり、完全ではありません。
素人による作業です。もし誤りや気になる点がありましたら、教えていただけると嬉しいです。
小笠原登執筆文献集
「癩に關する三つの迷信」(一九三一年『診斷と治療』)
「癩は何故に不治か」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩病絶滅の運動に就いて」(一九三四年『治療學雜誌』)
「癩の極惡性の本質に就て」(一九三四年『臨床の日本』)
「癩の治療に就て」(一九三四‐五年『臨床と藥物』)
「最近2年間に我が診察室を訪ねた癩患者の統計的觀察
(特に感染經路について)」(一九三六年『レプラ』)
「癩に對する誤解」(一九三六年『實驗醫報』)
「癩患者の斷種問題」(一九三八年『芝蘭』)
「癩と體質」(一九三九年『醫事公論』)
「癩の傳染性と遺傳性」(一九四〇年『實驗醫報』)
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